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【厩舎菓子】チョコレートバナナケーキとアンチ断捨離

 切り口にまんまるのバナナの断面が現れるのが特徴のケーキ。小麦粉とアーモンドフラワーを3対1の割合で焼き上げました。トッピングにクラッシュした板チョコとレモンピール。来たるバレンタインを少し意識しました。厩舎菓子は木曜と決めているので。

 焼成している間にチョコレートまみれボールを片付ける。キッチンは、家中ありとあらゆる場所があると言えど、一番の主婦の居場所じゃないだろうか。それだけに、使いかけのマスクとか、自分専用の歯磨き粉とか、家人とは共有したくないハンドクリームなんかが置いてある。水道口にあるべき定番といえば、石鹸やハンドソープの類、タオル、それに加えてキッチンだからあらゆる細かい面に対応するブラシ数本、スポンジ、洗剤、漂白剤、消毒液・・・。どれひとつなくても完璧なキッチンシンクではないのである。どれが必需品でどれがいわばオシャレとかトレンドとか我流にない新しいものであるか、主婦だけがわかっている。その必需品も、必要性と新商品の登場によってアップデートされてゆくのだから、台所はかなり繊細な領域に思える。
 我がキッチンには青いクマの爪ブラシがある。40年ものである。彼ははるばるイギリスからやってきた。ボディーショップが日本になかった頃の話だ。あの頃ケンブリッジのショッピングモールの入り口にはオーガニックなコスメショップがあった。一歩入るとフレッシュなハーブの香りがはなをくすぐる。シンプルなプラスチックの小瓶に入ったハンドローションを買った。パッケージは洗練されておらず、店のオリジナリティを感じさせるのはアールヌーボー調の曲線で囲ったラベルだけ。ハーブは土着の成分を多く含んでいるから外国人の私には合わないかもしれない。ドライフラワー屋かとみまごうばかりの乾いた草たちが細長い店内に飾られていて特別な感じがした。結局買ったのはそのハンドローションだけ。
 数年後再び訪れた時にも店はあった。どこかうらぶれた感じがしていたが、あのローションを買った。あの頃、肌に優しいんですよと胸を張っていたのに、数年間の間にハーブを使ったスキンケア商品がチェーン展開されるようになり、その店は完全にその流れから外れた小さな個人商店になっていた。一代で大きな会社に成長するのもあれば、創業者だけが細々と続け後は廃業だけというケースもあるのか、などと考えさせられた。
 ちょうどBodyshop全盛の時代だったのである。同じショッピングモールの奥にBodyshopは店を構えていて、入り口のハーブショップとは比べ物にならない人気だった。すっきりした店内。インテリアは強い色同士の掛け合いで、容器がシンプルなのは変わらないが、サイズ違いを整然と並べているところは好感が持てた。入り口のハーブショップが店内をナチュラルにドライフラワーや麦わらなどで飾り立てて、自然を神秘的で治癒を目的にした感じにしていたのとは大違い。入り口の店の方が好きだったけれど、時流に乗りたい気もして、くだんのあおい爪磨きベアーを買ったのだ。

 結婚する時、このベアは実家に置いてきた。洗面所のシンクに置いておくと、必ず父が蛇口の先端に移動させた。あの人にはそういうところがあった。シンクの止水栓もそうで、気がつくと蛇口の先っちょに今にも落ちそうに置かれている。父が亡くなって、結婚して、子供も産まれて、帰るたび洗面所を使うが、青いベアは蛇口に立つことはなかった。立っていることすらない、要らなそうに洗面所のあらぬ場所に転がっていることが増えた。

 今台所にあるのは、その時の爪磨きベアでどういう経緯で持ってきたか覚えていないが、ここにあるのだから私が持ってきたのに違いない。そして、台どころの蛇口の横で、いつもこちらを見ている。多少汚れてはきたが、本来の目的はまだ十分果たしている。魚を扱った時や、庭いじりの土が爪に入った時、これをラベンダーの強洗浄力の石鹸にこすりつけガシガシと手を洗えばスッキり落ちる。灯油を使った手も一回で匂いが落ちる。
 使った後は感謝を込めてベアもブラシでひと洗いし蛇口のわきに立たせる。たたせた瞬間にそれはものじゃなく、父との思い出を仲介した人物になるのだった。

 ガラスの吸い口のキャップとか、ピンセットの先端カバーとか、そういうものはパタンと倒れてコロコロ転がればどこかへ行ってしまう。そういうものも父は、作業した場所の端っこに立てておいた。その座卓やテーブルの足に膝がぶつかれば倒れてしまいそうな場所にあえて置くのだった。自分が歳をとり、何事も合理性だけじゃ嫌だなぁなどと考えるようになった時、父のその癖が何かを象徴してないか、記憶をだどるようになった。まだ見つかっていないが、いつか孫の癖に同じようなのを見つけるかもしれない。考えれば考えるほど、おかしな癖に思える。
 三十代に入って勤めていた会社の権力争いに巻き込まれ辞めざるを得なくなった。多少の退職金が入ったから、父をアフリカへ誘った。かねてか父は死ぬまでに行きたいと言っていたのだ。会社の後輩にアフリカ人の彼がいる子がいてサファリツアーの会社を立ち上げる準備をしていた。退職金はちょうど二人で行けるだけ金額だった。心が疲弊していた。長く仲間と思っていた上司に手痛く裏切られためだ。ここで心機一転、違う生き方でもしようかと、父を気分転換に誘ったのだが、父はうにゃむにゃ言うだけで首を縦にふらなかった。結局、私は一人で、四度目のケンブリッジへ行った。父がなぜアフリカに行かなかったのか、いまだに理由がわからずモヤモヤしている。
その頃、脳梗塞の後遺症で、わずかに不随が残っていたせいかもしれないが、イギリスに期限を決めずに渡航するときエアポートバスの駅までトランクを自転車に乗せて運んでくれただから、十分行けたとおもう。

 今日のお菓子は成功の部類だ。
 上にレモンピールをふりかけた。
 父が亡くなって、もう29年経つ。爪磨きベアが目に入るたび、それを立たせる父の不思議な癖と、アフリカにいかなかった訳のことを考える。でも今年はなぜかその父のおかしな癖と行かない意地が、私の息子のそれように身近に感じる。

 物を捨てられない私は、アラカン失格かもしれない。
が、こんな過去の詰まったものを捨てるなんてできない。その代わり、うちの爪磨きは、青いベア一択。他のが来たことはない。うちはそんな、ものばかりに囲まれている。

 おかげでいつまでも思い出から抜け出せない。
 そして自分も連続している過去の一部だと感じずにはいられないのである。歳をとると頭の中の記憶が騒がしい。チョコバナナケーキの話をするのにもいろんな記憶が芋づる式についてきてしまう。

 そう、だからこのレシピは、記憶のためのもの。
 ビーガン用のオートミールで小麦を代用し、砂糖不使用でも作れることを添えておく。


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