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NIWAのはなし(VI)〜ペチュニア談〜

 昨年末に一念発起して、植木のうわっている箇所にウッドチップの小道を作ってから半年がたった。土をいれることを忘れていた箇所に道を作り、そこから盛り土をする計画でまずは無計画に植えていた宿根草の植え替えを行った。それで改めて長いこと顔をださなかったアガパンサスの球根の状態を確認すると、十分に元気があることがわかった。しかし二年の間葉すら出なかったので、ここに油粕と鶏糞を混ぜたりなどをした。
 写真は今年、芝の張り替えをするためそれまでの芝を引き剥がした状態。弱った株のあいだから雑草が出ていたから、今年はそれと格闘しなければならない。

 手入れの途中の華々しい成果はないけれど、わかったことも結構ある。まずは除草作業の難しさだ。草を刈る、抜くにはそれがなんの草なのしっていないといけない。そうでなければようやく顔を出した待ちに待った植物の新芽でも抜いてしまうこともあるからだ。そして、枯れた枝も要注意だ。ラベンダーやシロタエギクは、枯れた枝の先から新芽を吹き出し花芽をつける。枯れた箇所には旺盛には葉は茂らないけれど、脇芽が出る可能性がある。枯れて見苦しい部分を切り取るのはそれからでも遅くない。
 この点は、ガーデニングをするとき自分がどんな庭が欲しくて何のためにやっているのかという哲学的で袋小路な自問自答に舞い込むポイントの気がする。
 美しい庭にしたいのなら一年草をそここに植えるのが正解だ。幼稚園や学校の花壇的な植え替えする寄せ植え的庭はきれいにととのえられていて美しい。しかし経済的で、そして鬱蒼としげった深い緑のイングリッシュガーデン的な庭にあこがれると、やっぱり宿根草は逃せない。そして宿根草は花のある時期とそうでない時期で大きく風景が変わる。それが醍醐味で自分で育てたペットのような感覚がある。
 例えばペチュニア、サフィニアは宿根草の種類には入れられていない。ふつうは一年草扱いだ。しかし実際育ててみると翌年も生育することがわかった。コロナ前ケンタッキーのホースセールで円形に吊るされたペチュニアのハンギングをみて憧れた。思えばイギリスのパブといえば町外れの辻にたつ煉瓦造りの建物、そして目に鮮やかなペチュニアのハンギング。それらはまるで日本の造り酒屋の杉玉ごとく、大きい。春に発芽させ夏までに一年でそこまでになるのかはわからないが、どう考えてもあり得ないと感じる。

[2019、ケンタッキーにて。おっと写真の花はゼラニュームだった!しかしこの脇におなじように大きなペチュニアのハンギングがあった。]

 海外でみたそんなペチュニア、サフィニアたちを思い出し、去年一鉢から株を増やした。3月から株を増やしたサフィニアたちは成長にエネルギーをつかい開花するのに時間がかかって十月半ばにやっと開花させた。元株は早くから花を咲かせていたから、長く花たちを楽しむことができたので結果よかった。このため花が終わってももったいなくて枯れた枝を片付けられずにいたがそれが今年の春は功を奏した。
 春が活発になり放りっぱなしだった鉢を片付けようとした時、枯れた茎の根元に若芽が出ているのを発見した。細かい枯葉を片づけ、土に養分を与えるとあっという間に枯れていた茎から新しい芽が吹き出し花芽まで付け出した。これでサフィニア、ペチュニアは一年草ではないことがはっきりした。
 これを書くにあたって、イギリスのサイトを確認した。やはり「技術的には多年生である」という切り口で書かれている。葉を枯らせ花をさかさない休眠期にはいるため死んだように見えるが、休んでいるだけだから日光に当て肥料と水を与える必要があるという。日本との緯度の差があり調整は必須と思われるが、これで冬越しができることが確実となった。これに加え、つれあいは厩舎のランニングマシンのネットの壁でペチュニアを育てているが、彼は去年種をとったという。ペチュニアといえば枯れた花は汚らしくぶら下がるからすぐに外すのがガーデナーの鉄則のごとく言われているが、彼は枯れた花芽を放っておき、朝顔に似た種子を採取したという。まだ撒いていないはずなのに既に満開のハンギングもあって、こぼれ種があったらしい。

 日頃から計画性があまりなく、成り行きにうまく便乗しているようにしか見えない夫だから、あまり耳を貸したくないのだが、ワンサと咲いているビタミンカラーのペチュニアをみると認めざるをえない。
 ここが美追求型ガーデナーと成果納得型ガーデナーの格差でもある気がする。しかしどんな物事の瞬間にも、美しい瞬間とそうでない瞬間がある。美しさだけを追求していたらペチュニアの枯れた枝は切ってしまっただろうし、シロタエギクも抜いてしまっただろう。ラベンダーも、少し我慢すればうさぎのような二片の花弁をつけたバイオレットの花がシルバーの古色の葉の先に咲いたのに、汚らしいと抜いてしまったかもしれない。

 虫と、土汚れと、枯れ葉と、もろもろの汚れにまみれてもなお、庭にいつづける・・・・。その意味は未だにわからない。
 けれど、人口でなく、自然に芽吹いた花はなににも変え難い美しさがあって、汚れる土いじりには頭では理解できない爽快感と安心感を味わえる。オチがない日記になってしまった。

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