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安倍晋三元首相狙撃事件に思う

 トリシアが突然「shizo abe」と言った。彼女は日本語が話せないフィリピンから来たALT。一方の私は聴力が悪くて日本語さえ真面に聞き取れないICT支援員。彼女の流暢な「シゾ・アベッ」が分かるはずはない。聞き直してもわからない。彼女はスマホで安倍晋三の記事を私に見せる。彼女のスマホは英語ばかりだが「shizo abe」が安倍晋三を意味していることは理解した。この時点では勤務時間中であるがゆえに安倍元首相の狙撃事件を知らない。
 毎年変わるALTと仲良くなっている。トリシアともスマホの翻訳アプリでよく会話をする。お互いの家族を紹介したり彼女の仕事の支援をしている。特に彼女とした話の中で政治の話が印象に残っている。私がドレルテ前大統領やマルコス元大統領の息子の現大統領についてどう思うか尋ねた時に、彼女はキッパリとした態度で両方ともに「好きではない」と答えたことが印象に残っている。彼女をリベラルな人間で好ましいと感じている。突然「安倍晋三」が話題にのぼったので「嫌いです」と日本語で言った後「I hate him.」と言い換えた。英語で理由を伝えようとスマホを取り出して狙撃され心肺停止状態になっていることを知った。
 私が安倍晋三元首相を快く思わない理由は、官僚が安倍首相に忖度する形で善良な役人を自殺に追い込み、説明責任を果たさず、自分の友人の大学設立に権力を使った嫌疑にもシラを切り、選挙活動で告訴されそうになると部下の一存でやったことだと言った。アベノミクスと言われる経済政策も金持ちを優遇する政策で日本経済力を低下させた責任があると私は思っている。私は反対だった東京オリンピックを誘致した張本人であった。戦争放棄の憲法に違反する安保法制や言論の自由を取り締まる特定秘密法を成立させ、防衛費を倍増しようとしてきた政治家で好きにはなれない。ただし、国民が選挙で選んだ政治家だから非難はしても暴力に訴えるべきではない。
 こんな日本語を英訳して彼女に送ろうとしたがニュースを見てやめた。政治家暗殺という直接暴力の被害者に向ける言葉としては不適切だと考えたからである。
 この日,夕方のニュースで彼が亡くなったことを知り、冥福を祈った。確かに保守のリーダーである安倍晋三を恨んだ覚えはある。税金を彼らの考えだけでオリンピックや防衛費増額に使ったのは憤りを覚えるが、民主的な選挙を通して総理大臣になって行った政策に反対意見は言っても個人的に恨んではいけないと思っている。
 新聞で狙撃事件に対する有識者の見解を読んだ。5.15事件を連想する記事が多く、SNSの影響も否めないらしい。515事件は財閥と腐敗した政治に対する怒りが財閥と政党に向かい、裁判にかけられた青年将校達への助命活動まで起きた。社会が弱者と強者に二分され持って行き場のないマグマのような怒りが根底にある点が現在と似ているらしい。しかし、今回の犯人に大衆の不満や圧政に対する怒りは感じない。ただし、現代社会のもつ戦争に突き進んでもおかしくない危険な日本社会の閉塞感は確かにある。どう足掻いて正当な意見を言っても取り上げられない。政治家が悪いことをしても闇から闇に葬られる。国民の多くはそんな気がしている。
 こう思ったが、献花台に向かう行列を見た時(ネットに掲載された新聞社のもの)、私の政治に対する意識は少数派だと思い知らされた。非業の死を遂げた安倍晋三と言う政治家は国民の多数に支持されていたらしい。オリンピックも安保法制も特定秘密保護法も支持されていたと理解した。そして、森友学園や加計学園や桜を見る会に国民はそれほどの怒りを感じていないことを感じた。

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