何清漣氏;★国連と西側諸国の距離は開きゆくばかり――75周年に想う 2020年7月1日
今年は、国連創立75周年です。が、「70歳の誕生日」を盛大に祝った5年前とは異なり、欧米諸国は政府もマスコミも、国連の誕生日を祝う気分ではありません。
理由は簡単で、今年は2つの事情で、アメリカや欧米諸国では国連への不満が高まっています。国連傘下の世界保健機関(WHO)の行動と中国との曖昧な関係は、欧米の間で批判を受けてきました。
もう一つは、中国が4月1日に国連人権理事会の諮問グループメンバーになったことです。 まるで放火魔を消防団員に誘っただけでなく、同委は、米国のフロイド事件で米国非難までやってのけました。 この委員会は、中国の文化大革命についても、天安門事件についても、何十年も沈黙していたというのにです。
米国が次第に離れていくにつれ、国連の財源と実行力に問題が生じます。
★国連と米国が疎遠になる背後の中国ファクター
今世紀に入ってから、国連と米・中両世界大国との関係は微妙に変化してきました。国連での中国の立場は、実は当初は米国に助けられいました。
1970年代後半から1980年代前半の米・中関係正常化後、人権問題、国際貿易問題、台湾問題、中国の外交や 安全保障政策、双方とも調子を合わせてうまくやるのに苦労はしましたが、それでも、接触と協力という関係が成立していました。
1989年天安門事件は、このもろい関係を揺るがし、老ブッシュ政権は、中国との経済援助や軍事関係を一時的に中断し、公式な接触を減らしました。しかし、この時期はすぐに過ぎ去り、老ブッシュ大統領の特使が中国を秘密裏に訪問したことで、関係は緩和されましたた。
その後、クリントン大統領と江沢民国家主席は、長期的な接触の「パートナーシップ」を進めました。 「接触」政策の最重要ポイントは、いわゆる「世界最大の先進国と世界最大の途上国との自然な補完関係」に基づき、両国間の経済的・社会的相互依存を高めようとするものでした。
この戦略は、社会的・経済的相互依存から生じる互恵関係が、戦争の可能性を減らし、永続的な平和をもたらすという理論に基づいていました。
政策の主な戦略は、「中国をルールに基づいた国際システムに統合する」ことでした。 米国の支援を受けて、中国は、ほぼすべての国際機構や組織に参加し、戦後の国際秩序に完全に入り込みみました。
しかし、中国は、他の国と同様に、国際秩序のある規範に疑問を持ち、「自国に都合の良い平和」を引き出そうとして選択的に違反したり、ルールを遵守したりして使い分けました。 国際システムの抜け穴を突くのは中国の利益になったのです。
こうした行動は、中国が十分な経済力を持たないうちは、国連内でも比較的抑制されていました。しかし、WTO加盟後、中国の経済力が急成長し、中国は「影響力の買収」に乗り出したのです。 最初のテストケースは、国連人権委員会(人権理事会の前身)でした。
国連人権委員会は、世界の人権状況を監視する機能を持って1946年に設立されました。 1992年の第48回を皮切りに、会員数は53名となり、輪番制となりました。このシステムは、人権記録が劣悪な国家につけいる隙を与えました。例えば、キューバ、パキスタン、サウジアラビア、スーダン、ジンバブエなどの国家が、皆、国連人権委員会のメンバーになったのでした。
中国はこれらの国々と人権批判に対抗して不当な同盟を結んでいるだけでなく、アフリカや中南米などと経済援助などの手段を使って利益同盟を結び、何度も中国の人権状態に対する批判を阻止するのに成功しました。
中国のコントロール下で、米国の中国人権批判は何度も通過を阻止され、スーダンやジンバブエなどでは、深刻な人権侵害問題が発生したにもかかわらず、批判を阻止することができたのです。
むしろ、人権という概念を真に擁護する国は、人権委員会では孤立した少数派になってしまいました。人権委員会におけるこれらの専制国家にとって大きな勝利となったのは、劣悪な人権記録を持つ多くの加盟国を糾合した中国をフランスが支援したこともあります。 米国は、2001年5月3日の委員会委員の再選を機に、人権委員会から除外されてしまいました。
人権委員会が、専制国家による人権侵害のクラブへと堕落したことは、世界を代表する多くの人権団体を怒らせ、非難の声を浴びています。こうした道義的な圧力のもとで、2005年4月7日、当時のアナン国連事務総長は、国連の再編成要求を提出しました。
;国連人権委員会が義務を果たせないことが、国連全体のイメージを損なうとする人権委員会の提案。 唯一の解決方法は、この不毛な機関を廃止し、新たな人権団体を再興し、世界の国連への信頼を回復することが唯一の解決策であるとして、生まれたのが、今の人権理事会です。当時、米国は参加を拒否しましたが、最後に、英国などの懸命な説得で、なんとかこの機関に留まっています。
★米・中綱引きの下、国連の目標はますます希薄化
国連加盟193カ国には、欧米の民主主義国のほか、形式的には民主的でも、実際には多かれ少なかれ権威主義的な国や(アジア、中南米、アフリカ)、中東の一部の宗教独裁政権が含まれています。
アメリカが力を持っていた時は、民主主義を推し進めたので、国連は協力するしかなかったのです。 しかし、中国が金で世界中の影響力を買うようになってからは、国連は、アメリカの外交政策や価値観を広めるためのツールではなくなりました。
中国は国連の5つの常任理事国の一つとして、しばしば拒否権を行使しました。 例えば、シリア問題で国連を無力化するためにロシアと6回も手を組み、最終的には中東の混乱は深まり、難民問題は世界に影響を与えています。
米国は以前から国連に不満を持っており、最初に公然と態度表明したのは、先日トランプ大統領と著書を巡ってトラブルになったボルトン元国家安全保障顧問でした。
ボルトンの国連に対する大部分の否定的な態度、彼の考えや態度については、私は、『ボルトン:間違った時に生まれたグローバル戦略家』で書いた( 2019年9月16日(SBS)に掲載された記事に書きました。
1996年、ボルトンは、早くも『国連の創造と興亡』(The Creation and Rise and Fall of the United Nations)を公刊し、国連に対して率直な意見を述べています。
「米国には国連のプログラムを支援する義務はなく、国連は米国の核心的利益の守護者となりうる唯一の組織である」と指摘しています。まさにこの点が、トランプ大統領が彼を国家安全保障補佐官に指名するのに十分なほど彼を気に入っていた理由です。
具体的には、中国は、新自由主義の経済秩序が基盤としていた仮説である、マーケットや私有制、自由貿易の働きを認めていません。国家のコントロールや政府の干渉がより大きな働きをすると見ていたからです。一部の人々は、この重商主義的なやり方を「中国モデル」、「北京共通認識」として、米国の「ワシントン認識」と対比しました。また欧米でも多くの人々がこの見方に賛同し、米国の認識と競合する勢いでしたから、これは確かに米国にとっての脅威となりました。
米国が世界の指導者足り得たのは、ただお金を出して、発展途上国を援助するだけでなく、より重要なことは、米国が「民主主義の灯台」の働きをして、非民主国家の人権状態の改善をその使命としていたからです。さもなければ、米国があのように巨額の金銭を投じたとしてもその意義は大きくありません。
こうした見方は、米国にはずっと存在しており、トランプ氏は、選挙戦においても、ホワイトハウスの主人になってからも、国連に対して多くの批判を続け、国連を「民主主義の友ではなく、自由の友でもなく、アメリカ合衆国の友ですらないのに、アメリカに居座っている」とさえ言いました。
大統領になってからのトランプは、国連分担金に対して極めて不満でした。2017年4月には、「米国は国連の193国のメンバーの一人にしか過ぎないのに、22%もの国連の通常予算と国連平和維持費の3割を負担している。これは不公平だ」と述べました。
トランプ氏はホワイトハウス入り後、以下の国際条約・機関から脱退しました。
:環太平洋経済連携協定(TPP)、2017年1月23日に廃止。
;パリ気候変動協定からの脱退(2015年末、2017年6月締結 2017年10月12日、米国務省の脱退声明)
:ユネスコからの脱退(2017年10月12日国務省声明)
:イラン核JCPOA(2018年5月8日)
:国連人権理事会脱退(2018年6月19日 )
TPPを除いて、すべての離脱発表は、その機関にとって大きな経済的損失を意味しています。今年に入り、WTOへの資金提供の継続をやめることが発表されており、いつ復帰するかは不明です。
米国の脱退の理由は複雑そうに聞こえますが、実際にはただ一つ、今の世界情勢は国連が設立された75年前とは全く違うということです。
昔に比べると国連自体の機能が変異し過ぎて、米国の外交政策に全く役立たなくなっているのです。 国連が過去に影響力を持っていたのは、アメリカが資金だけでなく、人的・物的資源も貢献して重大な決議を支援していたからです。 米国の支援がなければ、国連はもはや執行能力を持たないのです。
1945年6月、国際紛争の平和的解決のための枠組みとして国連が創設されたのは、当時の 国際情勢がそれを求めていたからです。しかし、今日の世界情勢は大きく変化しています。国連は、この点を正視しなければなりません。
この75年の間に、朝鮮戦争終結後の長い冷戦、1960年代のアフリカでの国内・国際紛争、中東での戦争など、世界は多くの大きな出来事を経験してきました。
1960年代のアフリカの民族解放運動、1968年のパリでの「5月革命」以降の欧米の左翼運動、冷戦終結後のグローバリゼーションは、高まりと引き潮の両方を経験しました。
国連には、現在以下のような主要機能しかありません。それは、
●アフリカの貧困援助。
●何年にもわたって解決の目処の立たない、いわゆる気候変動問題。つまり、終わりのない、しかしコストのかかる貧困問題に恒久的な解決策を提供すること。
●西側先進国に何千、何万、何百万人もの、戦乱国家からの難民や貧困国家からの経済移民を引き受けるように要請すること。そして最後には、先進国の政治的・文化的な生態系を恒久的に変化させ、その国の内紛の種を蒔いてしまうこと。
結局、アメリカやイギリスを始めとする主要な国際連合創設国は、国際連合を通じ、自分たちの外交政策を追求できないだけでなく、お金を出す機能だけだということを発見したのです。
これと同時に、米国の国連における影響力はますます弱まり、中国の影響力はますます大きくなりました。この種の影響力は当然、金銭によって購入されるものでした。この種の「購入」が米国と違うのは、米国が払う会費や各種の費用は、長年のうちに当たり前のルールになってしまい、米国がたくさんの費用を出すのは当たり前になってしまっていることです。
これに対して、中国は違います。ルール外の「ボーナス」なのです。受益機関や国家は、腹の中では中国のお金は一時的な買収資金だと分かっています。もし中国が欲しがるものを自分たちが提供しなければ、もう2度ともらえないと知っています。
トランプ大統領は何度も、中国がWTOに拠出している金額は、米国の十分の一、しかし、WTOはずっと中国の言い分を聴いてばかりいるのは、わけがわからないと愚痴っています。
世界に、不滅の国家など存在しませんし、不滅の組織や機関も存在しません。 今日、もし国連が自らの立場を正すことができず、中国の影響力を合理的な範囲内で制限することができず、米国や他の欧米諸国が資金の大部分を拠出し続けるだろうと考え、中国が国連でほしいままにその計画を広げ、膨大な国連官僚たちが、毎日「気候変動、全世界の健康、アフリカ援助、難民援助」ばかり延々と討論し続けるならば、必ずや、もう今すでに存在する財政危機に直面し、存続の危機にいたるでしょう。
国際社会は、肥大化した非効率的で動きの鈍い国連という組織に代わる、より安価で効率的な組織を再構築することができるはずだからです。(終わり)
原文は、联合国与西方国家日行日远——写于UN75周年生日之际
联合国与西方国家日行日远——写于UN75周年生日之际
2020年7月1日
今年是联合国成立75周年,与五年前大张旗鼓庆祝70岁生日不一样,今年西方国家无论政府还是媒体,都没有兴致为联合国庆生。
原因很简单,今年两件事情让美国与西方国家对联合国比较不爽,一件是疫情上,联合国下属机构WHO的表现,以及与中国的暧昧关系让美国与西方国家颇有意见;另一件则是中国于4月1日获任命加入联合国人权理事会协商小组。除了邀请纵火者加入消防队之外,联合国人权理事会还干了一件坏事,因弗洛伊德事件谴责美国警察暴力——此前几十年,无论是就中国文革还是六四事件,这个委员会一直保持沉默。
由于与美国渐行渐远,联合国财源与执行力都成了问题。
联合国与美国渐行渐远背后的中国因素
从世纪之交开始,联合国与美中这两个世界大国之间的关系发生微妙变化。
中国在联合国的地位,其实最初是美国帮助得到的。
70年代末到80年代初中美关系正常化后,无论是人权、国际贸易、台湾问题还是中国的外交和安全政策,双方都难以契合,但还是确定了接触与合作为主调的两国关系。1989年天安门事件一度动摇了这种脆弱的关系,老布什政府暂时中止了对华经济援助和军事关系,减少官方接触。但这段时期很快过去,在老布什派出特使秘访中国之后,关系缓和。此后,克林顿和江泽民着手推进当初所构想的长期接触的“伙伴关系”,“接触”政策中最重要的一点,是基于所谓“世界上最大的发达国家与世界上最大的发展中国家之间的自然互补”论断,来提升两国之间经济与社会的相互依存度。这一策略基于一种理论,即社会和经济相互依存产生的互惠将减少战争的可能,产生持久的和平。接触政策的主要策略,就是“将中国纳入基于规则的国际体系”。在美国的支持下,中国几乎加入了所有的国际机制和组织,全面融入战后的国际秩序中。但是像其他国家一样,中国也会质疑某些国际秩序规范,有选择地违背或遵守规则,试图从自身的利益出发钻国际体系的空子。
这些,在中国不具备足够的经济实力以前,在联合国内还比较克制。自从加入WTO之后,中国经济实力迅速增长,因此开始购买影响力。这种购买影响力最初在联合国人权委员会(人权理事会的前身)试水。联合国人权委员会成立于1946年,功能是监督世界人权状况。从1992年第48届会议起,成员增至53个,实行会员国轮换制。这一制度为人权纪录恶劣的国家提供了制度上的缝隙,一些人权记录恶劣的国家例如古巴、巴基斯坦、沙特阿拉伯、苏丹和津巴布韦等国,都赢得了联合国人权委员会的席位。中国不仅与这些国家结成了反人权批评的非正义同盟,还通过经济援助等方式与非洲、拉美等会员国结成了利益同盟,多次成功地阻止了对中国等国人权状态的批评。在中国操控下,美国谴责中国人权的议案好几次未被通过,苏丹、津巴布韦等国家出现了相当严重的践踏人权的问题,但该委员会却成功地阻止了对这些国家的批评。真正倡导人权观的国家在这里反而成为受孤立的少数。上述暴政国家在人权委员会赢得的一个重大胜利,是法国支持中国纠合许多人权纪录恶劣的会员国,利用2001年5月3日该委员会成员国改选之机,将美国排挤出人权委员会。
人权委员会堕落成暴政国家践踏人权的俱乐部,让世界许多著名的人权组织愤怒不已,指责声音四起。在巨大的道德压力下, 2005年4月7日,时任联合国秘书长的安南提出一项要求改组人权委员会的提议,指出:联合国人权委员会不能胜任自己应尽的义务,破坏了整个联合国的形象,唯一的解决办法就是废除这个病入膏肓的机构,重新建立新的人权机构,恢复世人对联合国的信任。这个新的机构就是2006年成立的人权理事会,当时美国拒绝参加,最后在英国等竭力劝说下,才勉强留在这个机构。
中美角力之下,联合国的目标日益虚化
联合国成员国共193个,这些国家有西方民主国家,还有一些形式上民主,但实际上多少具有威权性质的国家(亚洲、拉美、非洲均有),还有中东一些宗教独裁国家,美国处于强势时,向外推行民主制,联合国不得不配合。但等到中国用金钱在世界范围内购买影响力时,联合国不再是推行美国外交政策与价值观的工具。
作为联合国五大常任理事国之一,中国经常行使一票否决权。比如在叙利亚问题上更是与俄罗斯六度联手,让联合国在叙利亚问题上无所作为,终于酿成后来的中东乱局,难民问题影响世界。
美国早就对联合国不满,最早公开表态的就是最近与川普闹得沸沸扬扬的前国家安全顾问博尔顿。博尔顿对联合国的基本否定态度,他的思想与态度,我在《博尔顿:生不逢时的全球战略家》(原载SBS,2019年9月16日)一文中有介绍。早在1996年,博尔顿就公开发表《联合国的创立与兴衰》(The Creation, Fall, Rise, and Fall of the United Nations)一文,直接表达过对联合国的看法。他指出,美国没有任何义务支持联合国的各项计划,联合国只有在维护美国核心利益方面,才是有用的。也正因为这一点,川普才看中他,提名他当国家安全助理。
再具体到中国问题上,中国质疑新自由主义经济秩序所依据的一些假设,比如市场、私有制、自由贸易的作用并不认可,而是主张国家控制与政府干预发挥更大的作用。一些人将这一更重商主义的方式称为“中国模式”或“北京共识”,与美国支持的“华盛顿共识”形成对比,还得到美欧等国不少人的赞同,形成竞争之势,这点确实让美国感到威胁。美国的世界领导责任,不仅在于出钱出力帮助发展中国家,更在于它具有的“民主灯塔”作用,改善非民主国家的人权状态是其使命,否则,美国付出如此巨大的金钱就意义不大。这种看法在美国一直存在,川普无论是在大选中还是在入主白宫之后,对联合国没少批评,他甚至指责联合国"不与民主为友,也不是自由的朋友,甚至不是美利坚合众国的朋友,却把家安在美国。"成为总统后的特朗普,对美国每年承担的联合国费用极为不满。2017年4月,他表示:"我们美国只是联合国193个成员国中的一个,却负担22%的联合国常规预算和近30%的联合国维持和平费。这不公平。"
失去美国,联合国不再有执行力
川普入主白宫之后,先后退出的国际条约与机构计有:《跨太平洋伙伴关系协定》(即TPP,2017年1月23日废除);退出《巴黎气候变化协定》(2015年底签订, 2017年6月退出);退出联合国教科文组织(2017年10月12日,美国国务院声明退出);退出《伊朗核问题全面协议》(2018年5月8日);退出联合国人权理事会(2018年6月19日)。
除了TPP之外,其余每宣布退出一个,就意味着这个机构少了一大财源。今年已经宣布停止继续资助WTO,何时恢复不知。
美国退出的原因说来复杂,但其实就一个:如今的世界形势已经完全不同于75年以前成立联合国之时,联合国本身功能的变异,已经完全不能为美国的外交政策服务。而联合国过去之所以有影响,就在于美国不但出资金,还出动人力物力支持联合国的重大决议。一失去美国支持,联合国不再有执行能力。
联合国必须正视一点:1945年6月,创建联合国作为和平解决国际争端的框架,是适应当时的国际形势需要,如今世界局势发生很大变化。
在这75年当中,世界经历过许多大事件,朝鲜战争结束后的长期冷战、60年代非洲的民族解放运动、西方国家在1968年巴黎红五月之后的左派运动、冷战结束后的全球化经历了高潮又再到低潮,联合国现在只剩下几个主要功能:永久性地非洲扶贫;就永远无法解决、但耗资巨大的所谓气候变化问题年复一年地扯皮;要求西方发达国家成千上万甚至上百万地收留战乱国家的难民、贫穷国家的经济移民,最后永久性地改变了这些发达国家的政治文化生态,种下这些国家的内乱之根。联合国的几个主要创始国美国、英国等最后发现,通过联合国,不仅无法推行本国的外交政策,只剩下掏钱这个功能。
与此同时,美国在联合国的影响越来越弱,中国的影响越来越大。这种影响当然主要是金钱购买,这种购买与美国不同,美国的会费与承担的各种费用是多年形成的规则或不成文规则,美国拿得再多,世界各国视为理所当然;而中国的购买,则是规则之外的“恩赐”,受益的机构与国家都心知肚明这是附带政治条件的一次性买卖,如果不为中国提供中国想要的,就没有第二次机会。川普多次埋怨说,中国付给WTO的资助不及美国十分之一,但WTO却一切都听中国的,就是不明白(或者说没说破)这二者之间的差别。
世界没有不灭之国,也没有永生的组织与机构。时至今天,联合国如果不能摆正自己的位置,不能将中国的影响限制在合理范围内,想继续维持美国等西方国家出经费大头,却让中国在联合国大展“鸿图”,让庞大的联合国官僚集团坐在那里每天讨论“气候变化、全球健康、非洲扶贫、接收难民”,就必须面对已经存在的财政危机,直至生存危机,因为国际社会完全可以重新建立一个更廉价高效的组织来替代臃肿低效、行动迟缓的联合国。
作者:何清涟,中国经济学者,现居美国。
以上为作者观点,不代表本台立场。