程暁農★米・中新冷戦は始まったのか? 2020年6月4日

 現在の米・中の対立を新たな冷戦とするならば、 何度目の冷戦なのか?  中国とアメリカの冷戦で、 実際に「最初の一発」を撃ったのは誰なのか? これらの疑問には、 過去70年間の米中相互の関係を簡単に振り返ってその答えを見つけたい。

 最近では新冷戦、 つまり「第2次冷戦」や「冷戦2.0」がメディアのキーワードになっている。 「冷戦」とは、 当初は米・ソ冷戦の名残であるロシアと欧米の対立を指していたが、 最近では米・中対立を意味する言葉になった。

★⑴ 新冷戦への予言から新冷戦の始まりまで

 「米・ロ間の新冷戦」という言い方が最初に登場したのは、 2014年後半、 ロシアがウクライナ東部の住民にロシア編入を促した時だ。 米・フロリダ州のルビオ上院議員のコメントに代表される。

 今となっては、 そのような言い方は大袈裟と考えるべきだろう。 これとほぼ同時に、 新たな冷戦の予言があった。 米・中間の冷戦だ。
米ロ間の新たな冷戦は勃発していないが、 近年、 米・中の新冷戦の話は、 ますます増えている。

 昨年6月、 ニューヨーク・タイムズ紙は「第2次冷戦を避けるには遅すぎるのか」という記事を掲載した。 そのわずか1年後には、 米・中間の新たな冷戦の予言が現実のものとなったようだ。

 欧米のメディアで、 米・中間の冷戦について頻繁に取り上げられるだけでなく、 今や中国共産党幹部やマスコミでも、 米・中新冷戦のという概念が用いられ始めた。

 今年5月26日にフランスの新聞「リベラシオン」に掲載された記事の中で、 北京の時事解説者が「新型コロナの流行が国際舞台での北京の孤立を激化させている」と述べたことを伝えた。 国際舞台での北京の孤立は、 国家イメージをひどく傷つけ、 新たな冷戦の影を落としている。

  米・中新冷戦の可能性は、 多くのウォッチャーたちが恐れていることだ。 ” そして、 共産党の公式対外プロパガンダ・メディア「多維ニュースネット」は今年5月23日、 「【ホワイトハウスの対中戦略的アプローチ】新冷戦宣言:勢い余って、 正当化できず」を掲載した。

  中共の公式見解を示すこの記事は、 トランプ政権の5月20日に議会に提出された「中国に対する米国の戦略的アプローチ」と題する報告書は、 中国に対する戦略方針であ理、 中国への戦略的アプローチであり、 事実上の「新冷戦宣言」だとしている。

 実のところ、 冷戦の始まりは宣言など必要としない。 歴史上の全ての冷戦は宣言で始まったわけではなく、 一連の行動から始まる。

 ★⑵ 米・中間の冷戦は、 何回目?

 米・中間の新冷戦が第2次冷戦であるという言い方は、 過去に冷戦が、 米・ソ間での一度だけだったということを前提にしている。 今まではこれが大多数のオブザーバーや学者のコンセンサスだった。

 しかし、 この見方は欧米中心の視点であり、 アジアの視点に切り替えれば、 世界には複数の冷戦があったことがわかる。 むしろ5回あったと言える。 そして、 5回ともアメリカと中国が関係していたのだ。

 冷戦とは大国間の政治的・軍事的緊張のことで、 米ソ冷戦時のNATOとワルシャワ条約諸国の対立(代理戦争を含む)や、 アメリカと中国のように、 2つの大国間で起きることがある。 この種の状況は、 米・中間では計5回起きた。

 中国共産党が初めて「冷戦」に突入したのは朝鮮半島だった。 1949年に金日成に韓国を攻撃するための主力歩兵部隊を提供し朝鮮戦争が勃発した。 この戦いの中で、 中国共産党はソ連の代理人の役割を果たし、 アメリカ人を中心とした国連(UN)軍と3年間戦った。 国連軍の司令官である米陸軍のマッカーサー元帥は、 軍事的勝利のために中国の北東部への 核兵器攻撃を提唱し、 トルーマン大統領に罷免された。

 中共が2度目の冷戦に突入したのは、 1958年夏の金門砲撃戦の時で、 金門島の国民党支配下の領土を大量に砲撃した。 アメリカ陸軍は、 国立陸軍の輸送船を護衛するために第七艦隊を発進させた。 毛沢東は当時、 ソ連のフルシチョフ書記長に、 米軍の地上部隊を福建省に上陸させるために米艦隊を砲撃することを提案していた。

 中共軍は戦って退却し、 米軍を本土内地に引き込んだ後、 ソ連が中国に核兵器を持って攻撃して米軍を全滅させることを希望したが、 フルシチョフは、 これを断った。 米・中の軍事衝突が迫っていた当時、 米艦隊は米中の交戦を避けるために、 陸上慎重に離脱した。

 中共が戦った第3次冷戦は、 1965年に南シナ半島の北ベトナム軍を支援して南ベトナムを大規模に攻撃したものだ。 北ベトナムは中国共産党の代わりに米軍に挑んだ代理戦争だ。 この戦争では、 中共は大規模な工兵隊や高射砲を配備して、 北ベトナムの輸送施設を建設し、 上空防衛を行い、 北ベトナムを爆撃した米軍機の多くを撃墜した。

 4回目の冷戦は、 1969年に中国とソ連との間で小国境戦争を行った際に、 ソ連側が 戦術核で北京を攻撃しようとした。 その時、 アメリカは、 ソ連を核戦争で脅し、 その試みを断念させた。 中共にとって、 現在の米・中新冷戦は5回目なのだ。

 この5回の米・中冷戦には3つの共通点がある。 第一に、 すべて中共が主導した。 第二に、 すべて米国と関係がある。 第三にすべて核戦争を誘発しかねないものであった。 四つの冷戦は毛沢東によって、 平均して5年に1回のペースで始められたのだ。

 今回の第5次冷戦は、 第4次冷戦とは50年の隔たりがある。 だが、 中共は最終的に 米国との平和的な競争を、 敵対的で冷戦的な関係に変えたのだ。 中共は、 自ら引き起こした冷戦の数では世界記録を樹立したと言える。

★3 過去70年間の米・中関係の5段階

 21世紀に入って中国が経済のグローバル化に参入して以来、 米中関係は、 双方の経済的利益を重視したものから、 徐々に現在の新冷戦状態の対抗関係に変化してきた。 現在の冷戦の対立状態では、 国の安全保障問題が米・中関係を支配している。

 この質的変化は偶然か? 中共が米国に対して行ってきた5つの冷戦との関連性は、 考えさせられる。 一度だけの冷戦なら、 意思決定での誤りとみなされるかもしれない。 しかし、 5度の冷戦を行うことは、 もはや意思決定の誤りとは解釈できない。

 では、 中共は歴史的に対米関係をどう扱ってきたのか。 中共が成立してからの70年間の米・中関係は、 大きく分けて次の5段階に分けられる。

 第一段階は、 米・中関係樹立の拒否とソ連のへの傾斜だ。 1949年、 中共軍の進撃によって、 国民党政府はまず広州へ撤退、 そして重慶へと撤退し最後は台湾へたどり着いた。 当時、 大使館は国民党政府との関係を維持していた。 ソ連大使館を含め、 国民党政府と一緒に広州に撤退したのだった。 これはソ連が国民党政府を支持していたことを意味する。

 しかし、 大使館の中にも例外があった。 それがアメリカ大使館だったのだ。 アメリカ大使館は南京に留まり、 人民解放軍が南京を占領した際には、 中共との外交協力を協議する準備ができていたのである。 当時の駐中国米国大使は、 ジョン・レイトン・スチュアート(宣教師の教育者であり、 延慶大学の初代学長であり、 後に中国への米国大使)という流暢な中国語を話す人物で、 1949年4月下旬から8月上旬まで南京に滞在していた。 しかし 中共は一貫して彼との接触を拒否し、 その結果、 彼はアメリカに帰国するしかなかった。 アメリカはチャンスを失い、 中共は米・中関係を壊し、 スターリンの抱擁に頭から飛び込んで行ったのだった。

第二段階:ソビエト連邦は蜜月から対立へ。 ソ連は中共を核攻撃しようとして、 アメリカが中国を助けた。 この段階の20年では、 毛沢東は、 全世界の共産党の指導者になるために、 米英を追い抜く「大躍進」運動を展開した。 その結果、 完全に失敗し、 数千万人の農民を餓死させ、 ソ連との決裂を招き、 国境紛争を起こすほど悪化。 ソ連は北京に核弾頭を向け、 最後には、 アメリカがソ連を脅して中共を救ったのだった。

第三段階:中米の蜜月時代、 双方がソ連を相手に共同戦線。 この局面もニクソンの訪中からソ連崩壊までの20年。 米・中が、 暗黙の了解のもとに、 同盟国としてソ連を相手にしていた時期。

第四段階:米・中協力の期間、 双方の経済関係の深化。 30年近くになるこの局面では、 双方が経済パートナーとなり、 中国共産党が深入りしたのは 経済交流。 中国は巨大な経済と技術の利益を刈り取り、 好景気の到来を告げた。

第五段階:米中関係が徐々に悪化し、 最終的には対立へ。 この質的変化は、 大体2019年の米・中経済・貿易交渉から始まり、 最近ではこの質的変化が顕著に。 経済的なパートナー関係から、 国家安全保障の観点から相互に敵対する関係に変化した。

★⑷ 米中新冷戦はなぜ起きたのか?

 1949年、 米・中関係は崩壊し、 国交樹立を待っていたアメリカ大使を追い払ったのは中共側だった。 現在、 米・中関係が質的に悪化しているが、 その最初の弾を撃ったのは中共側である。 米・中新冷戦の直接的な理由は3つある。

 第一に、 中共は20年以上前から米国の技術機密の大規模な盗用を組織的に行ってきたが、 それを認めない。 いまだに遅れている米・中貿易・経済交渉は、 技術機密の盗用という中心的な話題が”陰干し”状態なのだ。 この政府によって組織化された大量犯罪の目的は、 米・中貿易・経済交渉で、 米国はこの問題を真剣に受け止め始めている。 米中新冷戦への突入は、 20年以上前から埋められていた「地雷」とも言える。

 次に、 第二に、 新型コロナウイルスの流行は、 米国の経済と国民生活に大きな損失をもたらし、 中共は自らの責任を取ろうとしないだけでなく、 流行の責任を米国に押し付けようとした。 その上「戦狼」外交を外交交渉の手段としている。 この一連の行動は、 米・中当局間の価値観の対立を公にしたことを意味し、 中共の行動は、 アメリカの最後の信頼と理性の期待を完全にぶち壊したことを意味する。

 最後に、 今年の1月下旬、 中国共産党の海軍、 空軍、 ロケット軍、 戦略支援部隊がミッドウェー島海域で演習を行うなど、 牙を剥くような作戦を展開した。 (程暁農★米・中ミッドウェーの海上対決の意味 2020年4月10日参照)
 上記三つの問題について、 米国は当初、 外交交渉による解決を望んでいたが、 中共の行動により、 最終的に、 米国は 中共がいささかも相互的関係を維持するために自分の企みを放棄しようとしないのなら、 中共に対して防衛体制を敷き、 国家の安全を図るしかない、 という結論に達した。

 先述の「中国に対する米国の戦略的アプローチ」には、 「穏やかなが外交手段は無益な徒労に終わった時、 米国は中国政府に圧力を強め、 必要とあれば、 代価を払っても米国の利益を守るだろう」と書いてある。

 米・中関係のハネムーンの日々と同盟関係の形成を思い起こせば、 ソ連に核戦争で脅しをかけた時は、 アメリカの主導で中共が核兵器で全滅させられる危機から中国は救われた。 米・中関係の悪化は中共が始めたことなのだ。 アメリカは、 中共が大惨事に直面していた時に助け、 経済・貿易協議では外交交渉で解決しようとしてきた。 「徳を以って怨に報いた」と言える。

 しかし、 中共の行動は、 恩を仇で返すもので、 一寸をえて更に一尺を望もうとする行為によって、 米国を弱体化させ、 自分たちが取って代わろうとしてきた。 だから、 米・中関係は日を追って後退し、 1970年から80年にかけてのハネムーンと盟友の関係は、 米国がいまだに信頼しようとする経済パートナーへ、 さらには、 どうにも信用のならない敵、 と悪化の一途をたどって、 今日の新冷戦状態に立ち至ったのだ。 (終わり)

 原文は;中美新冷战正式开始了吗? 

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