秒速...を観たら刺さってしまった

 今日初めて秒速5センチメートルという映像作品を観た。

 最近作業用BGMとして邦画を使うという試みをしている。これの理由は簡単で、洋画だと吹き替え版にしないとどうしても映像を見てしまい仕事が捗らない。よって最初から日本語の映画なら楽だろうということだった。それでとりあえずアニメなどを作業用BGMにしながら仕事をしていたりしたのだが、昨日は砂の器と秒速5センチメートルを作業用BGMにしてみた。

 秒速5センチメートルは言わずと知れた新海誠監督の作品で、ネット上でもかなり評価が高い。周りの多くの人間が絶賛していた。それでずっと気になってはいたのだが、結局ずっと観るタイミングを逃したまま今日に至った。さらに言えば新海誠監督の作品は「君の名は。」しか見たことないというニワカである。

 で、結論から言えば多分二度目観ることはないだろうと思った。理由はあまりにも自分の心に刺さってしまい、あまり作業に集中できないということがわかったからだ。
 ものすごく面白かった!!とか、そういうわけじゃなかったのだが、明らかに自分の心の弱点を的確に突き刺してしまい、動揺してしまったという部分があった。

 別に私には小学校時代から想ってる人なんていうものはいないので、作品序盤に関しては何というか、ただの恋愛ものというか、そういう浅い印象しか持てなかったのは本当に申し訳ないと思う。

 しかし最後で主人公の男の境遇がなんというか自分の昔がフラッシュバックしてしまい、動揺してしまった。

ここからは25歳男性の唐突な自分語りが始まりますゆえ、お気をつけください。

東京で社会人となった貴樹は高みを目指そうともがいていたが、それが何の衝動に駆られてなのかはわからなかった。ただひたすら仕事に追われる日々。

 私は大学生時代に、明らかにハメを外しすぎていた。何とも言えない自信に溢れていた一方で、ものすごく不安に押しつぶされそうでもあった。ある意味無敵の状態であったと思う。それで調子に乗りすぎた私は、人間関係において多くの問題を起こしてしまった。それは私の精神的な甘えと、目先の問題から目をそらし、場当たり的に生きていたことが理由だと今では考えている。

 特にその中の問題の一つは私の大きな判断ミスによるもので、今でも本当に後悔しているし、そうすべきでなかったと今ならはっきりと言えることであるし、自分の行動によって多数の人間を傷つけてしまった。その上で僭越ながら自分も傷ついてしまった。人を傷つけておいて何様なんだという話でもあるが、冷静になって振り返った時、自分が犯した罪を考えると本当に愚かなことをしてしまったと思い、そして失ったものの大きさと、自分があまりにも下衆な人間であるということに気づかされ、その差に愕然とした。
 今まで自分は不真面目な人間ではあったかもしれないが、少なくとも人間関係に関しては真面目な人間であるという自覚があったのだが、冷静さを欠き、浅薄な判断を下した自分が嫌で嫌でしょうがなかった。初めて自分の下衆さに気づいた瞬間だったのだ。

 それらによって今まで築いてきた多くの人間関係が失われた時、私にはもう仕事しか残っていなかった。何とかして仕事で実績を上げ、何とかして結果を出さなければいけない。そんな気持ちが自分を空回りさせ、せっかく就職した会社で、しかもインターン期間中は期待の戦力とされていたにも関わらず、就職先での結果は芳しくなかった。そして精神的にも病んでしまった。

貴樹も自分自身の葛藤から、若き迷いへと落ちてゆき会社を辞める。

 何もかも投げ出してやめてしまいたいという気持ちが就職してからずっと止まらなかったが、それをしてしまうと自分は本当に路頭に迷ってしまう、本当にホームレスになってしまう、そんな感情の狭間で葛藤していた。そこの転機が訪れ、私は多少自分に確実に経験があり、ある程度のノウハウがあるYouTube関係の副業を知人とすることにした。それが昨今のYouTubeの波に乗ってなぜか結構稼げるようになり、私は後ろ盾を得てしまい、仕事を辞めてしまった。

 結果フリーランスという形になったのだが、今でも死ぬほど働いている。朝から晩まで、ほぼ365日休日関係なく働き続けている。おかげさまで多少は稼ぐことができていて、多少人よりいい暮らしができている。それでも稼いだ金をじゃあ何かに使っているかと聞かれると、金を使う暇がそもそもそんなになく、かといって特にお金を溜め込みたいという欲もないので誰かのため、人のためになるように使っている。
 そしてそれは自分がどうにもならない人間であり、自分が過去に起こした問題に関してはどうにもならないから、何とかして社会に貢献して、少なくともそれが自分の精神の救済に繋がって欲しいというエゴである。

 見えない何かとこの数年間ずっと戦い続けている。何かはよくわからないが、その何かによって引き起こされる不安があって、その不安を解消するためにこの数年間ずっと戦い続けている。そんな話を人にしたらまるでピラニアのような戦闘力だとすら言われた。

 この数年間で自分の考えもだいぶ変わった。今までは人間関係に人生の重点を置いていたが、結局のところ人生における友情とか恋愛感情というものは、人生におけるお楽しみ要素の一つなのであって、それらのために生きることはあまり意味がないという結論に至った。もちろん人間関係が失われたからこそそういう結論になったとも言えるが、実際この社会で友情や恋愛感情に振り回されて手段が目的になってしまい、その結果苦しんでいる人間のなんと多いことか。
 彼氏や彼女を作ること自体が目的になってしまい、その前にまず好きな人ができるという段階がすっ飛んでしまっている人間とか、そういうものだ。

 結局人間は誰かに救われたいと願うことは多いが、本当の意味で救われるためには自分で救いを見つけるしかない。本質的な意味で自分が誰かに救われることなどはないのだ。自分で自分を救うしかない。その上で自分が誰かの救いを見つける作業を少しでも手伝うことができれば嬉しいよね、という話なのだ。
 だから自分が他の人を支援したりするのもあまり特定の何かとか、見返りを要求しているというわけではなくて、ただその人たちが自分の力で立てるようになったら嬉しいなという、ただそれだけの気持ちであり続けるよう出来るだけ意識している。自分が誰かを助けられるなどというのは思い上がりなのだとも思う。

 人間関係を失い、がむしゃらになって働いたこの数年間で、自分は孤独と戦うということを学んだ。結局人間は孤独と戦い続けねばならない。孤独と戦える人間こそが最強だとも思う。

 そして自分も秒速の主人公のように今の幸せのために過去を断ち切って前に進み続けねばならない。いや、今までそうしてきたつもりだったが、そういった自信が今回ちょっと薄れてしまって、それと同時に数年前のことを思い出してどうしても郷愁に浸らざるにはいられなかったのだ。

だから僕が秒速を観ることは二度とないだろう。

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