パワプロ2016ペナント企画裏設定について書く
パワプロ2016のペナントで20年遊んでました。そろそろ30年で終わるのも見えてくるなというところで残念ながらデータが消えてしまいました。まだ完全に消えたわけではないので続けることもできなくはないのですが、正直これは結構心にきたので(21年目もすでに進めていた中でデータが消えてしまった)、とりあえずなんとなく作ってた裏設定的な話をちょろっとできればいいなと思います。ちなみにデータは2017年度版で開始しました。
以下、個人的に結構好きな選手の話をします。完全に趣味です。
正捕手争い
個人的にアツかったのは正捕手争いでしょう。巨人の正捕手小林は特殊能力意外性のおかげか年間30HRを打つ阿部の後継者になっておりましたが、一方で小林の後継者問題としてかなり早くに獲得したのが相木でした。小林の爆発が一過性のものである可能性と、バックアップ捕手不在という問題を強く感じていたためです。
正直ドラフト2位で獲得するような捕手ではなかったのですが、晩成だったおかげで40になるまで控え捕手としてチームを支え続ける名捕手でした。たまに打撃が爆発する日があったのがアツい。
しかし相木では正捕手として少し格が落ちる、やはり若手の捕手が欲しいということで私がドラフトで獲得したのが亀田でした。
彼は本当に素晴らしい強肩と高い守備力を併せ持ち、そこそこの打撃を期待できそうなミートパワーDD弾道3という選手だったのです。そして私と同じ三重県出身でした。大学日本代表に選出されたという経歴、そして大舞台での強さを誇る(という設定です。今後こういった裏設定を書いていきます。)というとこで大学ナンバーワン捕手との呼び声が高かったのです。
ドラフト3位で入団した彼は一年目に初本塁打を記録するなどまずまずのスタート、二年目には小林の後継者として104試合に出場したもののスランプに陥るなど苦戦し、結果として.190 0本塁打と苦戦。翌年も正捕手として102試合に出場したものの.211 1本塁打で大きく評価を落とすこととなってしまったのであります。
そしてそんな中ドラフト一位で獲得したのが越智でありました。
くじにも勝って獲得した彼は本当のバケモノでした。これにより亀田は将来的に一軍での捕手の座を失うことが確定的になりました。
六大学三冠王の実績を引っ提げてやってきた男はプロでも圧倒的な無双を見せ、三番キャッチャーに定着、阿部すらをも超える巨人一の捕手になり、そしてメジャーへと移籍したのでありました。
そして亀田は2033年に自由契約、トライアウト受験の後引退することとなりました。通算336試合で.207 197安打 7本塁打という大学ナンバーワン捕手のあまりにもあっけない幕切れでした。引退後は普通に会社員になったようです。
そして越智が圧倒的無双を見せ、もはや巨人の捕手陣に食い込むことは至難の業、若手にとって厳しい環境となっている中で入団した捕手が石渡でありました。2031年のこと。
ドラフト3位で指名されましたが、特に特徴のない捕手ではあります。関西六大学リーグで四年時に本塁打王を獲得した打撃力とそこそこの肩が魅力の捕手でしたが、二軍バッテリーコーチの嶺井コーチによる徹底的な指導で巨人捕手陣の三番手に食い込むことに成功しました。そして前々よりメジャー移籍を仄めかしていた越智はポスティングで移籍、ついに正捕手の座がこの石渡に転がり込んでくることとなったのです......。
育てきれなかった期待の逸材
私にとって忘れられないのは伝説の期待の逸材、小峯です。
高校時代左腕の速球派投手だったもののコントロールの悪さから打撃を生かすため外野手に転向、その後高校通算本塁打72本を記録するなどし、「愛媛のイチロー」などと呼ばれた男で、一年目から一軍で起用されるなど多くの起用機会を得たものの......。
ご覧の通り、目立った数字は残せませんでした。2034年は1試合3本塁打を記録するなど、シーズンの結果が確定してから打ちまくるなどしましたが、この年に自由契約となり広島へと移籍することとなりました。
広島移籍後は一番や五番などを任され、リーグ最低打率を争ったり、最多三振争いしたりしつつも主砲としてまずまずの結果を残し、ゴールデングラブ賞を受賞するなどの活躍を見せました。
また、この男も巨人を出た後に結果を残しました。
ドラフト4位で入団した男で守備の名手でしたが、起用機会に恵まれないため自由契約となりDeNAに移籍。
移籍後には二桁本塁打を放つなどの活躍を見せ、2036年にはゴールデングラブ賞を受賞しました。
奇跡の甲子園
私の中で奇跡の甲子園と読んでいる大会があって、いい選手ばかりが揃っていた甲子園がありました。それが2022年の夏の甲子園です。
まずこの大会優勝投手の麻生。
針の穴を突くコントロールと手元で動かしてくる変化球という感じであまり目立つような投手ではないのですがだからこそ球数を節約することに成功し、チームを優勝に導きました。
麻生はプロ入り後リリーフとして活躍したものの、すでに巨人には絶対的リリーフがいたため起用機会に恵まれず照屋と同じように自由契約となりDeNAに移籍、DeNA移籍後は勝利の方程式の一角として最優秀中継ぎを受賞するまでに至っています。
そしてこの大会でもっとも光っていた野手が「東の小柴、西の西澤」の二人です。
一年生にして一番セカンドとして活躍していた小兵は三年時に打撃が覚醒、三番ショートとして暴れまわり高校通算22本塁打でドラフト候補にまでなった。ヤマを張って一点狙い撃ちの博打のような打撃は三振も多くなったがここぞでの読みの鋭さが光り長打を連発した。
一方の西澤は高校時代はとにかくフルスイングを信条とした遊撃手で、二年次に甲子園で無双、三年時の活躍が期待されていたものの無理なフルスイングと疲労により三年時は打率.231と低迷。高卒でのプロ入りを諦め、体力づくりのために大学進学。進学後はサードにコンバートされたり、一時カット打法に挑戦するなどして「大学進学は失敗」などど揶揄されたものの四年時には新たな打撃を完成させドラフト候補になる。
首位打者獲得や200安打達成、あわやトリプルスリーなど、チームの柱として活躍した。
四番の重圧
今まで巨人で四番を務めたバッター多かれど、通算で安定した結果を残すことができたバッターは少ない。そんな中で批判されたりしつつも巨人の四番に定着した男が瀬戸である。
2029年のドラフト最大の目玉が六大学三冠王捕手越智であったが、一方こちらは東都リーグの本塁打王を獲得した男である。こんな男がドラフト2位で獲得できた。
一年目は主に体力づくりで二軍に置かれていたが、交流戦から一軍に上がると8本塁打を記録。三年連続41本塁打を記録し巨人の四番に定着したのだが、その後は苦しむ時期が続いた。重圧の中で打撃の形に悩み、特に2034年がかなりよかったからか2035年は最終的に打点王を獲得したものの四番としての適性を問題視される機会もあった。2036年には二番で起用されるなど「屈辱」のシーズンであったが、その中でまずまずの結果を残し最終的には四番に復帰している。
苦渋のサイドハンド
荒れ球本格派投手だった一色。
2029年に新人王、2031年には防御率こそ悪かったものの15勝を記録するなどしていたが翌年には起用機会が激減、その中で彼が至った結論がサイドスローへの転向であった。
チームの便利屋投手として先発に中継ぎとフル回転した。
最強のスペシャリスト
このチームを支え続けたのは常にスペシャリストの支えがあったからというのは大きい。
2022年、中継ぎ不足で投手陣の補強を目的にドラフト一位一本釣りした男は一年目からリリーフで大活躍。
一時勤続疲労からか数字が大きく落ちた年もあるものの、以後は切れ味最高のスライダーを武器に奪三振を量産、リーグ屈指のリリーフになった。
人生でランニングホームランを打ったことがないというほどの足だけを誇る男はその足を徹底的に磨き上げ、代走の切り札として背番号12を継承した。
プロ入り後は打撃も磨かれ、人生初の柵越えホームランを記録したり、サヨナラのチャンスでポテンヒットをうつなど「意外性の男」でもあった。
チーム歴代最高の代打の切り札が葛城である。
ホームランを打つことしか才能がない、守備や走塁に全く興味がない男だった葛城はここぞでの集中力を買われて代打の切り札に定着、シーズン代打本塁打の日本記録を更新するほどの活躍を見せた。
期待の若手たち
チームの期待の若手たちもしれっと紹介していこうと思う。
まずは一軍でも起用した坂口を紹介しましょう。
外野手が足りない問題で大量に外野手を獲得した年ですがそんな外野手の中で一軍出場機会を得たのは彼が最初です。
俊足が武器の男ですが一年目に二軍で3割を超える打率を記録し一軍昇格、ホームランも放つなどの活躍。
2033年の夏の甲子園で初回先頭打者本塁打を放ち、スーパーキャッチにレーザービームと一人で弱小校を引っ張った男妹尾は見事ロッテキラーとしてなぜかロッテ戦だけ打率がいい男になりました。将来のセンター候補です。
2033年の甲子園でこちらも弱小校を引っ張った男が島崎です。一番レフトとして起用されていた男は大会で打ちまくり三番レフトとしてチームをベスト4にまで導きました。
松井稼頭央の再来と言われたスラッガーの遊撃手で、2031年の甲子園では4打数3安打の活躍を見せたもののチームは敗退、屈辱を味わいました。
スイッチヒッターの育成に苦しんでいる巨人において彼の苦戦もまた同様で、未だ一軍で目立った活躍はしていないものの首脳陣からの評価はかなり高い内野手です。
2034年の甲子園で強豪校の三番ショートとして大会打率4割を超える打率を記録した谷田はドラフト4位で入団するも分厚い内野のスタメンに阻まれなかなか出場できずにいます。しかしその少ない出場機会でしっかりと高打率を残していてその才能は本物だと感じさせてくれます。
最後に紹介する小坂は元遊撃の選手ですが外野にコンバートされています。外野が足りないですしね。
なんかこう、こういう感じの能力がたまらないです。坂口といい小坂といい本当に好きです。彼らが一軍で躍動する様子を見たかった......。
2032年にメジャーリーグで少ない出場機会で.278 4本塁打を記録したものの2033年は結果が残せず来日。
2034年に来日初打席でホームランを放ったものの、以後なかなか伸び悩んでいます。割と若手の育成枠選手だと思っているので今後に期待してますね。
総括
そんな感じで本当に長い記事になってしまいました。本当はもっと書きたいこと、もっと裏設定がいっぱいあったりしたのですがこれ以上長く書くのは本当にアレなのでとりあえず軽めに書いてこの感じです。なんだかんだこの企画は僕の中で好きな企画ですし、思い入れのある企画なので書きたいことが本当にいっぱいあるのですが、とりあえずこんな感じで終えておこうと思います。
実はパワプロ2018でペナントで遊びつつこういった記事を書いていくという計画もあったりしますので、それに向けての練習みたいなところもあります。
そんなわけで今回はこんな感じで終わらせていただきます。読んでいただきありがとうございました。
サポートしてくださると非常にありがたいです。