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ダン・ジェームズ・ヘルソン(野球選手)

 ダン・ジェームズ・ヘルソン(Dan James Helson, 1991年9月27日 - )はポリヘェスタ共和国領ヤヴィオレツィア島メブジガ出身の野球選手(外野手)。右投右打。現在は浜岡アルバコアズに所属している。

ダン・ジェームズ・ヘルソン
Dan James Helson

国籍   ポリヘェスタ共和国
出身地  ヤヴィオレツィア島メブジガ
生年月日 1991年9月27日(28歳)
身長   188cm
体重   104kg

経歴

プロ入り前

 野球があまり盛んではないポリヘェスタ共和国で育ったため幼少期はラグビーに慣れ親しむ。隣国トーズ民主共和国の野球をテレビで観戦したことにより野球に興味を持ち、中学生から野球を始める。すでにポリヘェスタではとびぬけた野球の才覚を見せており、16歳にしてモルドア共和国のプロ野球セレクションに合格、フィンメ・グルーパーズと契約。ポリヘェスタ史上最年少でのプロ野球チームとの契約であった。

グルーパーズ時代

 2007年、グルーパーズ傘下三部リーグに所属。2009年には80試合で.334 22HRの大活躍を見せるなど順調に毎年結果を残した。
 2010年にはグルーパーズ傘下二部リーグに昇格。二部リーグで110試合に出場するも.220 12HRとプロの壁にぶつかる。
 2011年、130試合に出場したものの.214 22HRとやはり結果が出ず、シーズン終盤には三部リーグ降格も味わう。
 2012年、三部リーグからのスタートとなるも夏場には二部リーグ昇格、63試合の出場に終わったものの.264 10HRとまずまずの結果を残す。
 2013年、飛躍が期待されたシーズンであったが.118 7HRと全く結果が出ず、シーズン途中にイルマダ・フィンバックスへトレードされることとなった。

フィンバックス時代

 2013年、トレード直後は三部リーグスタートとなったがシーズン終盤には二部リーグに昇格、フィンバックスでは.311 5HRとポテンシャルの高さを見せる。
 2014年、シーズン終盤に浜岡アルバコアズからコーチとしての研修で派遣された毛利との出会いを果たす。二部リーグでは.238 22HRという数字に終わったものの毛利からはその打撃センスを高く評価される。
 2015年、引退を発表し来季からのコーチ就任が確定した毛利が本格的にコーチとして派遣される。このシーズンもやはり.231 14HRと結果を残すことはできなかった。

アルバコアズ移籍へ

 2015年のアルバコアズは2014年に2位を記録し飛躍が期待されたシーズンであったが一転して5位に転落する結果となってしまった。
 その最大の要因は2014年はベテラン小糸が37HRを記録するなどした打線にあったが小糸は前十字靱帯断裂により戦列を離脱した。主砲山口も2000年代終盤はトリプルスリーを記録するなどプロ野球の歴史に残るバッターだと思われていたものの2012年を境に大スランプに陥る結果となった。これらの低迷に加え、2200安打387本塁打を記録したベテラン毛利も2015年に引退を発表した。
 このようにチームを支えた主砲が次々と離脱するという状況からアルバコアズは可及的速やかに主砲を補強する必要があったのである。2015年シーズン中に補強したフェニックスは一塁のスタメンとして期待されたにもかかわらず.203 6HRと不満足な結果に終わるなど、補強もうまくいっているとは言い難かった。

 助っ人外国人の補強に動いていたアルバコアズではあったが予算があまり多くないため大物外国人の補強は難しく、またフェニックスの失敗もあったことから(フェニックスは残留したが)、候補の選定には時間がかかった。
 その際打撃コーチに就任した毛利から自分が指導したこともあるヘルソンを推された。一部リーグ昇格もはたしていない選手であることから獲得に否定的な声も多かったが練習に対して真面目な姿勢などが評価され入団することとなった。

アルバコアズ時代

 2016年、5番ライトで開幕戦を迎えることとなると第一打席でレフト前ヒットを放ちプロ初安打を記録。当初強肩を生かした守備力も期待されていたが予想以上に守備に不安があり途中からレフトに転向。116試合に出場しチーム3位となる18本塁打を放ち長打力で貢献した。課題と思われていた打率も.250と及第点の結果を残すこととなり残留が決定した。
 2017年は3番指名打者としての起用機会が増えることとなったが開幕から低打率に苦しむ結果となり出場機会を減らすこととなってしまった。98試合の出場で.227と低い数字に終わった一方で本塁打は前年と同じ18HRと本塁打のペースは増加しており、世代交代が進みつつあるチームで存在感を高めた。
 2018年は引き続き3番指名打者としてスタートするも山口の復調などもあり打順は流動的に動き最終的には六番指名打者としての起用が多くなる。116試合の出場にとどまり、規定打席にも到達しなかったがチーム3位、自己最多となる24HRを記録。打率も自己最高となる.259でありキャリアハイを記録した。まだ27歳と若いことから将来性に期待し2年契約を新たに締結した。
 2019年、守備への意欲が実り3番ライトとしての起用も増えることとなった。開幕から好調な打棒を見せ前半戦だけで32HRを記録し初めてオールスターにも選出された。オールスターでは1試合3HRを記録するなどオールスターMVPに選出された。後半戦はやや失速したもののそれでも三番打者としてチームを支えた。最終的に.259と打率は自己最高、ホームランは46本を放ち始めての本塁打王を記録した。四番の有賀も44HRを記録、二人で40HRコンビを結成した。シーズン終了後には外野手としてベストナインにも選ばれた。
 2020年、4番レフトとして起用され前年に引き続き全試合出場を果たす。前半戦はホームラン24本と活躍しオールスターにも選出された。一方で後半戦は大スランプに陥り規定打席到達は果たしたものの打率ランキングブービーとなる.203と最悪の数字となった(最低打率はチームメイトの土井)。一方でホームランは36本とチーム2位の数字であり、再起に期待しチームは再契約を決定した。

選手としての特徴

 打球に角度をつけることが非常にうまい選手であり、打球速度の速さも相まって長打力が高い。
 左投手に強くカモにしている一方で右投手に対しての弱さが際立つ。また得点圏打率は決して悪くないが打点数が少なく、46HR打ったシーズンも打点99とホームラン数に比して打点数が少ない。
 アルバコアズ入団当初はインコースの捌きに難があった。しかし毛利の指導により極端なオープンスタンスにバッティングフォームを変更した。これによりボールの見極めができるようになり、打撃成績の向上につながった。
 また勉強熱心であり配球についてメモするなどその姿勢を高く評価されている。打席では常にスライダーにタイミングを合わせてスイングしていると語り、タイミングを外されてもスタンドインさせるパワーがあるため脅威となっている。しかし粗さもあり三振が非常に多いバッターとしても知られる。三振率についても三振が多いことで知られる土井(後述)とほぼ同じシーズンがある。
 シーズン中の成績に波があるシーズンが多く、打つときは打つが打たないときは打たないバッターであるため起用法に困る場面もみられる。しかし選球眼がここ数年は向上しており調子の波を抑えるための努力の様子は見られる。

 ヘルソンの後ろを打つバッターとして主砲土井が起用されることが多々ある。土井は過去2割を超えたシーズンが一度もなく、三振がとにかく多いバッターであるためヘルソンを回避し土井と勝負することが安パイであるという風潮がある。その結果ヘルソンに対してはボール球中心の配球となることが多い。
 一方でヘルソンはボール球を打つテクニックがあり、クソボールハンターとして名高い。しかしボール球に手を出すためスランプに入るとなかなか抜け出せず、それが調子の波の大きな要因ともいわれている。

 入団当初は守備力の高さも期待されていたが実際には守備力には大きな問題があった。平均以下の脚力に加え肩についても期待を下回るものであり、右翼手としての起用には限界があった。しかし練習により守備力が向上したこともあり一時期よりは守備に就く機会も増加している。
 当初一塁手へのコンバートも計画されたが主砲有賀がいたことに加え本人が外野へのこだわりが強かったこともあり計画は実現せずに終わった。

人物

 温厚な性格であるが、一度厳しい内角球に対し激昂しマウンドまで詰め寄ったため退場となった。

 自身の才能を見出した毛利とアルバコアズについては感謝しており、大きな夢をつかむことができたと語っている。格安外国人として入団し結果として大成功を収め、ポリヘェスタ共和国での野球の振興に貢献したいとの夢があるようである。

 クリーンナップを組んでいる有賀、土井とは非常に仲が良い。言語の壁もあった中で当初から優しくしてもらったことが大きいようである。

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