日本軍の戦車はなぜ貧弱だったのか
太平洋戦争中の日本軍戦車といえば貧弱の極み、貧弱の代名詞、ブリキの戦車とすら呼ばれ、米軍相手に苦戦しまくったことで有名なわけです。
じゃあなぜ日本の戦車は貧弱なのかということについて今回は論じていきたいわけです。
そもそも戦車の性能はどういう風に決まるのかということを考えていきたいのですが、戦車の性能は高ければ高い方がいいわけですがその上限というのは確実に存在するわけです。
第一に予算や資源の問題です。軍の予算規模によって戦車に割ける予算が決まります。いくら性能が高くても数を配備できなければ意味がなく、そういう意味でコストとの兼ね合いというのは常に重視されるわけです。同様に資源の少ない国では資材が比較的高価になるので結果コストが膨らみます。
第二にインフラの問題です。いくら高性能な戦車があったとしても戦場に運べなければ意味がありません。鉄道の輸送能力や鉄道車両のサイズ、鉄橋、トンネル、道路の舗装状態などは車体サイズと重量の上限を定めます。それだけではなく国内の地形や予想される戦場の地形なども想定して性能は決まります。
で日本軍の話にしていきたいんですが、そもそも日本陸軍というのは海軍に比べて予算が少なく、余裕がなかった上に日本自体も資源がない。さらにいうと国内の自動車産業も貧弱で技術的蓄積もなければ、免許所有者も限られていてとにかくいろんな資源がなかったというところがまず挙げられます。
でまあ特に島国日本では船舶の輸送による海外展開というのを考えていたので輸送船のクレーンの能力というのが戦車の重量の上限を決めていたのですが、これがまあ15tだったわけです。
例えば米軍のM3「軽戦車」は13トンぐらい、M4「中戦車」は30トンクラスだったわけですが、日本の「軽戦車」の九五式は7トン、「中戦車」である九七式チハは15トンだったわけです。
よく中戦車チハと軽戦車M3が互角だったのがネタになったりしますが、重量から考えれば当然のことだったわけですね。
普通に考えて戦車は性能がいいに決まってるんですからなぜ日本の戦車が貧弱だったかというと工業力や技術の問題もさることながらこういったインフラの問題が実は非常に大きかったわけです。
そして日本軍戦車でよく言われるのが火力のなさです。相手の戦車を破壊できるだけの火力がなかったというのはよく言われるところな訳です。
で日本の戦車がなぜ火力がなかったのかということを考えたときに、単純に大砲がなかったというわけではなく、もっと重要な要素があるんです。
それは大砲の駐退機という要素です。
駐退機とは
駐退機(ちゅうたいき)は、大砲を発射した際に生じる反動(recoil)を砲身のみを後座させることによって軽減するための装置である。通常、後座した砲身を元の位置に戻す復座機と一体化して駐退復座機として用いられる。
つまりは大砲の反動を受け止める装置として油圧式のピストンがあるんですが、この技術が日本にはなかったんです。
反動を受け止めるために大砲は発射するたびに砲身ごと後ろにスライドするんですが、この長さのことを後座長と言います。
これは三式中戦車チヌですが、赤丸で囲った75mm砲の砲身の下にある部分が大砲の駐退機です。
ほぼ同じ口径かつより長砲身の主砲を積んでいるM4中戦車は駐退機が出てないわけです。これは構造的には一つの駐退機ではなく4つの駐退機で受け止めているために一つ一つが小さくなるという仕組みな訳ですね。
駐退機の性能が低いとどういうことになるかというと大砲の反動を受け止めるためにより大きく大砲が後ろに下がって来ます。つまり後座長が大きいわけです。
後座長が大きいとどうなるかというとそれに合わせて砲塔のサイズを大きくしなければなりません。砲塔のサイズが大きくなるということは車体の大型化を示し、つまるところ同性能の大砲を搭載したとしても車体がより大きくなるというわけです。
軽量化も考えなければならないとなると大型化した分装甲も薄くなり性能バランスはどんどん崩れていくわけですね。
でここからは日本軍の大砲の話になるんですが、日本陸軍の対戦車砲や徹甲弾に関しては初速を上げて見かけの性能を上げ、かつ希少資源をできるだけ使わないために砲弾の重量を軽くしていたんですが結局砲弾重量が軽いせいで貫通力では劣るという形になっています。
そういった複雑な要素が絡んでいった結果日本軍の戦車は他国の戦車に比べて劣るという結果になったわけです。
まあソ連とドイツは戦車においては化け物みたいな開発競争を繰り返していたのでそこと比べるのは酷というもので、米国も自動車産業が盛んだったというところから真に日本と比較すべき国はイタリアだと思われるのですが、イタリアもイタリアで貧弱とはいえアフリカ戦線ではドイツアフリカ軍団を支える活躍を見せたりしてるところを見ると複雑な気持ちになります。
そして大事なのはチハにしろハ号にしろ開発された時期、そして完成時期を考えれば十分に優秀な戦車で運用が想定されている状況も加味するとあの工業力で考えられない高性能を出したわけです。
ただインフラ整備がまだ途上で基礎工業力が低かったためにそれが性能の限界となってしまい、しかも戦争が開始すれば戦車は戦車を相手にせねばならなくなり当初想定されていた運用状況からは逸脱、そして運用が想定されていた大陸だけでなく島嶼部での運用も強いられ、そして新型戦車の開発は一向に進まず、と正直同情したくなる部分も多いです。
例えばチハが火力不足でチハ改になり、そこで次期戦車の開発が始まるわけでもなく、チハ改のさらに改良型のチヘの開発を始めるわけですがその時点ですでに後手後手、しかもそのチヘの開発すら遅延して1943年に開発が終了するという有様な訳です。
日本陸軍は戦車という乗り物に関して軽視していたという傾向が見て取れ、もう少しやりようがあったのではないかとも思います。M3とやりあえる性能の戦車を新規開発したところですぐに性能限界がくるんじゃないかという想定が全くなかったと。
この話を続けていくと泥沼になるのであえてここでやめておきますが、そんなわけで日本戦車は弱くなるべくして弱くなった、というお話でした。
disり倒しましたがWarThunderでは日本軍戦車ばっかり乗ってます。一撃で撃破される楽しみがそこにはあります。みんなもブリキの戦車に乗りましょう。ありがとうございました。