ルークショーとの思い出を語る
ぼーんぼんぼんぼんぼんぼーん
ゆなぼんチャンネル チュクチュー
ハイサイマイド。青年革命家、ゆなぼんです。
突然ですが、皆様は私が1番好きなサッカー選手を知っているでしょうか。
そう、ダルウィ
ルークショーです。
私が選ぶ「なりたいサッカー選手の顔ランキング」の第2位でもあります。(1位はダニー・イングス)
オプションは行使しましたが、複数年の契約延長は来ますかね。
どうしてもルークショーは代表に行くとウッキウキでインスタに連投をするイメージがあるので、このままマンユナイテッドで引退する未来が見えません。
そうやって邪推に邪推を重ねた結果、ショーはマンシティにいけばいいんじゃないかな24年夏にどこかへ移籍しちゃうのかなとか思い始める始末。
ですが、そんな敗者のメンタリティとはあと1年はおさらばできそうなことに安心をし、1年後にはまたそういった思案を巡らせるであろうことに若干のめんどくささを感じています。
※追記
2023年3月31日にショーとクラブは4年の契約延長に合意したと報道が出ました!
これからもよろしく!
というわけで今回は(私の中で)稀代の天才レフトバックとの思い出と題して、(私の中で)まごうことなきGOATことルークショーに関する思い出についてつらつら語っていきます。
最近では「いくみちゃんさぁ、ダルウィン・ヌニェスに浮気してんじゃない?」という声もあがってきていると思うので、ここらでショーとダルウィンとの格の差を見せつけます。
ほぼルークショーを応援していた私偉いわっていう話なんだけど、許してね
14/15 Episode 0. 邂逅(?)
中2のときにブラジルワールドカップでオランダに魅了され、その監督が指揮し、たまたま開幕戦をみたからというあまりにも適当すぎる理由で私のマンユナイテッドサポーター歴は始まった。(因みにその試合は1-2でスウォンジーに敗戦。よくそこで辞めなかったな。)
私はルーニーとファン・ペルシーくらいしか知らないまま試合を見ていたため、覚えている試合と言ったらスウォンジーとの2戦、ダービー、そしてアンフィールドでのお笑い試合くらいなものである。
なので、残念ながら加入当初のショーの記憶は全くない。
シーズンが終わるころにはショーの存在も認知していたが、ただの一選手としてしか考えておらず、当時はマタにメロメロだった。
余談だが、父親にヴィンテージスポーツにて初めてのユニフォームを買っていただいた。もちろんマーキングはMATA 8。
15/16 そしてルクショニスタへ…
サポーター歴2年目に突入し、私にも少々貫禄が出て来た時期だろうか。
そこにはショーの開幕戦からの連続起用には目もくれず、メンフィスの加入やマルシャルの活躍に興奮し、相変わらずマタにきゃーきゃー言っている私がいた。
この時のルークショーには背番号が23に変わったんだ〜へ〜くらいの認識しかなかった。
そんなある日、ニコ生でチャンピオンズリーグを見ているとタックルを受けたショーが悶え苦しんでいた。酸素マスクがつけられ、たくさんの選手が心配そうな顔で彼を見ている。
ハイライトが流れて唖然とした。なんとショーの脚がエクトルモレノのタックルによってありえない曲がり方をしていたのだ。わぉ。こんなにショッキングな映像を生で見てしまうとは。中3の私には少々刺激が強すぎた。
転機はその後訪れる。
試合終了から何日か経過した2015/09/27、当時狂ったように見ていたマンチェスターユナイテッド情報局氏からショーの経過に関する投稿があり、それを見たときに私はこう思った。
「(ウホッ…良い男♡)」
その後はもちろんリハビリのためにシーズン全休ではあったものの、情報局の更新を頼りにルークショーの情報は欠かさず確認していた。
リハビリが順調だったり、ゲイ説を否定したり、リハビリを頑張っていたり、クリスマスパーティーに参加していたりと本当にどうでもいい情報も食い入るように見ているうちにその愛情はどんどん大きくなっていった…というのが私はルーク・ポール・ホーア・ショーという選手を熱狂的に応援するようになった流れである。
(曲がった愛情が故に当時下手すぎて嫌いだったメンフィスとのツーショットにブチギレていたのは本当に謎。)
そんなこんなで高校受験も終え、その日のところはレスターの優勝をひとまず阻止した試合を高校でただ1人喜んでいた話をしてシーズンは締めくくる。
余談だが私はこのころTwitterを始めた。
16/17 モウ、襲来
昨シーズン終了時点では既に練習復帰は果たしていたショー。
監督がモウさんに変わって「(あぁ、ちゃんと使ってくれんのかな〜)」とか思っていた矢先、コミュニティシールドのスタメン表にはショーがいた。
…と気づいたのは勝利後の朝だった。
そう、恥ずかしながら私はショーのトロフィーリフトは今まで1度も生で見たことがないのだ。
そんな感じでにわか臭をぷんぷん発しながらも、ルクショニスタ歴2年目に入っていくこととなった。
最初の方こそスタメンだったが、結局リーグ戦の出場は11試合でスタメン出場が9回のみ、1試合平均出場時間は62.9分と、出場機会だけを見ても「悪い」という言葉すら褒め言葉になるくらい最悪のシーズンだった。
事実、彼は「モウさんあるある:特定の選手批判」の対象になっていた。
またこの時期はおそらくショーのマンユナイテッド在籍期間中で最も太っていた頃でもある。
因みにこのシーズンに初めて夢の劇場にて現地観戦をすることができた。サポーター歴3年目、高校1年生(の春休み)にしては贅沢すぎるほどの機会であったが、目玉のズラタンやポグバ、そして滅多に怪我をしない愛しのマタすらも負傷により欠場。当然の如くショーはベンチ外。そしてバギーズ相手に0-0と最悪の試合だった。
なお、その次のエバートン戦でショーは見事途中出場を果たした模様。
余談だが、現地にいったその日に初めてショーのユニフォームを手に入れた。
当然だがメガストアにあるプリント済みのものは人気選手のみで、当時のショーがそのレベルにあるはずもなかった。なので私はまっさらなものを購入し、外の屋台のようなところで「とぅえにーすりー、えす!えいち!えー!だぶりゅー!」と注文してユニフォームを入手したという経緯がある。良い思い出だ。
(ちなみに私はこのあと帰りのフライト日程を勘違いしていたため、高校2年生の始業式に参加できなかった。)
また、このシーズン終了後に彼が移籍先を模索するという噂が立ちはじめ、私はビクビクしながらも「(まあスパーズあたりに行ってくれれば活躍出来そうだしいいのかな…)」とかバカなことを考えていた時期でもある。
この頃から私の中でマタとショーの順位が(何故か)逆転していく。
17/18 空と海と大地と呪われしルークショー
チームは近年でもかなり充実していたシーズンだった。
リーグでは年間2位。前のシーズンまでレフトバックはぐるぐる回され、 ダルミアンかブリントみたいな状況だったのだが、このシーズンではそのポジションに絶対的な存在として君臨することとなった。
ヤングが。
そして、vsリバプール(H)では最終的にプレミアリーグの単一シーズンで32回ネットを揺らすなど、死後ピラミッドに入ってミイラにしてもらえるレベルの活躍をしたサラーを完全に封殺するという完璧なパフォーマンスも見ることができた。
ヤングの。
個人的感想だが、16/17に次いでショーのワーストなシーズン。
その当時にしては珍しく大きな怪我もしていないのに出場機会が限られたシーズンである。 このシーズンはモウリーニョがヤングをレフトバックとして起用し始め、これが大当たり。
懐かしさと共に笑いが込み上げてくる方もいるかもしれない、最近応援し始めた方は嘘のように感じるかもしれないが、ヤングはバレンシアと共にプレミアリーグを(ちょっと)席巻した。
それでも、CSKAモスクワ戦でのショーのパフォーマンスもとても素晴らしかった。そしてそのシーズン初のマンオブザマッチも獲得している。
もしかしたら私がまともにまともな彼のプレーを見たのはこの日が初めてだったかもしれない。
ルクショニスタ3年目なのに。
キャリントンの駐車場でメンタルボロボロのショーがPJの車にバックでぶつけてしまった。というニュースを見て不覚にも笑ってしまったのもこの時期あたり。
よくこの試合で活躍できたよ。
そしてマンチェスターダービー(出場なし)を終えてからのボーンマス戦、ショーは再びのスタメン。
そして再びのマンオブザマッチ!!!!
来たね、新時代が。
そう思っていた時期が、私にもありました。
その次の試合からはしっかりスタメン落ち。
昨シーズンは怪我を言い訳にも出来たが、彼のまともなポジション争いでの完全な敗北を見るのは初めてであり、私にとってそこそこ悔しかったシーズンでもあった。
そのシーズンの冬や19年夏にも彼が移籍するのではという噂がたちはじめ、ビクビクしながらも「(まあスパーズあたりに行ってくれれば活躍出来そうだしいいのかな…)」とかバカなことを考えていた時期でもある。(2年連続2回目)
まあU-23の試合でもダメだったみたいだし、放出されても妥当ではあったかもしれない。
しかし結果的に彼は1年のオプションを行使して残留。この決断が後に彼のキャリアを大きく変えることとなる。
どうでもいいが、この年にウイイレアプリが配信を開始したため母校のサッカー部の殆どはこれに熱中した。そして普段から私がショーを布教していたため、当時銀玉で絶対に使わないのに彼を誰も捨てなかったという逸話がある。
「いくみ〜、ルークショー当てたわ〜」というフレーズは何回聞いただろうか。
私は最後まで当てることはできなかった。
18/19 左サイドのダイバージェンス
ようやく彼が報われるシーズン。
結局この年はリーグ戦で29試合に出場することとなったが、これは地獄の16~18シーズンのリーグ戦出場回数よりも多く、出場時間に関しては1.75倍もピッチの上に立っていることになる。
ショーは持ち前の守備力と攻撃センスを武器に左サイドを支配しており、私が応援する選手はここまで凄かったのかと感動するシーズンだった。
その甲斐もあって2018年10月、5年+1年の契約延長にサイン。
1年のオプションを行使して望んだこのシーズン。
当時の私はバカだったため全く気づいていなかったが、割とギリギリでバスからの降車を免れていたことを執筆中の現在知った。
ハイライトはなんと言っても開幕戦の決勝ゴール。キャリア初ゴールは夢の劇場でレスター相手に左足のシュートだった。当時の私は「(うおうお。なんかぼいんぼいんしてんな〜。ん!?)えええええええ!?お前決めれるの!?!?」といった感じで、喜びよりも驚きの方が大きかった。
だって決めると思わないじゃん。
というかヤングって先発落ちする理由あったっけ。全然覚えてないけどこの試合が契機になったことは確か。
ついでに彼はCL準々決勝のvsバルセロナ(H)でもマンチェスター・ユナイテッド相手にゴールを決めている。
そして私は2枚目となる3rdの紺色ユニフォーム(プリントは23 SHAW)を購入した。その後大学で紛失した。
めでたいことにこの年、ショーはマンユナイテッドの年間最優秀選手賞(サー・マット・バスビー賞)とPlayer’s Player of the Yearを受賞する。
(このシーズンはまともに活躍した選手がほとんどおらず、いまだに消去法で選ばれたと思っている私はルクショニスタ失格である。)
そんなこんなでキャリアでベストなシーズンを送ることが出来たショーだったが、彼の快進撃はここからだった。
19/20 ベンチを廻りて戻り来よ
キャリー能力に磨きがかかり、全力でラッシュフォードのサポートに回ることが多くなったような気がするシーズン。
この年から私の中で左と言えばラッシーショーが鉄板になってきた。
しかし先発出場が当たり前になり、いつのまにかスタメン発表のドキドキ感も無くなったとき、奴が現れる。
そう、ブランドン・ウィリアムズだ。
コンスタントに結果を残し、シェフィールド・ユナイテッド戦でも得点を記録するなど、間違いなくこの時期の正レフトバックは新進気鋭のアカデミーボーイだった。
シェフユナイテッド戦はバッチリ寝過ごして見ていなかったこともあり、私はルークショーの方が上だと決めつけウィリアムズのことが嫌いになっていった。
そこでソルスキア(Solskjaer)から一言
「ウィリアムズがスタメンにいるべきなンだわ😁」
🧠<ジジージ、ジジジ、、、プツンッ。。。
私の中で何かが切れた。
「(あぁ、ショーはまた負けたんだ…またあの地獄がやってくるのか…あぁ…あぁ…)」
私は根っからの敗者だ。そこでショーを信じ切ることが出来なかった。
彼がアスタナ遠征でりんがーど先生、りーぐらんとおじちゃんと共にガキどもの引率をしていた頃、私は絶望していた。
でもしばらく経ったらなんかスタメン復帰してた。
このシーズンは見事1ゴール。ダービー・カウンティ相手にぼいんぼいんボレーを炸裂させた。
というわけで見事にカムバックを果たしたショー。その後は怪我以外で先発の座を奪われることもなく、押しも押されもせぬ正真正銘のスタメンとしてここから不動の地位を築き上げることとなる。
また、19/20シーズンはピッチ外でのエピソードも多かった。
ロメル・ルカクがリークしたクラブ内スピードテストの結果で最下位だったり
インテルがCLグループステージで敗退し、ELに回ったときにはルカクに「おかえり」と引用リツイートをかましブリカス聖人君主っぷりを見せつけたり
1人目の子供となるレイン・ショーが産まれたりと、何かと話題には事欠かなかった印象がある。
20/21 そして伝説へ…?
来ました。
この年が。
本当のベストシーズンです。
このシーズンのショーは本当に凄かった。
アレックス・テレスが加入し、左サイドバックの競争は熾烈を極めるものだと誰もが思っていただろう。しかし蓋を開けてみれば競争相手を得たショーは更に躍動し、ピッチに立ち続けていた。
前シーズンまでのショーはセンタリングの印象がアーリークロスくらいで、私はそれが彼の苦手分野だと勘違いしてた。
クロスさえできれば世界最高になれるポテンシャルあるのにな〜と思っていたら、ホイホイ神のようなボールを供給しまくるショーの姿がそこにはあった。
アシストはリーグ戦で5とキャリアハイ(もっと伸ばせるぞ〜)。守備は相変わらず安定、キャリー能力は更に伸ばすなどパーフェクトレフトバックへと歩みを進めたシーズンだった。
そしてまさかのダービーでの得点。再びのダービー・カウンティではない、マンチェスターダービーでだ。 ディーン・ヘンダーソンのスローイングからグングン前に進んでいくショーがネットを揺らすまでの私はこうだった。
「(おー。ん?んん?んんん!?)
ええええええええええええ!?!?!?!!!!」
驚くのも当たり前である。 自分が1番好きな選手、しかもサイドバックの選手が、ダービーでゴールを決めるなどと考えもしなかった。
その時には当然のように私がルクショニスタであることがTwitterのフォロワーには知れ渡っていたため、本気で喜ぶツイートには7もいいねがつき、そっちも嬉しかった。
…とこれがシーズンハイライトになる予定だったが、話はまだ続く。
リーグ戦も終わり、ショーはクラブのPlayer’s Player of the Yearを獲得。
そして延期されていたEURO2020が幕を開ける。私の不安をよそにショーは当たり前のようにイングランドのスタメンに名を連ねた。
その大会でも彼はアシストを量産し、イングランドの決勝進出に大きく貢献した。 決勝の相手は、イタリア。Football’s coming homeと多くのイングランド人が騒ぎ散らかすなか、カイペルス主審の一拭きで試合は開始した。
開始2分。
その時は来る。
「(うーわちょっと良いクロス。ん?)
ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ!?!?!?」
驚くのも当たり前である。 自分が1番好きな選手、しかもサイドバックの選手が、EUROの決勝でゴールを決めるなどと考えもしなかった。
その後はまぁ、ご存知の通りイングランドはPKにて敗退しまったわけで、ショーが本当の伝説になることはなかった。ただ、EURO決勝における最速ゴールとして記録には残ったので準伝説くらいかも。
実はこの決勝の日、2021年7月12日はルークショーの26回目の誕生日だった。
実況の方が「バースデーゴールが決勝点になったら素敵ですね〜」的なことを言っており、フラグになるからやめろや!と怒っていたらボヌッチにやられてしまったなんて思い出もある。
誕生日に関連した話をすると、ショーは老け顔のせいか年齢の話が出ると「思ってたより若かった」という声がちらほらあがる。しかし、私は全く逆の反応をしてしまう。
というのも今でこそある程度慣れてはきたが、私の中で彼は永遠の若手枠としての役割を果たしているからだ。
そのため毎年7月12日が来るたびに「嘘っ…ショーがもうそんな歳!?」と彼の年齢を驚きつつ自分が歳を重ねたことも実感し絶望するのはもはや恒例である。
ちなみにシーズンで22回も警告を受けるなど、イエローカードでもキャリアハイです。
この年に私が購入したユニフォームはポグバが着ると覚醒するあの3rdユニフォーム。いつみてもホームユニフォームは歴代でもかなりイケてるものであるため、変なところで逆張りが発動したことを本当に後悔している。マーキングはもはや言わなくてもわかるだろう。
この頃、ある程度サッカーを嗜んでいる人からは「ルークショー?誰それ?」と言われなくなる。
21/22 何を期待してたんだと思う?
この年は本当に何も覚えてない。
コンスタントに試合に出てはいたし、そこそこ活躍はしていた。
ただ、チームの成績が悪いと記憶から消去するという技を会得してしまったため、本当に何も思い出せないのだ。
相変わらずスタメンで出場し続け、8年目にしてクラブで200試合出場を達成したこと以外は彼のキャリア史上最も何もなかったシーズンかもしれない。
ただ、彼は自身2度目となるイングランド代表での得点を決める。弾丸のようなシュートはスイスGKヨナス・オムリンの手を掠めてネットに突き刺さった。
私は見逃してしまったわけだが、後ほどこのゴールを見た時には何か感慨深いものがあった。
というのも、クロスマシーンになる前までのショーはそこそこシュートを打つ方だったのである。
2014~19と2019~23(1/10現在)のスタッツを比べるとこうだ。
見てもらえればわかる通り、昔の方がシュートが多い。今ではほとんど見ないが、ショーは並以上の体重・体格からくる大砲のようなシュートを持っている。そしてそのほとんどはキーパーの正面に吸い込まれていった。
彼が打つシュートの威力は十分であったため、いつかやってくれるだろうなぁと私は期待していた。
そしてそれを忘れかけていたところで彼はその期待に見事に応えてくれたため、スイス戦でのゴールには特別な感情が生まれたのだ。
22/23 好きなショーってなんですか?
左手にタトゥーを入れて臨んだ新シーズン。
アレックス・テレスがセビージャにローンで出向し、その代わりとしてタイレル・マラシアが迎えられた。
彼はプレシーズンで素晴らしい活躍を見せたものの、開幕スタメンには23 SHAWの名前が刻まれていた。
しかしブライトン、ブレントフォードと相対したショーは不調も不調、絶不調。質の低いプレーに終始し、苦手なカウンター対応は更にザルになっていた。
このときは私ですらさっさとマラシアと交代させろと思っていた。
マラシアは次節のリバプール戦にスタメン出場。そこから好調を維持し、テンハグの期待に応えた。
私はというと3回目ということもあってだいぶ慣れており、「(あ〜あ、まーたこの時期かい。)」と、かなり呑気だった。
実際、彼らのプレーを比べればショーのベンチはあまりにも妥当だった。
とは言いつつ、徐々にマラシアの攻撃性能の低さが露見し始めるとまたすぐにルークショーはスタメンに復帰した。
結局マラシアはライトバックとしてプレーさせられるなど様々な起用法を模索される形となり、ルクショニスタとしては愛する選手の偉大さを知り、誇らしさも感じた瞬間だった。
W杯ではイングランド代表にレフトバックが枯渇していたこともあって余裕のスタメン。数字こそ余り残せなかったものの、ソリッドなパフォーマンスを見せキャリントンに帰還。
問題はその後である。
リサンドロ・マルティネスがW杯終了後にお休みを貰い、左利きのCBがいなくなったところでまさかのCB起用。
そしてショーはその役割を見事に果たし、最高の繋ぎ役としてL・マルティネス帰還までのマンユナイテッド守備を安定させてしまったのである。
(現地ではレフトバック起用でなるべく近く彼を拝みたかったな…)
加えてなんといってもボーンマス戦でのあのゴール。私は空の上で静かに観戦をしていたのだが、ショーが決めた瞬間は嬉しさのあまりガッツポーズをしてしまった。
追記:
先日のダービーでもまさかまさかのCBショー。かなり頑張ってたけどやっぱり彼は左で見たい。
いつまで繋ぎをしていればいいのでしょうか…
リサンドロさん、早くコンディション上げてくださ〜い。
おわり
ここまでルークショーと私の思い出をつらつらと並べてきたけど、かなり濃厚な8年間だと思う。
そして学生時代の半分以上はマンユナサポーターとして過ごしていたのか…
私はかなり飽き性のため、すぐに飽きるんだろうな〜と思いつつダラダラ観戦を続けていたらもう社会人になる歳を迎えてしまいました。
それはさておき、ショーを応援していて1番ラッキーだったと思うのは、クラブに長く在籍してくれているということ。
マンユナイテッドのようにメガクラブでなくとも一つのチームに10年近く留まる選手はなかなかお目にかかれないと思う。
在籍期間でいえば彼は既にエブラとヴィディッチを超えているという事実。
そんな中で約3年間の深すぎる谷はあったものの、ルークショーという選手がクラブを代表する(かどうかはわからない)プレイヤーとしてデヘア、PJに次ぐ最古参メンバーの1人となったのはとても嬉しいです。
最近は好パフォーマンスもあってTwitterで「ルークショー」と検索すると簡単には自分のツイートまでたどりつけないことにも感動しており、ルクショニスタ界隈も盛り上がってきたなと思ってます。そんなものないけど。
ということでなんとな〜くと思い立ち、つらつら書いてみました。
一生届かぬ思いではあるけれども、応援し続けるからこれからもよろしくね
人生は冒険や!死んだらあかん!
あざした~
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