「理想のデートプラン」の誕生─デート価値観とエコシステム

ツイッターを見ていると男女で毎日のように揉めている。

晒し上げることはしないが、先日見たのはお年を召した女性の「デートで割り勘する男はクソ。奢らない男は価値がない。」というツイートが炎上していた。これには男性側はもちろん、女性側からも批判が寄せられていた。

私はこれを見たときに率直に実に昭和的だと思ったわけだが、それにしてもこのような考えはかつての女性雑誌が広めたものである。かつて(昭和以前)女性の社会進出が進んでなかった時代は男性の方が収入も多く、女性に奢るのは一定の合理性があった。くわえて、女性は結婚したら退社(寿退社)するのが当然であった時代、男性側が奢れる能力すらなかったらその男との結婚生活は経済的に不可能だっただろう。

つまり、昭和的な価値観ではこのツイートは合理性がある。だが現在はこんな価値観は合わない…そんな話なのだが、先に述べたようにこれらの考えは女性雑誌が煽り立てたものである。繰り返すが、当時これらの考えは正しいとは言えなくとも前述の理由から決して間違ってはいなかった。

高度消費社会と化した戦後日本(ヨーロッパなどもそうだが)ではあらゆる価値観は「発案」され、「普及」し、さも当然のような顔をして存在するに至る。この価値観は創造されるのである。しかも我々はそれらの価値観をまるで昔から存在したかのように思ってしまう。例えば、明治維新後、西洋=発展している尊敬すべき国、という図式で白人の要素を持つ日本人が(または白人そのものが)「美人」とみなされるようになった。懸命な諸君はここまで言えば平安時代の「美人」の絵を思い出し、日本の美の基準が大きく変わったのだとすぐに気づくだろう。我々は明治維新後の美的基準をまるで、あたかも何千年も普遍に続いてきたかのように捉えてしまう。

我々の価値観は盛んに変更される。女性の理想のデートプランなどもそうだ。デートの理想的プランは時代とともに変わっていっている。これらのデート価値観とでも言うべきものも煽り立てる「なにか」がいる。それは2019年では複雑に産業化された、広告業界や出版社、有名人、アルファツイッタラー、アルファインスタグラマー等の結びつきそのものだ。これらは一種のエコシステムを形成しており、我々人間の臓器が互いに補完しあい、どれか一つでもだめになれば生存を維持できないのと似ている。ともかく、私がここで言いたいのは理想のデートプランはこれらのエコシステムによって算出されるということだ。

話は簡単で、現在、女性雑誌やインスタグラマー等がデートの「テンプレート」を示し、そのテンプレートに憧れる数多の女性がそのテンプレート通りのプランを「理想のデートプラン」としているのである(=新たなデート価値観を創造している)。このデート価値観に沿えば、人々は幸せを感じられるわけだ。デート価値観は決まった行動を提示する。仮にタピオカミルクティを飲もうとして、世界一美味しくて待ち時間のないタピオカミルクティを出す店があっても、インスタグラマーが紹介した店のほうがいいのだ。そしてそのように行動したほうが実際「いいね」がもらえる。今やSNSのいいね数は幸せのバロメーターとも言えるまでになっている。「インスタ映え」という言葉は言い得て妙だ。「美味しい」とか「楽しかった」ではなく「インスタ映え」なのだ。如何にインスタ映えをしていいね数を稼げるかなのだ。

これらのデート価値観は実は男性にも及んでいる。「女性はこういうデートをしたがってますよ」と男性側にも喧伝し、男性は行動する。男女ともにデート価値観は創出される。そして─皮肉なことに─そのような価値観の行動は満足を生むのだ。かつて近代ヨーロッパで中流階級が勃興した際に真っ先に流行ったのは貴族の模倣であった。彼らは貴族のマネごとをして喜んだ。それが楽しいだとか合理的だとか生活が楽になったとかは関係ない。模倣そのもので満足していた。今の我々も同じだ。メディアが宣伝するデート価値観にマッチしたデートを行えば満足する。人は古今東西男女問わず変わらない。

ここまで半ばデート価値観を批判してきたが、利点もある。それはデートプランを立てやすいのである。雑誌やインスタで紹介されていたおすすめデートスポットに行き、おすすめされたレストランで食事するなど実にシンプルで、満足感を得られるのだ。イチからデートプランを計画するだけの余力はもはや現代社会で暮らす我々にはない。そういった面でも、デートプランは役立っている。これらの利点は大きいものだ。我々は「思考の節約」(byリップマン著『世論』)を行う生き物なのだから。脳の労力をいかに削減するか、この節約方法を最大限に発揮し我々は生きてきた。ステレオタイプやレッテル貼りはこのようなときに立つ。

まとめると、時代とともに理想のデートプラン(デート価値観)も変わってきた。それらはあまりに自然で、しっくりくるため、あたかも最初から変化がなかったかのように感じる。これらは高度に発達した資本主義の巨大なエコシステムによるものである。我々(男女問わず)がデート価値観にのっとった理想のデートプランを行うとき、大きな満足感を得られる。これらは脳の思考という労力の削減になり、メリットが有る。

…このように偉そうに書いてきた私でさえデート価値観から逃れられない。インスタグラムではなくツイッターに影響を受けている。ツイッターでおすすめされたグルメを食べ、ツイッターでおすすめされた場所に行ってきた。偉そうに言える口ではない。

生活がツイッターに侵食されてる!誰か、誰か助けて!!!!


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