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【短編】幸福を展示する美術館

(1)来館者

悲しい顔をした女性の来館者がやってくる。

受付の中年女性は、そんな女性の顔を見ると素早く
デスクのボタンを押す。

「いらっしゃいませ」

ボタンを押し終えると受付の中年女性は努めて普通を
装い、挨拶をする。

「大人1枚」

悲しい顔をしている女性は、蚊の鳴くような小さな声で
切符を求める。

受付をしている中年女性は、若い時にはそれなりに体型を
保っていたのだろうが、今はすっかり体重過多になっている。

だからいつも自分のことを悲しく思っているのだが、その
振る舞いには一向に痩せようとする意思は見受けられない。

食事を思う存分楽しみ、お酒も浴びるほど飲む。

だから実際のところは、果たして本当に自分のことを悲しい、
と思っているかは分からない。

さてボタンの話だ。

先ほど押されたボタンはどこに通じているのか?

相変わらず昭和時代そのものの所謂電球と呼ばれるものが
点灯した。

地下にある管理人室のような部屋。

その部屋の壁には、唐突に裸電球が取り付けられているの
だが、その電球が先ほどいきなり点灯したのだ。

その電球の真下には古びた机があり、机の上からその周辺
にかけて、おびただしい数の本が取り散らかっている。

机の主は顔中にヒゲを蓄えた年齢不詳の男性だ。

机の相棒の椅子は、いかにも使い込まれた感が漂う革張りだ。

ひょっとしたら燃えないゴミの集積場から拾われてきたのかも
しれない。

点った電球を確認した男性は椅子から立ち上がり、慌てて
鉄製の階段を上っていく。

階段はらせん状になっていて、かなりしんどい思いはするが
そのまま1階、2階、3階へと行くことができる。

しんどい、というのはその男性も受付嬢と同じく、過度の
体重に悩まされていたためだ。

つまりそのらせん階段は、男性には幅がすこぶる狭い上に、
らせん故に目が回ってしまうからなのだ。

しかし電灯が点ったからには行かねばならない。

重い足取りで男性、いや彼には当然名前があるので、その
名前で呼ぶことにしよう。

福安 幸男、ふくやす さちお。

いかにもバラ色の人生を歩んできたような名前だ。

本人も自分の人生にはかなり満足をしているし、今までに
ひどい苦労をしたという記憶は全くない。

とは言っても福安の年齢には、そこ(美術館だ)に勤める
人々はからっきし興味が無いので、誰も知らないのだ。

長く生きてきたのか、それほどでもないのか…。

不明のまま、福安はそこで仕事をし続けている。

悲しい顔をした女性はエントランスを抜け、最初の展示室に
向かっていた。

展示室の扉は開け放たれているので、絵画が展示してある
様子が向かう途中からうかがえる。

ただ消沈している女性の目には、絵画などどちらでも
よかった。

ただひとりきりで、静かに時間を過ごすことができる場所
だけが必要で、美術を鑑賞しに来たわけでもなんでもなか
った。

また視線を床に落として歩いてきたので、いきなり福安が
目の前に現れた時にかなり大げさに驚いてしまった。

(2)美奈子

「あ!」

「ようこそ!」

女性は見ず知らずの(おそらく)初老の男に挨拶され、
訳が分からなくなった。

いきなり現れたひげ面の男性に話しかけられて女性はひどく
狼狽した。

誰とも話したくなど無かったから…。

福安はそんな女性の狼狽には全くお構いなしで話し続ける。

「今日はいいお天気でしたか?」

ここで女性の名前も明らかにしておこう。

名前は、鈴木 美奈子。

いたって普通の名前だが、彼女はもうこの名前のまま30年間
過ごしている。

落ち込んでいる理由はこれから福安が聞き出すはずなので、
ここでは触れない。

「お天気、知らないんですか?」

美奈子は呆れながら福安に尋ねた。

「そうなのです!ずっと地下室にいるので天候がさっぱり
分からないのです!」

そんな人が本当にいるのだろうか?

訝しく思いながらも答えないわけにはいかないと思い口を開いた。

「大雨ですよ」

福安はすぐにそれが嘘だと気がついた。

傘も持っていないし濡れてもいない。

そしてその女性が明らかに自分を小馬鹿にしているような表情を
したのが見て取れたからだ。

「そうですか、それは大変でしたね」

美奈子をじっと見ながら、わざとらしく首を上から下まで大げさに
振って、福安は答えた。

雨の一滴さえ感じられない靴で首の動きを止めてから、くるりと
背中を向け、首だけをひねって福安は言った。

「どうぞ、展示をご覧ください」

美奈子は内心忌々しい気持ちでいた。

ひとりになりたくて、あえてほとんど来館者のいない美術館を選んで
やって来たのに、なぜ得体の知れない男に案内されなくては
いけないのか…。

しかも分かりやすい嘘までもつき、自分がいかに好ましくない
人間であるかを訴えたはずなのに…。

この男は相当に鈍感らしい。

「私は、ひとりで…」

と美奈子は言いかけたが、その言葉に被せるように福安は話し
かけてきた。

「ここに展示してある絵画は、人間の内面を抽象的に描いたもの
ばかりです」

順路というものがあるのかどうか、福安に導かれるままに部屋を
進んだ。

最初の絵は小さな花器にまったく合わない異常に大きな深紅の
花が生けてある絵だった。

深紅の花は別珍のように光を吸い込んでしまうような色合いで、
艶めかしく花びらを開いている。

まるで巨大な食虫植物のようだ。

美奈子は首筋が冷たくなるような気持ちになった。

いちいち絵画に描かれたものの意味を掘り下げていては大変だから、
あえて考えないよう努めながら美奈子は絵画を見ていった。

福安は相変わらず自分の横にぴたりとついていて、どうにも立ち去る
気配はない。

饒舌に絵画の説明をするわけでもなく、ただ一緒になって見ている
だけだ。

時折腕を組んだり、小さなため息のような声を発したり、この男が
どういう理由で傍らにいるのか不明のまま時間は過ぎていった。

美奈子には到底理解できないような、ある意味グロテスクな絵画
ばかりを見ているうちに1時間ほど経ってしまった。

悲しい気持ちでここに来たのに、こんどは得も言われぬ嫌なぬめり
が身体を包んでしまったように感じた。

(3)福安の部屋

「最悪だなぁ…」

本当にかすかな声でひとり言を言ったら、すかさず福安が返事をした。

「何かあったのですか?私でよければお話しをうかがいますよ」

不意を突かれた美奈子は思わず言ってしまった。

「はい、ぜひ聞いてください」

福安は極上の笑顔を浮かべていた。

「では、お茶をご用意しますので、私の部屋にお越しください」

促されるまま、美奈子はらせん階段に続く扉の前まで歩いた。

さきほど感じたぬめりが一瞬強くなった。

剛毛がびっしり生えた汗だく男の手が、自分の太ももをつかんでいる、
そんな絵が頭に浮かんだ。

らせん階段は留置場の柵のような鉄製の手すりと鉄板の踏み板とで
できていた。

降りていくうちに軽く目眩がするように感じた。

階下に着いた。

思ったより広々としていたが、照明がずいぶん暗くてあまり
よく見えない。

時折、水が流れるような音がする。

「あ、その音ですか?それは下水の音です」

「下水、ま、トイレを誰かが使って水を流すとその音がする
わけです」

美奈子が周りを見渡すと、確かに筒状になった太めの管が壁沿いに
2〜3本並んでいた。

見るわけでもなく乱雑に積まれた本を眺めていたが、湿った皮の
匂いがきつくて、本を手にしたいとは思わなかった。

とにかく古めかしい洋書だということだけは分かった。

福安がコーヒーを用意し始めた。

ミルを使ってコーヒー豆を挽き始めると何だか気持ちが落ち着いて
きた。

コーヒーの香りは、迂闊にもこんな部屋に来てしまったことを
を忘れさせてくれた。

「さぁ、お飲みください」

福安がいかにも味には自信がある、といった顔つきで言った。

「ありがとうございます」

礼を言ってから、温かいその液体を口に注いだ。

「実はあなたが暗い顔をされていたので、気になってしまって」

髭の中から妙に赤い唇が動いてそう発音した。

温かい飲み物のおかげか、美奈子は自分のことを少し話す気に
なった。

「わたし、頭がおかしいんです」

いきなりの告白に福安は思わず笑ってしまった。

「ほう!頭がですか?」

「そうなんです」

「例えば地下鉄が駅に入ってくると、ホームから転落する自分を
想像してしまうんです」

「高いビルに昇ると、屋上から地上に落ちていく自分を想像して
しまって怖くなるんです」

福安はにこにこしながら聞いていた。

「でも、それは今の悲しみとは別の話ですよね?」

福安の言い方に美奈子は少し腹が立った。

「そうかもしれません」

自分は今、少し怒っているということを、この遠慮の無い髭面に
分からせるためにあえてきつい口調で美奈子は答えた。

「当館は、来館者の悲しみや苦しみを受け止めるべく、ある団体
によって建てられました」

そんなことはどうでもいいのに…。

美奈子はもう帰りたくなっている自分に気がついていた。

「わたし、用を思い出しました!帰ります」


(4)分厚いノート

福安の表情が変わった。

「そうはいきません」

「地下のこの部屋に来たからには、悲しみの訳を話していただか
なければならないのです」

分厚いノートを書棚から取り出して福安が言った。

「このノートに、あなたの悲しみを綴らなくていけない」

「それこそが私の重要な仕事ですから」

椅子から立ち上がろうとした美奈子の肩を押さえながら福安は
わざとらしく笑った。

仕方が無い…。

嘘でもいいから適当なことを言ってここから逃れよう。

そもそも美奈子は「嘘」が大好きだった。

福安に今日の天気を尋ねられた時にも嘘をついた。

尤も福安は、今日が雨だろうが晴れだろうがどちらでもよかった
だろうが。

「さて、あなたの悲しみ、教えてくださいな」

猫なで声で福安に促された美奈子は、どんな嘘にしようかを懸命に
考えていた。

そうだ!こんな話にしよう!

「わたしの悲しみは、大切な人を失ってしまったことによるものです」

「やっぱり!」

福安はうれしそうだ。

人の悲しみや不幸を聞くことがこの男の役目であり、喜びでもあるのだ。

だから目がキラキラしているのか…。

大切な人を失ったなんていうのは大嘘だが、うまく辻褄を合わせてこの
男を納得させて帰ろう。

すっかり冷めてしまったコーヒーをすすり、美奈子は話を続けた。


(4)美奈子の告白

その日はからりと晴れ上がった気持ちのいい日だった。

朝早くに目が覚めた美奈子は鼻歌を歌いながら、先ずは
洗濯を始めた。

洗い物はたっぷりあった。

その理由は、相当な量の血を吸いこんだ服や、血に濡れた床を
拭いた雑巾代わりのTシャツなどがかなりあったからだ。

鼻歌の歌詞を途中で忘れてしまったので、ハミングで歌を続けた。

ベランダにそれらの洗濯物を干しながら、ときおり部屋の中を
振り向いては暗澹たる気持ちになった…。

もう既に物体と化したその「もの」は、手に負えないほどの
存在感があり、目眩がするほどだった。

ここで誤解をされてしまうといけないので少し注釈を加えると、
誰もが「死体」だと想像しているに違いないその「もの」は…。

実は。

美奈子が殺めた「もの」ではなく、昨日帰宅した時にどういう
わけだかダイニングキッチンに倒れていた「もの」なのだ。

いささか気が滅入ったが、あるものは仕方が無い。

近寄って観察すると派手なTシャツ姿の長髪の若者だった。

TシャツにはTレックスのマーク・ボランが描いてあった。

倒れている若者とTシャツのマーク・ボランがあまりによく
似ていたので、美奈子はすっかり本人だと思ってしまった。

ちょうどiPhoneに20thCenturyBoyが入っていたので盛大な
音量にして、お気に入りのイヤホンで聴くことにした。

Tシャツの方のマーク・ボランはその唇辺りにナイフが刺さ
っていて、かなりサイケデリックな色彩になっていた。

内心「めんどくせえ」と思ったが、そこいら中が赤い液体で
溢れているので、仕方なく綺麗にすることにした。

かなり気持ちは悪いのだが、繰り返し大音量で聴いている
20thCenturyBoyのおかげでちょっとずつ気が楽になった。

ナイフを抜くと、じょろ、っという感じでケチャップがお腹の
横に流れてきた。

美奈子は「これはケチャップだ!」ということにしよう、と
決めていた。

だって「血なんだ」って思ったら気分悪いし。

いやいやそもそもそれは「血」なんだけど。

女の力で男の身体を動かすことは大変だったが、Tシャツを脱がせ、
ジーパンも脱がした。

ださい白いブリーフをはいていたので、思わずひとり言を言って
しまった。

「かっこ、わる〜!」
血だまりはマーク・ボランから脱がせたマーク・ボランの
Tシャツや、もう着ないだろうな、と思った自分ミッキー
Tシャツで拭いた。

何だかんだと時間が経ち、午後3時ほどになってしまった。

「もの」をこれからどうしようか?

冷静になって考えることに決めた美奈子は、ある美術館へ
向かっていた。

よくよく考えてみれば、どうしてあんな災いが自分に降り
かかったのか…。

それを美術館で考えよう…、そう思っていたのだ。

自宅のマンションを出て、青白い顔をしてバスに乗った。

美術館近くのバス停を降りた美奈子は、歩いているうちに悲しく
なってきた。

そして丘の上にある美術館に着いた。



(5)悲しみから幸せに 

嘘をついたら、すっきりした。

福安はそんな私を見ながらにこにこしている。

「ところで、その…マーク・ボラン…でしたっけ?」

「あ、マーク・ボランに似ているだけの若者です」

「それは、その後どうなっているのですか?」

そう福安が尋ねるとほぼ同時に美奈子のスマホに着信があった。

「すみません、ちょっと電話に出てもいいですか?」

福安はにっこり笑いながら大げさに手のジェスチャーで、どうぞ、
と示した。

美奈子は席を外して離れたところに行きぼそぼそと話している。

福安はその時間を利用して先ほど聴いた話をノートに綴った。

やがて電話を切って美奈子が戻ってきた。

「悲しみの理由をお聴かせいただき、ありがとうございました」

福安は美奈子に謝意を伝え、話の続きを促した。

「マーク・ボランに似た若者は?」

美奈子はそわそわし始めた。

だって、あの話は全て嘘なのだから…。

福安は美奈子の狼狽ぶりを見て誤解したのか、猫なで声でこう
言った。

「きっと思い出したくないんですね、けっこうですよ、もう
話されなくても」

美奈子は口角を上げて急に大声で笑い始めた。

「分かっているくせに、よくそこまで話を合わせられますね!」

大きな笑い声をあげている美奈子を、福安はじっと見ていた。

そして…。

「良かった、とても楽しそうに笑ってくれた」

そう言うと、美奈子に飛びかかり首を絞め始めた。

美奈子は驚いたように、思い切り見開いた目で福安を凝視していた。

面白いなぁ、目の玉が落っこちそうだ…。

そんな想像を楽しみながら福安は首を絞め続けた。

いきなり美奈子の身体の力が抜けた。

床にだらしない姿で倒れている美奈子を眺めながら福安は、妙な
幸福感に包まれていた。

いつごろからか彼は生きものの命が果てる瞬間を体感することに
とてつもない快楽を感じるようになっていたのだ。

手慣れた感じですっかり動かなくなったそのものを引きずって、
福安は美術館の裏庭に来た。

枯れ葉でびっしりと地面が埋もれている裏庭。

福安はその庭にしばらく佇み、空を見上げた。

すっかり暗くなっていたが、いつもにまして月が明るく輝いていた。

幸福感のあまり、福安は涙を流していた。

先ほどまで息をして油断なく動いていた生きものの命を、自分の手で
終わらせた、その感触を思い出しながら…。

そして心の中で呟いた。

「全ての人が、幸せでありますように」


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