取り返しのつかないことを悔やむだけの非生産的な日々に飽きた

久しぶりの根暗日記。たびたび過去の嫌な出来事がフラッシュバックして気分が落ち込む。思い出したくないのに、壊れたレコードみたいに辛い記憶ばっかり何度も再生される。いつまでも過去に囚われていて生きている感じがしない。そうなるともうダメで、椅子に座ってボーッと宙を眺めることしかできない。こんなことしてる場合じゃないのに。今日も結局何もできなかった。その繰り返しでどんどん自分に自信がなくなる悪循環。これが自宅ならまだしも外出先でも頻発するので悩ましい。とにかく憂鬱で何も考えられなくなっているので、人の話を聞けないし、周りが見えなくなっているためいつもなら気がつくことにも気づけないで迷惑をかける。話しかけられても愛想良く応対する元気がなく、宙を眺めたままぼそぼそと適当な返事しかできない。なんでこうもパフォーマンスが落ちるのか……はやく元に戻りたい……。と願っても無駄で、時間が解決してくれるのを待つしかない。

もうこんな日々に飽きた。どうせ明日も憂鬱なまま時間が流れていくだけだ。早起きしたって散歩したって鬱から抜け出せない。……。

戦う気力が尽きていたのに、逃げることもしなかったことをずっと悔やんでいる。あのときの自分を救ってあげたかった。甘えじゃないよ、頑張ったね、と抱きしめてあげたい。もし私が健やかに育っていれば、毎日学校に行けていれば。こんな無駄に時間を溶かすだけの日々を知らないまま生きていけたのに。家族や友達に迷惑をかけずに済んだのに。こんな偏屈者にならなかったのに。

とはいえ、私のことだから、どうせ何事もなく登校を続けていられたとしても、なにかと不満を抱いて「あのときこうしてれば」と別のことを悔やんでいただろう。そういう性格なのだ。過去に戻れたからって、いまがこれ以上よくなる保証もない。それにきっといつかはこうなる運命だったに違いない。私は昔から「ちょっと変」「おかしい」「ズレてる」と言われ続けてきたし、正直自分でもなんとなく悪い意味で人と違う自覚がある。普通になろうとしても自分のアイデンティティがすり減っていく感じがしてできないし、そもそも「普通」がなんなのか分からない。没個性よかマシだと思って皆の真似をすることを放棄した結果、ただの協調性がないやつとして排斥された。「普通ではない自分」を気にしていることが、自分が普通の人間である何よりの証拠だとは思いつつも、やっぱりちょっと変なことに変わりはないと思う。世間一般の女性がする身だしなみとか振る舞いとかが分からないから大学でも浮いてるような気がする。ワイの人生じゃ好きなように生きさせろや!という自分と、人並みの経験をして普通の人生を送りたい自分がたびたび喧嘩を起こす。

自分はこの「違和感」を誰にも話していない。理解されっこないとわかっているからだ。やってみないと分からない、という言葉があるが、なぜ傷つくと分かっていて飛びこまないといけないのか。勝算のない戦いに挑むのは、勇気なんかじゃなく無謀だ。ただの馬鹿だ。……と、理屈っぽいことを言っているが単に臆病なだけである。いつもそうだ。自分だけは傷つかないよう殻に閉じこもって、それで他人が傷ついてもいいと言うのか……いいと思ってるのだろう、自分は……認めたくないけど。

毎回似たようなとりとめのない日記を書いている気がする。結論がなければ具体的な解決策もない。しかし、それでいいのだ。感情任せでいいから、自分が何に困っているのかを書き出してみるのが問題解決のための一歩なのだ。いや、知らんけど。



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