雪のように恨は降りつみ。そして我々は(#3)

3ミリほどの大きさの、なめくじ色をしたアーモンド形の虫が、私の左手の甲の上をズリズリと這い上がってくる。無数の脚が奇妙奇天烈に蠢いているのが見えた。

私は左手をそっと机の上にのせた。
言葉を続けるJの顔を横目で見ながら、虫の行方を目で追うために。

あの頃、あの子の家にはたくさんの人間が出入りしていました。よくは知りませんでしたが、わたしには、どいつもこいつもゴロツキに見えた。あの子を騙す、悪いやつらだと。しかし、あの子はいつでも、自分より強い者の言いなりなんです。ねえ?そんなの、心配でないわけがないでしょう。

もちろん、とJは大きく肩を落とした。

あの子に何かあれば、わたしにも害が及ぶことがある―――そのことを、考えなかったわけではありません。ただ、すべてにおいて、わたしは、わたしが、あの子に約束をさせるべきだ、と思ったのです。

虫は私の左手首を超えて、私の白いブラウスの袖口に到達した。むちりとしたグミ状の躰をくねらせて、無数の脚をせわしなく動かしている。虫が自分の体の上を這っている、というだけで、窓から流れ込む風がどこか生臭いように思えてくるから気味が悪かった。
それで、と、私はJの言葉を促した。あなたはご兄弟に、何を約束させたのでしょう。

Jは口元に、わずかな怒りをにじませた。

誰かの言いなりになるな。自立しろ、と。
あの子が理解したかどうかは、定かではありません。嫌だ、一方的だと、最後までごねていましたから。しかし皆、誰しもが考えるべきなのです。誰かに守られるだけで、自分で自分を守る力を持てないということが、一体どれほど不自由なことなのか―――。

どうにも、袖口の虫が目障りだった。
私は右手の人差し指と親指とで、虫を潰した。ぶちん、という生々しい音とともに飛び散った血が、ブラウスの袖口に小豆色の染みを作った。

虫の小さな体からは想像もできなかった大きな血しぶきに、私は思わずまごついた。袖口に残った血だまりの大きさは、紛れもなく虫の命の痕跡であり、指先に残った弾力は、虫の命の重量だった。蠢く脚の感触が、左手の甲の上に残っている。ほんの数ミリに満たない虫に体温などあるのかどうかは知らないが、私の指が覚えている、それはたしかに、虫の命の生温かさだった。



(続く)

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