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寿都と神恵内の決断に。ふるさとの海を想う週末

北海道後志管内寿都町、および、神恵内村が、いわゆる「核のごみ」最終処分場選定のための文献調査応募に踏み切った。

私の生まれ故郷は、近隣市町村のうちに含まれる。
言ってしまえば、あの辺一帯、ふるさとだ。

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連続ドラマの「チェルノブイリ」を観たばかりだ。

放射能は、人の眼には見えない悪魔として描かれた。
事故のすぐ傍にいた人は、あっというまに体調を崩して吐き、倒れた。しかし目には見えないから、空気中を舞う放射性物質を含んだ塵の中でも人々は生活し、子どもたちは遊び続ける。

―――あまり書けない。
実際に福島の事故でこの事実に直面し、故郷を失い、いまも苦しむ人たちがいるから。

***

核のごみは、高レベル放射性廃液を混ぜ合わせた「ガラス固化体」として処分される。
製造直後のこの物質の前に立つと、人は20秒で死ぬらしい。無害化するまでには10万年もの月日が必要だという。

それが、地下300メートル付近に埋められる。
たったの300メートル? 自分の足元からわずか300メートルの場所に?

ステンレス容器、粘土・・・と厳重に封じられ、岩盤の中に埋められるというが、とはいえ、人間の作ったものに100%安全はあり得ない。どんなものでも。

海が近いのだ。大丈夫か。

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最終処分場の建設には、そもそも私は賛成である。

これまで、当然のように電気のある生活をし、これからも電気のない生活が考えられないならば、それによって出たごみの処分は、どこかで誰かが引き受けなければならない。

今ここで反対しても、別の市町村の誰かが、あるいは、未来を生きる子供たちが、―――いずれは直面しなければならない問題なのだ。

でも。

でもね、それにしても―――

私の脳裏に、ふるさとの青く澄んだ海がよぎる。

そして私は、賛成だ、と大きな声で言えなくなってしまう。

***

子供の頃、毎日のように海で遊んだ。
磯の波打ち際、転がる石をひっくりかえすと、小さなカニがいる。小魚や、小さな巻貝をつかまえて、日が暮れるまで遊んだ。波は真夏でもひんやりとして心地よく、足の指の間をすり抜ける砂の感触を、海から遠く離れて暮らす今でもありありと思い出せる。

もしも。

あの波の中に放射能が混じったとしたら。

じわじわと身体が蝕まれていくのだとしたら。

それも自分ではなく、自分の愛する人や子どもたちや、孫やひ孫たちだったとしたら?

そうでなくとも、風評被害というものもある。目に見えないから、人は余計に恐れるだろう。観光客はこれまでと変わらず遊びに来て、海鮮に舌鼓を打ち、自然豊かで澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んでくれるだろうか(ウニを食べるためだけに来ました!と言って、毎年必ず来てくれたあの人たちは)。

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複雑だ。わからない。

私は今はふるさとから離れて暮らしているが、現地に近ければ近いほど、特に住民の気持ちは複雑だろう。
賛成か反対か、0か100かで、判断できる問題ではないかもしれないし、全員が納得できる答えはありえないかもしれない。

しかし、希望がないわけではない。
少なくとも、「核廃棄物処理の議論をする絶好の機会」「話すことすらタブーという現状を打破するきっかけになる」という声や、「近隣町村を含め、国民的な議論にしたい。嫌だ嫌だではなく、まずは基本的な知識をみんなで共有しなければ」という、寿都の片岡町長の発言は、まったくもってその通りだと思うのである。


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