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文章を書くときの話

文章書く時って、なんかしらのソフトが実行されたような「スイッチが入った感じ」がするんですよ。

起動条件は前兆なしにやってくることもあるし、思い立った瞬間入ることもあるし、無理やり実行させることもあるけど、ほとんどは意図したときにスイッチが入るんです。

そうなると前と後では出てくる文字の量は比ではなく、スタミナが切れて満足するまで「描き続けます。」

「書く」じゃないんですよ。
そのとき頭の中では映像が映し出されてて、それを忘れないうちにある程度体裁を整えて書き留めているうちに「まぁ読める文章」になってるって感じ。

情景が連続的に流れるから、形容する言葉が止まないのです。

「今まで私が仕入れてきた情報」が無意識下で結合されて、「我ながら驚くビジョン」や「どの情報とどの情報が融合して発生したか不明なビジョン」が錯綜する様子は、特に睡眠時の夢の中が最も盛んになります。

このワクワク感は、さながら「新たな映画が毎日上映される様」です。

(しかしトラウマな記憶も含まれるので、時には「ある種のホラー的なビジョン」もやってきますがね。)

抑うつになった時はストレスから逃避するために快い白昼夢に逃げたり、夢からお話のインスピレーションを得て飛び起きて書き留めたり。

意図してビジョンを描く時は、目をつむってプレイリストから適当に一曲選択して、あとは曲調や強弱のタイミングに合わせて「気分の良くなるシーン」を想像するんです。

(例えばcarpenter brut - le perv に合わせてセフィロスとMGR:Rの雷電がバッチバチの剣劇をするシーンとか)

「潜在意識」など意識することなく、常に「ビジョン」と一緒に生活してきたんです。

だから左脳的な「文字の組み立て」、もするにはするんですが、右脳的な「映像の言語化」をすることによって「文字を書く作業」が苦ではなくなったのでしょうね。

(とはいえ「全く関心のないこと」についてはビジョンは働かず、故に好奇心やロマンが働く対象でなければ私は無力で、その瞬間「非生産的」と同義になってしまうのですがね。)

そういう訳で、はたから見れば「よく文字の書ける人」と映るのでしょうね。

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