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【感想】真・女神転生Ⅴ 「メガテンらしさ」を問う

こんにちは、なるぼぼです。

個人的にこの感想はあんまり書きたくない、と思っていたのですが、流石にそろそろ一つ書いてみてもいいかもな、と思ったので、真5の感想を書き起こしておこうと思います。
で、今作に関してなんですけど、かなり主観的な視点が入り込んでしまっていると思うので、あえてレビューの言葉を使わず感想程度にとどめておこうと思います。
かなり個人的な感情を吐き出すので、予めご了承ください。
加えて、この記事は真5のネタバレを含みます。そちらもご注意ください。

それではいきましょう。

※この記事、実は真5クリア直後に大部分を書いたのですが、諸事情あってお蔵入りになっていました。
今は記事を書いたころよりも肯定的に作品をとらえていますが、本記事は「クリア当時の自分の感想」として特に手を入れていません。
当時の感想であることに、予めご留意ください。

1.「育成」のすべてを注ぎ込んだ最新作

さて、まずは本作の最大の強みからお話していきましょう。

本作は従来の作品より「育成」が徹底されています。
写せ見の要素が追加されたことで主人公、悪魔ともにスキルの調整が自由に行えるようになり、かなり丁寧に理想の悪魔を作ることができるようになりました。
また、写せ見によって主人公の耐性を変化させることもできるため、ボス戦前に体制を整えて自陣を有利にしていくといったような、具体的な対策を組めるようになっていたのも面白いです。
特に写せ見のスキル調整はアバタールチューナーでやっていたことと全く同じなので、「ここでこのスキルを入れてあげよう」と戦略を練ることができるのは非常に良かったです。

もちろんストーリー中は悪魔のレベリングをゴリゴリと続けるには限界があるのでどこかで手放さないといけなくなります。
しかし、クリア直前までゲームを進めれば、もう一回自分の好きな悪魔を持ってきて、写せ見でスキルを強化していくことできるので、「レベルが低くても、育成さえすれば簡単に好きな悪魔を使える」というのは本作の大きな魅力だと思います。

弱点を突くことが必須となるプレスターンバトルを中心とするだけあって、かなり丁寧に作られた育成システムは、今までの作品よりも最強の悪魔を作りやすくなっており、やり込み要素としてしっかりとゲームをまとめ上げていると感じました。
特に自分の好きな悪魔が美麗な3Dグラフィックで登場しているからこそ、周回さえすれば最初から最後まで相棒のように連れまわすことのできる本作は、好きな悪魔がいる人にとっては最高の作品なんじゃないでしょうか。

2.プレスターンバトルに新たなる緊迫感を

さて、バトルの方はどうなのか。個人的には良い点と悪い点が新しく生まれたように感じます。

まずは良い点から。
本作の良い点はマガツヒシステムでしょう。
マガツヒシステムは集めることで悪魔に応じた強力スキルを使うことができるものです。
これの面白い所は「敵にもマガツヒシステムが適用されている」点でしょう。
これにより、相手が「会心」で常にクリティカルを出してくるというイカれた状況が生まれ、壊滅のリスクが上がりました。
最初は僕も「相手が全クリティカルとかクソゲーじゃん」とか思っていましたが、ここで防御のコマンドに気づきます。
これはこっそり追加されていたのですが、こちらは防御を行うことで、相手のクリティカルや弱点でのターン追加を防ぐことができます。
これによって相手の行動を一定量制限でき、自分の立ち回りを改めて考えることができます。
相手のマガツヒチャージが遅延行為のようにも見えますが、どうしようもないときにあえて防御を使うことで、立ち回りを再度考えることができるというのは、中々よくできた部分だなぁと感じます。

その一方で、レベル補正が入っている部分は良くないのではないかとも感じています。
本作は開始直後から「敵が硬い」という印象を受けていましたが、どうやらレベル補正が原因のようでした。
レベリングをしないと敵にちまちまとダメージを与えていくしかない、かといってレベリングをしすぎると敵が貧弱になってしまう、というどちらに転んでも悪い結果になってしまうレベル補正は、メガテンと相性が悪いと僕は感じました。
御霊があることもあってレベルの調整がしやすいとは思いますが、レベリング前提でボスが配置されていることもあって、ちょうどいいレベルに落ち着かせるのが難しかったです。
この辺は真3基準の方がよかったような気がします。

色々と述べましたが、全体的には新しいプレスターンバトルを味わえたので良かったと思います。
しっかりと難しいバトル、そして長期戦に特化したシステムにまとまっているため、戦略をじっくりと考えることができたのは、本作特有の強みだと感じます。

3.新たな東京、新たな魔界

さて、次は世界観を見ていきましょう。

真3からの地続きととれるような描写も多かったこともあって、本作は魔界メインで話が進んでいきます。
崩壊した渋谷や品川を歩くことがメインになります。
その一方で人間界にもイベントがたびたび発生するのですが、そこには驚愕の真実が隠されていました。

個人的に、魔界の表現は見事だったと思います。
魔界は会話できる悪魔が多数いることなどから悪魔の世界であることがしっかりと表現されていますし、妖精の集落などは自然豊かできれいな場所に仕上がっており、非現実性がしっかりと表現されていたと思います。
マップの上下関係がわかりにくいなどのシステム上の難点があったものの、高低差が生まれたことでより世界観を秀逸に表現していたことは、真5の世界観の良さだと思います。
何より、大部分が崩壊しながらも、ところどころに文明が残っているところに、「人が住めないけど都市の崩壊がある」という、魔界のポストアポカリプスの秀逸な表現が光っていたと思います。

ただし、これは魔界の表現の評価であって、僕は全体的な世界観としては微妙だと感じています。
これは真3でも思っていたことなのですが、本作でも悪魔の世界にいる人間の姿はあまり描かれません。
そもそも人がいなかった真3とは違って、本作は魔界に突っ込まれた学園生徒の皆さんがいるので若干マシではありますが、それでも真1のメシア教徒やガイア教徒、真4の東京で生きる人々のような、悪魔にと共存しながら懸命に生きている人たちがいないのはやっぱり寂しいです。
「悪魔の世界で翻弄される人々」というのが女神転生の主題だと思っているので、人間モブがほとんど描かれないのはもったいないと思います。
太宰とかは翻弄されまくってる人ではありますが、数人程度にスポットを当てて「悪魔はむごい!」と表現するのは流石に無茶です。

もちろん本作は真3との関連を匂わせるシーンが多々存在するので、どうしても世界観が似てきてしまうのは仕方ないと思うのですが、それでも思想に振り回されるような人が多数出るような、崩壊した世界を丁寧に描いたゲームがしたいなぁ、とどうしても思ってしまいます。
今の世界崩壊はあくまで魔界化であって、悪魔からすれば普通の世界でしかないので、悪魔が人と共存することが当たり前となっている、そんな世界観であってほしいと切に願うばかりです。
本作にもラフムの登場や人間の魔界侵入という、従来の女神転生であったような人間と悪魔の掛け合いはありますが、人間界がそもそもほとんどないというえげつない状態からスタートしているので、後々考えてみると「そういうことじゃないんだよな」と思ってしまいます。

あくまでこの辺の世界観は好みに依存してしまうと思うので、これは単なる僕のわがままだと思います。
もちろん魔界を歩くことで悪魔の感情がわかるというような要素もあるので、魔界化することが確実に悪いことではないとも言えますし。
ただ、個人的には真3のような感じにはなって欲しくはなかったというのが本音です。
世界観はこの辺にして、次に行きましょう。

4.真に語りかけないストーリー

続いてはストーリー。
本作のストーリーは「基本的にあっさりしている」という評価が目立ちます。
僕もおおむね同じ感想なのですが、本作はあっさりしていることが逆に問題になっているような気がします。
本作のストーリーは「あっさりしすぎている」のです。

本作は、基本的に5部のストーリーで構成されていると言ってもよいでしょう。
部ごとに名付けていくと、「ダアト侵入編」「ラフム撃破編」「魔王軍侵攻編」「万魔会談編」「創生編」に分類できます。
ここで「あっさりしすぎている」という部分が問題化する理由は、「最終編となる『創生編』までいかないと思想の根幹に気づくことができない」という点でしょう。
魔王軍侵攻編までは、いわゆる「天使vs悪魔」の構図が形作られていることもあって、悪魔の脅威や世界観の提示、ベテルの中で頭角を現す主人公の姿が丁寧に語られています。
この時点でユーザーはストーリーの根幹に触れていないので、魔王軍侵攻編が終わったタイミングでも「中盤ぐらいだろ」と思います。

さて、問題は万魔会談編以降のストーリー展開です。
突然世界のベテル支部が登場し、会談の後に「創生するための力はうちが手に入れるもんね!」みたいな対立状態になります。
ここが急展開すぎます。
今までは「東京が危ない!みんなで守ろう!」という展開だったのに、急に創生に関する部分でわけわからんやつらが出てきてやいのやいのとやられては、「なんだこいつら?」で終わります。
しかも噛ませ犬だし。
オーディンとかヴァスキとかゼウスとかかなりの格の悪魔が出てくるのに、役割が完全に噛ませ犬なんですよね。

登場回数も少なければ戦うのも一回だしすぐやられるし。

あとこの展開でもう一個言いたいのが、発売前の情報の出し方です。
真5は発売前にベテル各国の支部があるよ!と言っていたので、「悪魔たちは重要人物なんだな、ヴァスキ大昇格おめでとう!」と思っていたら、まさかの噛ませ犬扱い。
本当に可哀そうだし、あそこまで大々的に紹介しておいて役割がほとんどないというのが本当にもったいないです。
例えば真4のリリスとかはカオス側で序盤から暗躍してくれますし、悪魔としての役割もしっかりしています。
4大天使も各作品でかなり序盤から登場し、いろんな人をたぶらかして自分の陣営に引き込もうとしてきます。
今回そういう役割をするのがベテル支部の皆さんとアブディエルだったのかな~、なんて思っていたのですが、まさかアブディエル以外は終盤まで一切関わらないとは…。
完全に拍子抜けでした。
ヴァスキの大昇格の喜びを返してほしい。

そういった部分もあって、今作のストーリーは「頭でっかち」だと感じています。
ラフムまでの攻略を序盤終了ぐらいだろ、と思ってやっていたので、その後のストーリーの少なさに落胆しました。
それだったら、真4とか真4Fみたいにもう少し中身のあるストーリーだったりキャラづくりだったりして欲しかったな…と思います。
真3でもストーリーがあっさりしているとはいえ、勇や千晶がコトワリに目覚めるのは中盤ぐらいになっている分「これからどうなっていくんだ」感があったんですけど、今作は終盤まで思想の覚醒が出ないので、「え、この人たち狂うの?」と疑問を持つと思います。

5.感情移入できないヒーローと、わからないヒーローは違う

本作の問題点はキャラ付けだ、とよく言われていますが、僕はその根幹は「語られる量が少ないのではなく、語られる量が一方的すぎる」ことにあると思います。

今作、なぜかロウヒーローである太宰にしか注目が行きません。
多分真1のカオスヒーローのように「太宰は自分の考えで変わっていく、一方の敦田は人の考えで変わっていく」ことをシーンの描写の数で表現したかったと思うんですけど、僕は失敗していると思います。
まず、敦田自身の思想が越水に寄り過ぎている原因が一切語られません。
ロウヒーローは洗脳されました、性格も一気に変わりました、で非常にわかりやすいのですが、敦田は何も語られず、何も言わず、勝手にカオスヒーローの立場になって勝手に反論してきます。
太宰はまだアブディエルとの関係がメインストーリーで語られるので感情移入できるんです。
理解ができないのはいつものことですが。

こうなると、どうしても太宰の肩を持ちたくなります。
というかカオスルートを選択する余地がないんです。
とはいえ、どっちもほどほどにまともなことをいうんで、まぁ肩持ってやってもいいかな…ぐらいの気持ちにはなるんですけど、それにしてもそうなるまでの過程が雑過ぎます。
彼ら自身も「仲間になるならいいけどね」ぐらいの適当な距離感ですし、こっちに引き込もうとする姿勢すら見せません。
なんなんでしょうね、この人たち。

今までのヒーローやコトワリ主にあった「歪んだ魅力」が一切ないんです。
そのせいで、ひどくサッパリとした印象を受けます。

例えば真1だったら、ロウヒーローの優しさやカオスヒーローのオザワへの復讐心が、少ないテキストながらも丁寧に語られていました。
真2だったら、ザインの思いやルシファーの願い、地下の人々とセンターの謀略、エデンの無機質な楽園性など様々なテーマがありました。
真3も勇や千晶がもまれながら、段々狂っていってとてつもないコトワリを生み出し、主人公を引き込んだりパシリにしたりマネカタを惨殺したりとやりたい放題していました。
真4のヨナタン、ワルターもそれぞれの思いがあり、自ら望んで陣営に入っていくような奴らでした。
こうした彼らの思いや背景というものが、本作は限りなく薄い。
しかもLNCに目覚めてからはほとんどストーリーが残っていないので、こっちに引き込むこともなく、思想のすばらしさを語ることも数回しかないという雑さ。
正直なんのためにこのゲームしていたんだろう、と落胆しました。

それほどまでに、僕はヒーローの活躍に期待していたんです。

だからこそ、今作のヒーローは感情移入できないし全く持って価値がないと思っています。
本当に悪魔だけのゲームになってしまったら、メガテンのもつ「ポストアポカリプスを生きる人間」に対する敬意は一切ないことになります。
それだけはして欲しくなかった。
悲しいです。

6.新しいLNC論、しかし

最後にLNCの扱いについて。

本作は新しい形のLNCを展開しようとしています。
今作は「誰がどうやって世界を統治するか」という、政治的なテーマを取り上げています。
ロウなら唯一神ただ一人による絶対王政のような統治、カオスなら多神教による複数神の統治、ニュートラル(八雲)なら人間による統治、真ニュートラルなら自身が神となる人間しかいない世界の統治、というものです。

さて、この時点で僕の説明が結構苦しいことにお気づき頂けるかと思います。
本作は、ロウとカオスの思想があくまで創生、神頼りの世界であるのに対して、ニュートラルが人間統治による悪魔の排除、という2項対立の構図になっています。
その時点で、ロウとカオスが同一化し、ニュートラルと別の議題で対立しなければなりません。
もし神による支配や統治がいいのであればニュートラルは無視されますし、人間支配がいいのであればロウやカオスは「統一してるからどっちもロウだろ」というオチになります。

そう、そもそも既存のLNCでは測れない問題なんですね。
僕は最初にこのゲームをクリアした時に、「これ単なるロウの小競り合いだろ」と思っていました。
スケールが小さすぎるんです。
誰が支配するかという問題は、統治をしている時点で従来のLNC論では明らかにロウでしかありません。
彼らは統治をし、完全に人を支配することだけを考えているからです。
カオスルートで騒乱の世が訪れたとしても、それは統治した者たちの争いでしかなく、結果的に誰かが勝てばロウフルな世界に収束するでしょう。

じゃあ何が問題なんだよ、というところですが、結局新しい話をしても「人間統治至上主義」じゃない?という部分にあると思います。
八雲ルートはニュートラルらしく人間支配を説きますが、統治する神のいない世の中で人間が悪魔に対抗しても無駄だ、というある種しょうもないエンディングを迎えます。
その一方で真ニュートラルは自分が神になっちゃえばいいだろう、というオチで終わります。
この二つのニュートラルがあることで、「人間だけで悪魔に対抗するのは無理だから、自分という神を座に置けばいい」という考えがわかります。
しかし、真エンドであっても「自分による人間統治」として統治する世界から逃げられていないので、根本的なロウの構造図からの打開はできていません。
難しいことに、どうあがいても、本作は壊滅した悪魔エンドかロウエンドにしか収束しないのです。

こうした展開の中で、カオス思想的な「真の自由」は担保されていません。
本作では、誰かは誰かに統治されるべきであり、その思想を崩すことはあってはならないという真理からは、八雲の思想を除いて何人たりとも逃げられません。
そして、八雲は明らかなバッドエンドとしてアフターストーリーが描かれます。
それ以外のエンディングに救いを求めようとしても、太宰はともかくとして、敦田であっても、ナホビノであっても、法の輪廻と神の統治からは逃げられませんでした。
そこに、大いなる神の絶望が隠れています。
そこには、LNC論はありません。ただのロウフルです。

約束されたロウフルの上に、我々はただ立っていただけなのです。

LNC、特にCが見せた自由と混沌は、暴力的で恐ろしくも、自由を求める美しさがありました。
そこには真2で見られたような、ルシファー閣下の強い思いもありました。
でも、そうした思いも結果的にはロウフルに収束してしまう。
そこに、何とも言えない一抹の寂しさを覚えました。
ここにカオスはいない。あるのはカオスまがいのロウの結論。

そこに非常に悲しい思いを感じました。

最後に、ラストダンジョン手前で示される、自分の意思。
必要だとは思うのですが、あの悪魔世界の中で、流されながらも色々な人の意見を聞いて進んでいくという中で、最後は自分の意見を求められます。
本来、政治的な側面を持つ本作は「選ぶこと」をしなければならないと思いますが、真1にあるような「選ばれる」ことへの特別性はもう感じられないんだと思うと、また悲しくなりました。
真1は彼らに「選ばれ」、悪魔と人間が対等な立場でお互いを利用し合うという、ディストピアらしい展開で話が分岐します。
一方で、本作は初めからベテルというロウ陣営で動いているがゆえに、彼らの選択という意思に自らが同調する、覚悟するといった間がないままに、話が展開します。
そこにはLNCにあった対等の関係性はありません。
悪魔はこちらを利用することすらなく、ただ敵としか認識していません。
そうした悪魔との対等な関係値の破壊においても、真5は問題を持っていたと思います。

7.おわりに

いかがでしたでしょうか。

だいぶ長くなってしまいましたね。
というか、これを書いている最中にも、「実は真5の話って意外と良かったんじゃないかな」と思ったり、真5の2周目頑張ろうかな…と思ったり、なんだかんだまとまっていない節があります。
まだまだ考える余地があるのかもしれません。
まとまったらまた新しい記事にでもアップしようと思います。

さて、次回は今のところ未定です。
クリア次第更新しちゃうぞ!お楽しみに~。


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