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「仁」の物語 ― 冥人ノ譚

「Ghost of Tsushima」の主人公、境井仁は「誉」に苦しみ、それでいて「誉」を貫いた、芯あるべき真の侍である。


1.仁ノ譚

仁の幼少期は「己の臆病さ、無力さとの戦い」であった。
父を失う際に「助けんか」という言葉を明瞭に覚えてしまったことで、深く後悔を覚えた仁は、叔父の志村の助けを得て「強き侍」を目指す。
そこで彼は「誉」を志村から教わり、武士として成長していく。

「Ghost of Tsushima」のスタートでは、ゆなの助けを経ることで、仁の中に「誉なき戦い」を強要されるシーンがある。
彼は、ゲーム開始直後は志村から教わった「誉」を大事にする口ぶりをしており、叔父を何よりも慕っている。
しかし、元という恐るべき戦力を前にして、誉を捨てなければ戦いにならないこと、そして仲間の敵を討ち叔父を救うという大義のために闇討ちに手を染めていく。

志村を幽閉したハーンはこの状況を利用して、志村の心を動かそうとするが、志村は動かなかった。
結果として、ゆなやその弟たかの助けを借りながら、仁は志村の救出に成功する。
志村本人を救出したことで、対馬から元軍を共に追い出そうと物語は進んでいく。

しかし、志村と仁の間には溝ができていた。
仁は志村の述べる「誉」を捨て去っており、その戦術を扱ったことが志村に露見したことで、志村自身が仁に「そうあってはならない」と述べたからである。
本土に実の親子としての打診をし、次期志村家の長として仁を任命するなど仁に対して闇討ちを否定しながらも信頼を置いていた志村だが、ある一件を境に溝は完全なものとなる。

志村城奪還の際に、仁は毒を用いて蒙古兵を一掃しようと考えた。
志村には猛反対をされるが、仁は聞く耳を持たなかった。
志村軍は正面衝突を検討し、ハーンの策略によって多くの兵を失ってしまい、それが仁には無謀にしか見えなかったからである。
そうして強行で毒を使った結果、効果はあったもののハーンには逃げられ、単独でのハーン暗殺に乗り込むもののたかが戦死してしまう。
毒を盛ったことで志村には完全に嫌われてしまい、仁は民のための戦士「冥人」として、ハーンとの最終決戦に臨むことになる。

2.誉とは

本作の最大のポイントは、仁と志村の間にある「誉」という言葉のズレである。

志村の誉は武士らしいものであり、「民の模範として動くこと」である。
そのため、民に不要な戦術を仕込ませないような、気高き戦術を取ることを徹底していた。
志村は暗殺などの狡猾な戦術を好まず、兵力に差があっても正面突破を選ぶなど、誉に固執する点を見せることがある。
民の模範として、民を導く存在として道を示していくためには「誉」が必須であると考えており、その姿勢を頑なに崩そうとしなかった。

一方の仁は、そうした志村の教えを最初は遵守していたが、ゆな達との出会いや蒙古の戦略によって、闇討ちを主体とした戦術を採用するようになる。
そうした出会いや展開によって、仁の誉は「民の模範になる」ことではなく、「民を守ること」に変わっていく。
今「民を守る」ために何が必要なのか。
仁はそうしたことを考え続けながら、旅をしていく。

彼らはどうしてここまで変わってしまったのか。
二人の溝を生んだものは、「元軍」「行動」である。

「元軍」は、現在の状況の違いを指す。
元軍は圧倒的なほどの戦力、てつはうという新武器、手を抜かない残忍さ、これらすべてを持った圧倒的「格上」の存在だ。
そもそも武士と百姓の間に格上、格下の関係を作ってきた鎌倉時代の社会環境だからこそ、それ以上の格上が出てきたときに対処する方法がなかったのだろう。
国内同士の武士の争いも、幕府による承認さえ下りれば勝った方が領主になるのであり、武士以上の格上は存在しない。
しかし、元は国外から来た「武士より上」の存在であり、それをどうしていくのか、といった命題に二人は別の回答を出したといえる。

志村が出した回答は「名誉」だ。
元であっても誉を捨てず戦うことで、民に自分たちが格上であり、守ることのできる存在であることを主張できる。
志村はこれを至上命題としていた。
民に反乱されず、安定した統治、その後を見据えた動きであったことが、毒に対する反対の意思に見て取れる。

しかし、仁が出した回答は「行動」だった。
格上の相手を倒さないことには、元は完全に対馬を制圧してしまう。
志村のいう誉だけで元を倒せないことは明白だ。
それでいて、百姓が見せしめのように殺されている現状を目の当たりにしているのだから、元が制圧しても穏やかな統治があるとは考えられない。
だからこそ、自分が手を取り、民を「行動」で守ることで、対馬を元から守ろうとしたのである。

3.自らの回答

さて、ここまでで志村と仁が敵対し、そこに誉のズレがあることを指摘したが、これ以上に重要な点が一つある。
それは、「仁にプレイヤーの心が宿っている」点だ。

プレイヤーは仁を操作する存在だ。
仁がどれだけの苦労をして、どれだけの思いで元と戦っているのか、そして民がどのような苦しみを持っているのか、何が大切なのか、そういった点を余すことなく仁と共有している。
だからこそ、志村のいう「誉」に対して共感できない。
「お前は何かやったのか?」「ただ捕まっていただけの男に何が言える?」
私は、プレイ中の志村に対してこのように考えた。

実際志村は誉を重視しすぎるあまり、行動を起こさないシーンや無理に行動するシーンが悪目立ちする。
そうした点を含めて、プレイヤーは仁の持つ「民を守る誉」に惹かれていき、彼の運命を見届ける。

しかし、あらためてコントローラーを置いて考えてみると、志村の考えに納得できる点もある。
謀反を起こさないよう民をしつけるためには、誉のある戦い方をしなければならない。
仁も行動が迂闊だったとはいえ、毒の技術を盗まれるという失態を犯している。
これを無視することはできないし、誉がなかったがゆえに元に毒を盗まれさらなる被害を出してしまった。
こうしたうえで志村が怒るのも無理はない。

何より重要なのは、志村と仁が「見ている時間」が違う点だ。
仁は蒙古を倒すための「今」を見ており、未来を気にしていない。
一方で、志村はしきりに「未来」を見つめている。
プレイヤーは、ハーンを倒すところで物語に区切りがつくとわかっているために、「今」を重視する仁に共感することは明白である。

しかし、この先もストーリーが続いたら?
仁は誉を失っており、仮にハーンを倒しても武士から見れば悪人であることには変わらない。
民を守っても武士は許さず、本土も許すことなく罪人となってしまう。
本作はその後もある程度は語ったわけだが、この本質を考えずに「今」を選択することがプレイヤーにとっては最適解であったとともに、仁としては悪手であったかもしれないと思う点は、本作の「業」の一端となっているといえる。

さらに、プレイヤーの回答が仁に寄る理由は、「現代」を生きていることにあるとも考えられる。
プレイヤーは令和を生きる人物であり、鎌倉に生きる人物ではない。
鎌倉の価値観を持ち、民を従えることばかりを考えている志村に共感することは難しい。
それよりも、合理的に行動し対馬や人々を救おうとする「ヒーロー」のような仁に共感する。
時代背景を考えたうえでも、プレイヤーの選択は仁に移るだろう。

4.最期と乖離

仁はハーンを倒し元は引いていくが、志村は許さなかった。
最後に墓の前に仁を呼び、罪人となったこと、境井家としての縁故が切れたことを伝え、自分が仁を斬らなければならないという。
仁は最期の思いを俳句につづり、志村と戦う。

志村との戦いに勝利した仁。
志村は「一思いに斬って欲しい」と伝える。
このとき、プレイヤーは志村を斬るか斬らないか、決断を迫られる。

私は、志村を斬らなかった。
志村を斬ってしまうことは「対馬を斬る」ことであり、彼を斬るのはたとえ志村自身の誉を守ったとしても、自身の誉を守ったことにはならないからだ。
自分は武士であることも捨てている。
だからこそ、冥人として・・・・・志村を斬らなかった。

しかし、彼は「父上だけは斬れません」といった。
仁は父と子として・・・・・・志村を斬らなかった。
この時、自分と仁には乖離が生まれた。
自分の意思の通り動いていた仁が、初めて自分を離れて会話した瞬間だった。

しかし、不思議と悪い気はしなかった。
彼らは「父と子」であり、お互いに戦乱を乗り切った唯一の肉親である。
誉のままに斬らずとも、互いが生きていることを知るだけでよい。
そういった意思が感じられた。
彼らは不器用ながらも、親子であるを高らかに主張した。
仁はどうあっても対馬を守ろうとした冥人であり、それはまぎれもなく素晴らしい功績である。
武士としてどういわれようとも、それで父と袂を分かつことになっても、対馬を守りたい、民を守りたいという思いに駆られてハーンを斬った。
それでも、最後には親子の関係だけは忘れられなかった。

自分を父を守れなかった罪から救ってくれた叔父、父のように慕ってきた叔父、そして親子としてくれた父。
彼らの思いで幕を閉じる本作は、不器用な親子愛の中にある鎌倉時代の戦いを描いた、まぎれもない傑作である。


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