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イギリスの「ボーディングスクール」と聞いて思うこと

先日ちょっとしたきっかけをいただき、前々から存じていた在ロンドン日本人女性で、息子さんがイギリスのパブリック・スクール*に通われてるという方と少しだけお話しさせていただきました。
急にお声掛けいただいたのと、その場が特に学校のことだけを話す場でもなかったものでご挨拶程度でしたが、普段からいろいろ発信されてらっしゃる方なので、イギリスのボーディング・スクール/パブリック・スクール実態と日本側で持たれてるイメージとのズレへの言及なども含め共感すること多く、今後もまたお話し出来る機会が有ることを期待しています。
残念なことに今回は良いところで強制終了🙃となってしまったのですが、私の方でも下記、少しズレてるかも知れないな〜と感じていたことを挙げておきます。

注)書いてたらめっちゃ長くなってしまいました!😭
長くてすみません。
もうむしろ読まないでください🙇🏻全部読むとしんどいかも。

パブリック・スクール*という呼称について>
先ず呼称に関して(これ書くの二度目かも/地味に重要なので🔥)、
noteのタイトルの方にはあえて「ボーディングスクール」と書いたのだけれど、私とその日本人女性の方が話していたのはあくまでも「パブリック・スクール」に関してだ、という点にも関わって来るのですが・・

日本で低年齢イギリス留学を語られる際に、
ボーディング・スクール
パブリック・スクール
インディペンデント・スクール
といった呼称が、意図的なのか、本当に区別がつかないのか、混同されていることが多い点がすこし気になっていました。
場合によっては最早ミスリーディングですらある。

私自身も昔は知らなかったことなので、まだ情報集めをされてる段階の日本人保護者の方々が混同されてしまっても不思議は無いのですが、出来れば事情を熟知されてるはずの業者さんの方からは、ご自身が意識して混同を避けることは元より、もう一歩踏み込んであげて、事情に疎い保護者の方々相手にはきちんと分けてご説明されるような形が有ればより良いのになぁと感じてます。

一般的に日本人の方が「イギリスのボーディング・スクール」と聞いてイメージされる学校(イートン・カレッジなど)は現地では「パブリック・スクール」特にザ・ナイン等として区別される名門校であることが多く、それら「パブリック・スクール」は他のボーディング・スクールとは違った、かなり特殊な性質を持っています。
英語の「ボーディング(寮)」という言葉自体にはそこが名門校であるかどうかは関係無いにもかかわらず、日本でボーディング・スクールと言えば「あゝイートンやハーロウみたいな学校のことね👍🏻」というイメージになってしまっているのは、偏りが過ぎます。
そういった名門校が→ボーディング(寮生を受け入れてる)というのは多くのケースでそうなっていたとしても、ボーディング・スクールだから→名門校とかではないですよ、ということ。

次に、全ての名門校のことを「パブリック・スクール」と言うのかと言えばこれもまた違っていて、パブリック・スクールには確かに名門校が多いですが、日本語で言う「名門校」を意味する呼称は特別に使われてません。強いて言えばさっき上で触れた「ザ・ナイン」という言い方がそれに相当するかも知れません。
何故「パブリック」というのかと言えば、その成り立ちに於いて「(貴族の家庭教師とかではなく)一般に開かれた学校」として国王の名の下に設けられた施設だったという歴史を持っているため、誇りを持って「パブリック・スクール」という呼称を使い続けているそうです。日本語に訳してしまうと「公用学校」みたいになってしまうのですが、実態としては受験選抜もある私立学校なのに呼称だけが残っているイギリス特有の表現だと思います。
ちなみに純粋に「私立校」という意味の「インディペンデント・スクール」という呼称も有ります。インディペンデント・スクールは今、イギリス全土に2600校も在るそうです。日本は800弱とのことなので、とても多いですね!

インディペンデント・スクール>パブリック・スクール
+ボーディングかどうかは通学形式の問題

といった感じです。

そんなもん分かってるワ!
と言うのであればそれはそれで良いのですが、日本人の保護者の方の中でハリーポッターのような感じに憧れて、または文学作品に出て来たり、セレブリティのご子息が通われることで馴染みのあるイートン・カレッジやハーロウ校のようなつもりで「イギリスのボーディング・スクール低年齢留学に興味有り!」と言ってるのにも関わらず、単に私立の寄宿学校を目標にして情報交換されたりお勧めされてりするのであれば、それはちょっと違ってしまうのでは?という気がしています。
上にそれは「意図的なのか」と書きましたが、保護者さんがイメージ的に勘違いしたまま、何となく業者さんからお勧めされた私立のボーディング・スクールにお子さんが入学することとなった場合に、そこでの学生生活が楽しかったり良い学習が出来れば問題は無いのだけれど、お子さんの性格に合わないとかその後の学業や人生に響くくらいならば、無理して遠く離れたイギリスに行かないでも、日本国内にも幾つかの「ボーディング・スクール」があるみたいですよ!という気はします。新規開校が増えてる話も聞きますし。

ただ、イギリスという国に長年培って来たボーディング・スクールの文化が有るというのは事実で、イギリス国内育ちの子どもたちであっても、余裕のあるお家ではボーディングを経て子を精神的に自立させるという考えが古くから有るようです。比較的新しく出来たスポーツや演劇設備などの整ったマンモス校もありますし、特定の国や地域からの外国人生徒さんが多い学校で、あえて文化的なストレス少なくイギリス留学を経験してもらおうといった、留学生にフォーカスした経営をされてるところも有ります。
国全体的に外国人の子どもが入寮して学校生活を送ること自体に慣れているということは言えますので、親御さんやお子さん自身の狙いが何かによっては、全然アリの選択肢の一つだと思います。
ただ、混同させたままお金が絡んでくるのは私は気になります。
業者さんにお仕事の邪魔と感じられたら怖いので一々の指摘はしないけれど、もう少しお仕事へのモラルと誇り、責任を持たれたら良いのではないかなーと(←まあほんとこういう表現が正に嫌われそうではありますが)思ってしまいます。線を引けば良いのです。一般的な先入観が払拭されるまで、線を引き続けつつビジネスにされているのであれば。
私が気にし過ぎなのかなあ🙃

パブリック・スクールに在籍する意義や価値>
じゃあ、もしお子さんの意思や学力等条件も合致して、保護者の意向も単に私立の入寮制度がある学校でなく「パブリック・スクール」希望で間違い無いんです、といった場合に、この大変特殊な世界であるパブリック・スクールに在籍する意義って何なのでしょうか。

これは私が大変に間抜けで息子がパブリック・スクールからオファーを受けるまで普通の私立校との違いが分かってなかったから言うものでは有りませんが🙃、結局はそこに在籍してみないと表現し辛いような、曰く言い難い幾つかの特徴を体験できること、そしてそれがお子さんの中に残り続け個性となって行くから、ということがメリットかなと思っています。

よく言われることですが「超お金持ちのご子息とのご縁が出来る」というのは、それは確かにそうかも知れませんが、お子さんがそういった子どもたちを特に親しくなるべきターゲットとして接近して行くかどうか(また偶然にそうなるか)は分からないですし、元同級生或いは歴代卒業生として何方かと縁ができることに何の意味が有るのかは、なかなか入学する前に期待するものでも無いような気がします。
超お金持ちが意味するところの範囲には、地元の伝統的地主一家のお子さんから始まり、どこかの国の王族(行事の時に民族衣装を着て単独で写真を撮られてたりするので分かります)だったり、実際にいろいろいらっしゃいます。学校の歴史が大変長いので、代々一族の若者はここかここのパブリック・スクールに進むことになってるといった事情もあったりしますが、学校はそのようなご家庭のご子息が在学中にされる莫大な寄付金(芸術棟を一棟建て直したり不便なところにエレベーターをつけてくれたりする)にも支えられています。
要するに、私がこうやって書いているものを読んで「あゝそういう世界も有るのね!」と理解できてしまう程度のことを、お子さんや保護者の方が実際にそれを目の当たりにする(経験する)かどうかだけの違いのような気もします。
思うのですが、超お金持ちのご子息というのは競争の激しい有名企業へ就職されるよりお家の事業を引き継がれる方が多いので、むしろコネクションによってビジネスチャンスが生まれる期待みたいな話を期待するのであれば、もっと、お勉強を頑張って頑張って、小さい頃からスポーツや楽器などの賞もとって親子二人三脚で登り詰めてきたような、そういったお子さんたちが多く在籍する場に絞った方が良いかも知れません。具体的に言うとやはり大学からでしょうか。パブリック・スクールに入ったからといってそのような効果が期待できるようには私は感じないなー。
ただ、アジア系の人間はコネクションを大切にする傾向が有ると感じるので、イギリス留学で偶然そういった人たちと縁ができることを期待するのは有りかなと思います。育ちや財力での違和感も少ないだろうし。パブリック・スクール入ってアジア人コネクションというとイメージ崩れるかも知れませんが、有名校ほど極東アジア人の留学生は多い感じですよ。あとロシア人とか。

因みに親活は大変重要で、しっかりと関与して行けば、お子さんはきっかけに過ぎないくらいの自分自身の人生に於ける良い経験となります。セレブリティ的な方は勿論、地方の地主さんクラスが集まっていると(彼らは常に学校長や地方の名士である理事会の役員さんたちを取り巻いています)、なかなか輪には入れない文化的格差みたいなものが有りますが、エクスパット外国人の保護者や地元の方でも落ち着いた実の有る教育環境を期待してお子さんを入学させてる父兄なんかは概して非常にリベラルで、文化差から来る英語の訛りや表現にもちょっとした仕草のマナー的なものにも寛容です。愛すべき隣人たち✨
私は、学校に於ける「コネクション」って、お子さんがハイティーンから大学その先くらいの年齢になるまでは、結局は親同士のコネクションじゃないかと思うのですよね。皆さんなかなかお忙しいとは存じますが、チャリティイベントに参加したり各種イベント前後の父兄お茶会や保護者説明に全部顔出してると親友だちは増えますし、学校からも認知してもらえます。

それよりも、私は意外にも「何も無い」ことの方がパブリック・スクールの価値なのではないかと思っていて、競争を意識しない、ゆったりとした日々を過ごせることに大きな価値観を見出しています。
ガツガツやらなければ学習の方は割と何処までも放置されます。🙃それが良いことなのか悪いことなのかは何とも言えないけれども。
これにはイギリス的な考え方が深く影響していて、勉強が出来る子というのは無理に教え込んだりせずとも自ら学んで行く、学びが楽しくてどんどん進めてゆく、そういう個性なのだ、という、宗教観に近いような大前提が先ず有るのを感じます。
こんなにお金払ってて放置か!😲と逆に清々しいくらいに、別段、出来ないものを手取り足取り出来るようにして上げるとか、伸ばしてあげようとはしてもらえません。落第は有りますし、怠けていることを許されるわけではないのですが、学業第一ではなく、その辺りはそれこそパブリック・スクールではないが学力で有名なインディペンデント・スクールなどとは一線を画すような価値観の差があります。

古い本になるのですが私はパブリック・スクールに関しては「自由と規律」という本をお勧めしていて、お子さんの進学を考えてらっしゃる方でなくとも一度話のタネにでも読んでみられたら面白いのではないかと思います。基本的にこのまま。体罰はさすがにもう無いですけれどね。


パブリック・スクールの勉強は大変か否か>
ということで、自主的にやらないお子さんの中にはご家庭の方でオンラインだったりの家庭教師をつけて厳しくやらせているケースがけっこう有るようなのですが(本末転倒か🤷🏻)、こちらの道はお子さんにとっては本当に大変になって来ると思います。
というのもパブリック・スクールでは学習する教科・科目が多い傾向が有って、一般的にイギリスの教育制度を語るときに否定的に語られることも多い「早期絞り込み」「将来の受験科目に合わせて履修を減らす」傾向に抗うかのような、昔ながらの履修科目や分割が残っています。土曜日にもがっつりと主要教科の授業が入って来る状態。
これは私も研究的にステート・スクール(いわゆる日本語で言うところの公立校)と他の私立校やパブリック・スクール全てを比べて言ってるわけでは無いのですが、実際に生徒・保護者向け説明会でも、学校側が必ずしも将来の進学参考試験には関係の無い教科を多く教えており、行く行く生徒自身の学習の興味や適性がよりはっきりとして来た時に落として行っても(選択から外す)良い、ということを言われたので、一般的な進学志向の学校とは違ったことをしている自覚が有ってあえてやってらっしゃるのだと感じました。

日本でも少しご存知の方々の間でネタ的な話題に上がったりもしていますが、ラテン語もまさにそういった教科の一つです。語学一つとっても先ず古典語学と現代語学に分かれており、古典はラテン語と古代ギリシャ語、現代外国語も2つとられてるお子さんが多いといった状況で教科数がどんどん増えてゆきます。音楽や美術なども、公立学校の中にははなから選択できなかったりする学校も有るそうですが、息子の学校では音楽は楽器と作曲と座学で3科目に分かれていました。この他にもイギリスは体育(PE)の他にゲーム(団体スポーツ)をやるので学生生活はけっこう忙しくて、私はこの言い方は嫌いですが、役に立つのか立たないのかと言われると「大学進学には関係の無い」学習内容にもけっこう時間を割いている特徴が有ります。
日本でも、受験に関係の無い教科は時間の無駄であるとか、個人の教養は後回しにしてでも先ず必須教科を完璧にしたいといった考えはあると思うのですが、パブリック・スクールの生活ではその辺りはかなり難しくなって来るかも知れません。勿論、理数系と英語くらいしか真剣にやらないお子さんというのはいらっしゃいますが、学校や先生方からは残念なお子さんという認識になってしまうと思う。

ということで普通にやっててもかなり忙しいので、それこそパブリック・スクール一流の価値観の中で、成績はそこそこにしてスポーツに打ち込んだり、何か他の個人の趣味(何か作ったり集めたりビジネスしてみるとかね😅)を頑張ってたりするお子さんも多い気がします。その分野で一番になれば大学進学に有利だからやる、というんじゃなくて純粋に楽しんでるだけ。
この点、同じパブリック・スクールでも成績ランキングの高い学校では勉強はしっかりやらせる系のご家庭は多くなってくるだろうし、アジア系留学生が多ければ私たちが慣れ親しんだそれこそ「学生生活は成績が第一」のご家庭も増えて来ると思うから、ケースバイケースではありますが。
お稽古ごとも然り。楽器は何かしらやるものなので、特に音楽で奨学金受けてるような子でなくても、プライベートレッスンをつけて頑張っています。

なのでパブリック・スクールに入ったら世間ずれしちゃってもうダメだ、とまでは言わないですが、学習に対するアプローチが相当違うことは知っておいた方が無難な気はします。
じゃあ何でパブリック・スクール卒業生の有名大学進学率が高いのか、と聞かれれば、私はそれは「そういうお子さんやそういうお子さんをお持ちのご家庭が集まって来るから」としか思えないな。大学進学に関係ある主要教科の成績も当然の如く良くて、スポーツや芸能といった分野で何か秀でた成績を収めており、またクラブ活動や寮生活などでリーダーも経験しているような、万能選手のようなすごいお子さんが「集まって来る」場所です。パブリック・スクールに入ったからそうなったのではなく、天然の素質がある子たち。何なら15歳でGCSEという中学卒業程度の修了達成度確認テストのようなものが有るのですが、それが終わった時点でパブリック・スクール内でより有名校の方へ転校してゆくお子さんたちもいらっしゃいます。その子たちが大学受験までの2年程度で著しく成績が落ちるとは思えず、要するに自然と浮かび上がって来た子たちによって上澄が形成されているといった自然な現象により、パブリック・スクールからの有名大学進学率が高いという現象が説明されるという言わずもがなな理由。勿論、学校の方もそれら優秀な生徒さんたちに合わせた授業、先生方の資質となる為、必然的にハイレベルな需要と供給にはなっていると思います。とにかく学校側の方から特に優秀でもない子ややる気のない子を熱心に引き上げてトップに育てるといったことはしてくれないと思います。それはその子に与えられた特性ではないから。この点に関しては、私は手取り足取り教えてもらってこそ伸びる子も実際にいると思うし、一見学校学習という作業に不向きなお子さんであっても教え方次第では才能が開花するということは有ると思うので、パブリック・スクールの自主性と本人の意志とを重んじる理念に両手を挙げて賛同するというものでも有りません。

長過ぎて自分でも引いてるのでここでやめておきます。🙇🏻
因みに写真は息子の部屋です。独り部屋。

我が家の場合、では何故パブリック・スクールに息子が在籍するに至ってるの?と聞かれれば、それは偶然そのような流れとなったからです。何の捻りもなくてすみません。
イベントホールで行われるような合同学校説明会に行ったら、たまたま当時在籍中だったプレップ・スクール(進学支度学校のような感じで小学校の高学年あたりの子どもさんたちをマナーや精神面も含め集中的に磨き上げてゆく)の校長先生が息子に3校お勧めして下さったので、見学に行ったそこからのご縁です。何度か見学に行くうちに息子がそこへ入りたいと言うようになって、私としても本当に良い学校だな〜とは思っていたのですが、パブリック・スクールであることは内定の前後で初めて知りました。