こだわりだすとしつこい_| ̄|○

こういうのも「特性」とか「傾向」のうちではあるのでしょうが、息子は何か一つこだわり始めると止まらなくなることがあって、辟易します。理性では分かってるのだろうし説明すれば一定の理解は示すものの・・少しするとまた同じことにこだわって来て、しつこくてかないません。時々壊れたレコードのようになる。
息子の年齢では「壊れたレコードと言っても意味わからないだろうけど」というのを先日息子から電話がかかって来た時に話したら、ちょうど学校の先生の部屋で古いレコードプレイヤーを見せてもらったのだそうで「だけど古いから壊れてて同じところをぐるぐるぐるぐる回ってた・・あ!」ということで、どういう意味だか悟って爆笑。

些細なことから熟考を要すべきことまで、こだわりのツボに何がハマるのかはその時次第なのですが、些細なことであればすぐ実行できるからそんなにしつこくはならなくて、やはり大きな物事で息子が一旦こだわり始めると面倒だ、という印象が強いです。駄々っ子のような感じではなく、あくまでも理詰めで冷静に言ってくるので説得されそうになるから、戦い。というか、結局は息子の言ってることの方が正しかったりもするのですが、こういう表現をしてしまうと無駄なことのように思えちゃうけど、それこそ「躾として」あまりパッと思いついたことをそのまま実行できるような体験ばかりも積ませたくないなという気持ちがあったり、また、金銭的なことに関連してくるのであれば、自分に可能だから入手するということを繰り返す前に、世の中にはそれが不可能な人たちがいてそれぞれに何らかの代替え手段で実行していたりするのだということに、想像力を働かせて欲しかったり。
しかし往往にして感じるのは、私が「よく考えて欲しい」と思うくらいの範囲は、実は息子は既に考えており、その上で言ってるという事実。というか、私ごときだって息子がそれにこだわり始めたのを見た瞬間にパッと思い及ぶ範囲なわけで、もう2歳3歳の駄々っ子じゃあるまいし、既にいい歳の息子が、全く何も考えずに親に言ってくると考える方が間違っていたな。その上で諦める(我慢する)か、熱意を貫き通すのかは、単に判断のつけかたの違い、性格のようなものなのかも知れません。

・・と言いつつ、今、近々に上がってる事例を書けば・・やっぱそれって単なる我が儘なんじゃないの?と思われるかも知れませんが(笑)目下息子が頭から離れなくなってるのは「新しいノートパソコンを買った方がいい」ということ。
息子は今ノートパソコンが無ければ学生生活が立ち行かないような日々を送っていて、それはもちろんこの1〜2年のパンデミック状況下のリモート学習体制もそうなのですが、元々ペンを持って書くことがかなり苦手な特性もあいまって、学習のほぼ全てがパソコン経由となっています。物の扱いは丁寧な方ですが、今持ってるパソコンもかれこれ8年以上使っており、物理的にキーがヘタって来たところもあるしスペックが低すぎて動きが鈍くなることもしばしば。
だから買い換えること自体には同意してるし、あと、私自身「安物買いの銭失い(←最近聞きませんが、ことわざです)」という状況が一番嫌いなので、ある程度いいものを買うことには賛成なのですが・・じゃあ「今買おう」とか「どうせならこのスペック(めっちゃ高い)」というのを、1回電話してる間に何回も何回も繰り返されたり、他の何の話をしててもすぐまたその話題に戻ったり、いい加減嫌になって「その話は○月○日以降に再考します」とハッキリ言い渡してるのにもかかわらず、ふと会話の間が空いた何かの拍子にまた言いだしたり・・そういうのが、めーーーーっちゃ嫌。嫌すぎてもう、それが理由で「買わない」、必要だと分かっているけど「買わない」と言いたくなります。

思い知らせるような意味で一度罰を与えれば良いのかと思うけれど、それもまた理論的ではないと思ってしまう自分がいて(必要なことならすれば良い)難しいです。そもそも不必要なことやすべきでないことを言ってるわけではない、という事実。

こういうことを身を以て学んでもらうためにも、実は息子のことを格別良くは思ってない人たちと付き合うことは大切で、息子が何か言って来たとしても、それが必要かどうか考える間も無く「うざい」とか「面倒だからとりあえず拒否」とかされる経験は、貴重だと思っています。
それが世間に揉まれるということかな。
こだわりだすとしつこい息子の、戦いですね。