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【3分で読める】~目先の勝ち負けよりも一生の価値(価値)を~「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」。(木戸)

*博報堂時代の『心・技・体』…心㉖

こんにちは、HDA木戸です。

最近、体調崩していて、風をこじらせ気管支炎で自宅療養中です。

このnoteのサブテーマに心・技・体と掲げていますが、体調が悪いと仕事の予定が崩れるのはもちろん、メンタルにも悪影響を感じます。

やはり、何事も心技体のバランスが大切だなぁと痛感します。

さあ、今日のタイトルですが、「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」。初めて聞いたのは大学時代に、サッカー部の監督からもらったと思います。

生きていて、色んなシーンで聞く言葉でもありますし、今では実感を込めて、人に伝えることも多くなりました。

先日の衆議院選挙で、立候補した友人がいました。

結果は、落選でした。

別の友人と、その友人について話が及んで、「選挙に負けて、残念だったね」という話が出ましたが、僕はそうは思わないという話をしました。

心の底から、僕はそうは思いません。友人が「負けた」とは思いません。

選挙の勝った、負けたは、あくまでも他の人と比べた結果です。

当然、ライバルがいて、当選枠が決まっているのでいわゆる当選、落選は出てきます。

でも、新人候補で、その友人は5万9千票以上の得票数を獲得しました。

その選挙区の人を5万9千人投票場に向かわせ、自身や自身の政策、または自身の政党の支持者を増やしたことが、とても「負け」だとは思いません。

少なくとも、その友人の人生にとっては大きな「価値」がと思います。

他の候補者に投票した人も含めて、「自分が投票するのはホントにこの人で良いのか?」と考える選択肢を与えたこと。まさに選挙に立候補した意義なんだろうと思います。日本の政治に貢献したのは言うまでもありません。

少なくとも、その友人の人生にとっては非常に非常に大きな「価値」だと思います。

そういう意味では、目先の勝ち負けよりも、その友人の人生において立候補が価値があったことに目を向けて語られるべきです。

まさに今後の人生をかけて、この選挙に立候補して良かったなと、そう思える人生にしてほしいと思いますし、まさに「当選」よりも「立候補」したことに意義があったと証明して欲しいと思います。

僕自身に置き換えると、事故する前は、「できるかできないか?」を気にして生きていました。

成功したときのリターンと、失敗した場合のリスクを天秤にかけていました。

今は、自分がやるべきかどうか?で判断しています。

実行した場合に、果たした使命のリターンと、実行しなかった場合の後悔(誰か別の人がそれに先に挑んだことを想像して自分がどのくらいくやしいと思うか)のリスクを天秤にかけています。

大学時代に教えてもらった言葉の本当に意味が、今、より分かるようになりました。

では、今日はこのへんで。

このnoteでは、★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~35歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。

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