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【4分で読める】色んな人が集まると良い「化学反応」が起きる。(木戸)

*博報堂時代の『心・技・体』…体㉚

こんにちは、今日は2連投で投稿します。

タイトルにあるように、色んな人、立場や仕事や背景の異なる人たちが集まると、もめごとが起きます。そのもめごとが、予想だにしなかった良い化学反応が起きることがあります。

でも、チームや集団が結束するためには、その化学反応が、非常に大切だと知った経験をシェアします。

一番印象的なのは、大学時代です。

筑波大蹴球部には、部員が200名います。
全国から、色んなレベルの選手が集まってきます。レベルも様々ですが、背景というか、筑波に集まる経緯もそれぞれです。

サッカーで日本一を目指すことは共通していますが、将来の進路も様々です。Jリーガー、教員、会社員(:金融、メーカー、人材、商社、スポーツクラブ)、起業家、トレーナー、鍼灸師、指導者、監督、JAICA、国家公務員、、、色々です。

それだけ、色んな志向性の学生が、日本一の目標に向かうわけです。

200名いるので、本気でやればやるほど、ぶつかります。
そりゃあ、大学に来るまでの経緯が異なり、卒業後の行く先も全然違うわけですから、当然ちゃ当然です。

でも、本気でぶつかれば、思いがけない事件が起きて、結束力が高まることがあります。それが、僕の言う化学反応です。

化学反応を起こすには、とにかくコミュニケーションの量だと思います。
どれだけ時間を過ごすか、だと思います。その時間を通して、無条件に仲間だと思える意識が芽生えてきます。家族に近い無償の愛が生まれたら、化学反応が起きる確率が高くなります。

4年間の大学生活の中で何回か、そういうシーンが起きました。

1つ覚えているのは、大学4年の時、主将とのエピソードです。
4年になり、僕は副主将に指名されました。

僕は、1試合も、トップチームの公式戦に出たことはありませんでした。結果的に、最後まで、1試合も出ることはありませんでした。

一方、主将は、大学まで、各年代の日本代表に入っていた、いわばエリート街道まっしぐらの主将でした。

僕たちが4年当時、就任したのが、元川崎フロンターレの監督も務めた、風間八宏氏でした。

風間さんの指導は、「キモチなんていらない」、「声なんて必要ない」、「チームのことは考えなくていい」でした。

それに対し、当時の主将のプレースタイルは、超キモチ系。
開幕当初から、1試合も出れませんでした。
学生の僕たちからすると、”見せしめ”のようにも感じる采配でした。当時はそんな風に思ってました。

でも、チームが勝つため、強くなるためには、主将が必要だと、みんなが信じていました。

僕は、何度も彼に「絶対に監督は見てる。だから、練習以外の時間で自主練をしろ」と言い続けましたが、エリート街道を走ってきた彼にとって「努力なんて無駄。」「そんなアピールは無意味」「監督も意味ないって言ってんじゃん」というスタンスでした。

何度か口で言っても行動に移さなかった彼に対して、僕は、「努力」に関して自分が大好きな言葉が出てくるマンガを渡して、そのマンガの最後のページに、その時の自分なりの想いを書いて、彼に渡しました。(今思えば恥ずかしいですが苦笑)

結果的に、彼は、練習が始まる15分前に行って、ボールを蹴りました。
努力しまくってきた選手からすると、自主練のうちに入らない内容かもしれません。一般的には大した努力ではありませんが、本人にとっては大きな変化でした。

同じころ、チームは勝ち切れず、結果の出ない試合が続いていました。雰囲気は最悪。勝てないチームは、必然的に士気は下がります。

そんな状態で迎えた試合で、「化学反応」が起きます。
当時最強と言われていた流通経済大学戦で、主将が途中交代で出場します。そのシーズン初出場でした。風間さんも、チームの状態の悪さから、苦肉の策というか、今思えば、なんかその時のタイミングを待ってたかのような采配でした。

そこに、彼の自主練の努力への報いがあったかは定かではありません。でも、そのタイミングで出場したことに、何かのメッセージを感じさせられました。

細かいスコアは忘れましたが、その試合に、5対4で逆転勝利します。
当然、会場は大盛り上がり、チームの士気も爆上がりしました。

その試合の後、主将は試合に出場を続け、チームも快進撃を続け、昨季ギリギリ降格を免れたチームが、今季はリーグ3位、インカレ準優勝でした。

優勝こそできませんでしたが、その結果よりも、僕はこの一連の流れが、ずっと心に残っています。

ちなみに、主将だった彼は、その後プロになり、今でも現役で選手生活を続けています。

その経験が、色んな人が集まり、本気でぶつかり合えば、良い化学反応が起きる、結果的に、成果が出ると考えてるキッカケになっています。

以上です。
では、今日はこのへんで。

このnoteでは、★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~35歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。





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