ひとめぼれ
もう去年のことになりますが、骨董市で心奪われた精工舎の置時計。コロナの影響で骨董市の開催が制限される中でも素敵なアンティークに出合うことができました。
1920sの置時計
11月の川越骨董市で購入した1920年代後半頃の精工舎置時計です。
商品が並んでいる中で一際存在感を放っていました。左右対称の曲線が何とも言えない愛らしさを醸し出している、アール・デコ期のデザインにひと目で心を奪われてしまいました。時計の形態に日本らしさを感じるのは宝珠に似ているせいでしょうか。
面取りガラスカバーの文字盤部分の装飾も左右対象で、職人による細かい技巧が美しいです。「Made by Seikosha,Tokyo,Japan.」や数字のフォントも時計のデザインにマッチしています。
時計の裏側。2日おきに右下のネジを巻いて動かします。部屋中にカチカチと響く音を聞いていると、昔の物を通して様々なことを偲び、追体験しているようでとても贅沢な気持ちになります。
現在では作ることが難しい、昔の時計に関する貴重なお話を教えて頂きました。
職人になる人
戦前、時計技術者になる人の多くは足の不自由な方が大半だったそうです。小学校入学前に時計屋へ養子として出され、学校に通わせてもらいながら時計の修行を仕込まれます。高等小学校まで通わせてもらえたか分かりませんが、幼い頃から技術を叩き込まれるため、現代では交換で補えるような細かい部品の修復も可能だったようです。現在ではこのような体制での技術継承が難しいため、神業レベルのものを作り出すことはできません。かなり超越した技術ではありますが、生きていくために人生の選択ができなかった人々の事情で生まれたことに変わりはなく、そういった背景を知るとこの時計に対し一層の愛着がわいてきます。
時計は余裕の証
むかし時計を持てたのは生活に余裕がある家庭だけでした。町村規模だと学校の校長先生や村長くらいだったらしく、どこの誰が金の懐中時計を持っているか知れ渡っていたそうです。当時だったら高級品で手が出せなかった物でも、現在なら無理なく購入できる物もあります。
おわりに
この置時計を持ち帰り、部屋に置いただけで言い表せない喜びが起こりました。そこに存在しているだけで何故か幸せな気持ちになります。縁あって私のもとにきた置時計を大切に使うつもりです。