見出し画像

MOGAモダンガール♣の感想

先月発売した『MOGAモダンガール クラブ化粧品・プラトン社のデザイン』。

『モダニズムを生きる女性 阪神間の化粧文化』と構成内容が重複しているので悩みましたが、それでも中山太陽堂の変遷が記録された一冊であるのに変わりないため購入しました。せっかくなので率直な感想を綴ることにします。


♣本の内容

画像6

♧入門編にオススメ

中山太陽堂・プラトン社のデザインを中心に、ちょっとした解説、コラムで構成されています。中山太陽堂のデザインは、ポスター、パッケージ、雑誌広告が紹介されており、更に化粧品商品発売年表(明治39年〜昭和11年)や企業略年表も掲載されています。プラトン社に関しては書籍の半分以上が費やされ、雑誌の扉絵、カット、広告をたっぷり見ることができます。
画像が多く、解説は簡潔にまとめられているので、戦前の商業美術を楽しみたい人や、中山太陽堂に関心を持つ人が最初に購入には適した内容だと思います。
なお詳細を知りたい方は、『クラブコスメチックス80年史』、『百花繚乱 クラブコスメチックス百年史』、『モダニズムを生きる女性 阪神間の化粧文化』、『モダニズム出版社の光芒 : プラトン社の一九二〇年代』などが比較的入手しやすくオススメです。

♧表紙

プラトン社が1924年に刊行した『女性 第5巻第3号』の扉絵に描かれたシックな女性画が使用されています。同じイラストが1921年の『GAZETTE DU BON TON』に載っており、山六郎がジョルジュ・バルビエの女性画を模写したものだと考えられます。

♧中山太陽堂のモダンデザイン

書籍ではポスター5点、パッケージ51点、ラベル・パッケージ意匠案52点、雑誌広告60点と数多くの心ときめくデザインが紹介されています。画像転載をするわけにはいかないので、紙物のデザインをまとめている記事を案内しておきます。

ここからは、上の記事で紹介していない中山太陽堂・プラトン社のデザインを掲載しておきます。どのようなデザインが作られていたのか、その雰囲気を感じ取っていただけたら嬉しいです。

ポスター
江戸東京博物館の展示で撮影したカテイフード(1928年発売)のポスター。着物はトランプ模様、指輪はダイヤの形、細部まで乙女心をくすぐる配慮が見受けられます。

画像7

雑誌広告
女性雑誌に掲載された1920年代の広告。1930年代に入ると味気ない写真や特徴的なイラスト広告が多くなるので、個人的には20年代までのイラスト広告が一等好みです。温かみを感じます。

画像6

化粧品パッケージ
コレクションの一部です。クラブ化粧品のパッケージは日本独特の可愛らしさがあり、どことなく親しみやすいデザインが多い気がします。

画像6

♧プラトン社のモダンデザイン

私がコレクトしている『女性』の扉絵、カット、裏表紙の広告はこちらの記事で紹介しています。

残念ながら『苦楽』、『演劇・映画』、『女性のカット』は持っていません。先程と同様に、上の記事には載せていないカットを何点か紹介します。不思議なモチーフのカットが割と多いです。

画像1

また、プラトン社についてはこちらの記事(有料)で詳しくまとめています。

ここまでは書籍の内容について客観的?に述べたつもりです。これだけ豊富な画像が紹介されていますし、たくさんの人が魅了されるのではないでしょうか。私はただの一ファンですが、新たな中山太陽堂ファンが増えたら嬉しいです。
クラブ化粧品のデザインは全体的に日本独特の可愛らしさが備わっています。辛辣にいえば、洗練された資生堂よりは野暮ったく見えますが、徒に西洋化し過ぎていない点が、女性に安心感をもたらしているように思えます。それゆえ、私にとってのクラブ化粧品は「等身大の女性のための化粧料」なのです。


♣MOGAモダンガール?

画像5

ここからは私が気になった部分について備忘録としても触れておきます。

♧イマイチ分からないモガの実像

この書籍がテーマにしているモダンガール。(以下モガ)
正直なところ私はモガをよく理解できていません。1920年代に交わされた様々なモガ談義、実態解説や意見などに目を通しても、その実像は朧げなままです。現代人によるモガの解説や昔モガだった方の回想ではなく、可能な限り当時の人々が共有していたであろう客観的なモガ像を理解したいと考えてはいますが、私の中でモガへの関心が希薄なせいか、いまいち定義できずにいるのかもしれません。
上記を踏まえ、最も気になったのは中山太陽堂及びこの書籍が定義したモダガ像です。しかし、雑誌に掲載された著名人の見解やステレオタイプなモガについて記されているのみで、中山太陽堂の示すモガ像を知ることはできませんでした。ただ明確さに欠けているように思えますが、序章の終わりに中山太陽堂とモガを結びつける一文が添えられています。

(…)化粧品やその広告、文化支援をとおして中山太陽堂や中山太一が行った活動は、化粧品やその広告などを通して、日本の近代化の一端を担ったと言えるでしょう。その化粧品で身をよそおい広告に心をときめかせた女性たちは皆、「MOGA(モダンガール)」と言えるのではないでしょうか。

何故ここで述べている女性たちをモガと想定できるのか、やや不明瞭に感じるため、勝手に以下のような解釈を試みました。
中山太陽堂の先端的な文化活動の信念は、商業美術へも反映し活かしている、よってその関連物に触れた女性は少なからず啓発され、新時代の女性であるという自己意識に目覚めているだろう。だからモガかもしれない…といったところでしょうか。

♧モガから生まれた娘が真のモガ?

世間では嘲笑的な意味で呼ばれることが多かったモガ。1920年代後半、モガを巡る論議が盛んに行われ、賛否両論様々な見解を多く知ることができます。ただ、どの見解も論じる人の立場により、その人の女性観が大きく影響した結果になっているのに変わりません。
その中で一風変わった意見だと感じたのは、平塚らいてう「かくあるべきモダンガアル」(『婦人公論』1927年)という記事です。要約すると次のような内容になります。

久々に訪れた銀座のカフェで、若い男性と対等に会話をする女性の姿を目にする。自然な表情で自由に会話を楽しむその姿は、日本人離れしているかのように平塚らいてうの眼に映った。しかし、新鮮さを感じたすぐ後に虚しい気持ちが込み上げてくる。結局女性は、男性の単なる官能の対象物でしかなく、一個の人間として開放されていないような気がしたからだ。明治末に雑誌『青鞜』が示した、新しい女は男性の単なる官能の対象物である女性を否定し、人間としての女性の存在を何より主張していたこと、それが新しい女の出発点であったことを思い出して欲しいと主張する。よって、平塚らいてうの考えるモガとは、新しい女の母胎から生まれた、愛娘でなくてはならなかった。その愛娘が真のモガである。

とはいえ『婦人公論』も『青鞜』も内容は難解だったため、読者は高等女学校以上の教育を受けている女性をターゲットにしていたと考えられます。また、『婦人公論』は男性読者も多く、大正期には読者投稿欄が教養人の討論の場として活用されるほどの盛り上がりを見せていました。その点を考慮すると、どのくらいの一般女性が平塚らいてうの「かくあるべきモダンガアル」の考察に関心を抱いたのでしょうね。

♧モダンガールの命名者、北澤秀一

モガの記事を収集していると必ず出くわす北澤秀一。この書籍には北澤秀一の論文「モダーン・ガール」(『女性』1924年8月号)が2ページに渡り掲載されています。途中で切れているのでその全貌は伺いしれませんが、命名者のモガ像を少しばかり知ることができます。
明治末に出現した「新しい女」は、平塚らいてうのような知識階級が中心となり女性の権利を主張していたが、モガはそれとは全く異なる存在であると説いています。そして、若い世代(ヤングジェネレーション)が求める性質を兼ね備えている女性こそがモガであるというのです。限られた掲載の中から、北澤秀一のモガ像を拾い上げてみました。

  • 男性と対等な立場にあり、仲間として付き合える女性であること

  • 精神的に自立している

  • 感情を押し殺さず、自分の考えを表明し一緒に生活を楽しめる

  • 徒に女性の権利を主張し議論するのではなく、全ての行動はごく自然で人間的に振る舞える

世間の理解や許容はさておき…前時代の女性は男性に虐げられる存在であったが、若者が尊敬を抱く新時代の女性は、一人の人間として意思があることが重要視されていたようです。
一見異なっているようにも思える平塚らいてうと北澤秀一のモガ像。ですが、どちらにも共通点があるのは分かります。
現時点での私には、1920年代後半に論じられた意見のどれかに共感することしかできなそうです。…そもそも、精神性と外見の流行を同一視して「モガ(新時代の女)」とする考えがナンセンスであるような気がしてしまいます。


GPOD『MOGAモダンガール クラブ化粧品・プラトン社のデザイン』青幻舎、2021