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コスメの王様の感想

書籍化を心待ちにしていた『コスメの王様』。
小説のモデルは中山太陽堂の中山太一氏と知り、購入せずにはいられませんでした。また、小説自体を読むのも久々で、素敵な装丁も重なって気持ちが高まりました。

元より読書感想文は大の苦手でしたが、小説といえどやはり中山太陽堂関連のものは書き留めておこうと思います。
そもそも人が創作し完結しているものに対し、それ以上考える余地はない気がしますし、私のような文才皆無な者が何か云うなんて思い上がりもいいとこかもしれないと考えてしまいます。普段読み慣れていないから、このような思考になってしまうのかもしれません。
なので、自分の視点で素直に良かった点や違和感などをつらつら書き留めておこうと思います。
まず、物語と主人公二人について客観的に記し、そのあとで所感を記しておくことにします。

♥可愛い装丁

なんて素敵な装丁なのでせう。
扉絵には、主人公の2人、物語に出てくるモチーフ、化粧品のイラストがアール・ヌーヴォー風のフレームに収まっており、色の組み合わせもハイカラに感じます。何故この配色なのか窺い知れなませんが、ピンク色はハート化粧品(クラブ化粧品)、水色は空と海の色、金箔は輝く銀杏でしょうか。

♥主人公と物語について

永山利一

中山太陽堂の中山太一氏をモデルにした人物。
山口県出身の没落士族の長男で、困窮した家計を支えるべく仕事を求めて田舎から出てきた15歳(登場時)の少年。
容姿端麗、長身、品行方正、努力家、人間味に溢れ人への敬意を欠くことがなく、一途な純粋さ、人を惹き付ける魅力を持っている。すでにリーダーとして成功する男の重要条件が備わっていたといえそう。
永山家は兄弟が多く、経済的な理由から利一は小学校以上の進学を諦めた経緯から、立身出世して家族の暮らしを楽にしたい、弟を大学に進学させてやりたい、妹の将来を考え良い縁談を整えたい、長男としての役目を全うしようとする責任感がある。しかし、前向きに邁進していく利一ではあるが、発言の随所から自身の学歴にコンプレックスがあるように伺える。
明治37年、真心を座右の銘に「永山心美堂」を設立。
苦労の末に「ハート洗粉」を完成させ、爆発的ヒットを記録し一世を風靡する。大衆向けに高品質の商品を作るとともに、常に奇抜な宣伝戦略で世間の度肝を抜き続けた。
東洋の化粧王と称えられるほど出世した利一だが、その後半生は波乱続きで苦難に見舞われてしまう。

横屋ハナ

家庭の困窮により11歳で花街(カガイ)に売られてきた少女。なので小学校を卒業できなかった。
控えめで優しい性質。顔立ちは利一と似ており、目鼻立ちがはっきりした見目麗しき美女。自身の生い立ちに悲観することもあったが、花隈では周囲の人間に恵まれ、大関芸妓へと成長する。
独立した利一の悩みにそっと助言したり、洗粉の試作品の使用感について改善点を伝えたりと応援している。
ある事がきっかけで、ハナの家族が金の無心に幾度も訪ねてきていたことを知る。そして家族の赤貧は思わぬ方向へ進み、のちにハナの人生に大きな影響を及ぼすこととなるが、それはハナが一人の女性として独立した人生を歩む転機ともなった。

二人の時間軸

物語の主な舞台は明治末〜大正初め頃の神戸。
二人が交互に中心となり、それぞれの視点から見た光景で時間が進んでいく。明治後半から戦後昭和まで半世紀もの歳月が流れる。
当時の神戸の異国情緒漂う新しい文化の香り、世相、言葉、花街などについて知ることができ、加えて同時代に流行した化粧品店や商品が出てくる。

1913年 プロローグ
永山心美堂主催の飛行大会を開催。

1900年 ハナ
おちょぼ時代〜旦那をとると決めるまで。
神戸花隈町で二人が出会う。利一15歳、ハナ12歳。

花隈町
神戸港の中突堤から六甲山に向て国鉄ガードを越え、北長狭通りと下山手通りにはさまれた一角。「花隈」のち名は永禄十年(一五六七)織田信長の命による荒木村重が築いた花隈城に由来する(花隈城は現在石垣の一部を残すのみとなり講演となっている)。神戸港の正面に位置したので、明治から対象にかけて軒を連ねる貿易商社群の隆盛に支えられて、神戸随一の花街として栄えた。さほど広くもないこの界隈に一流芸妓五百名を数える程であったという。神戸市の中心が三の宮とともに東に移動した現在、花隈町に往時の華やかさはないが、粋な風情とナウな現代の同居する坂の町である。

『クラブコスメチックス80年史』

1903年 利一
熊谷商店の神戸支店長を辞め独立。洋品雑貨を取り扱う商店を始める。
自社商品「ハート洗粉」を開発。

1911年 ハナ
ハナの立場や状況が変わりつつある中で、利一は昔交わした約束を果たそうとする。

1933年 利一
永山心美堂は大企業へ成長を遂げ、化粧品業界で確固たる地位を築き上げていた。しかし、徐々に戦時体制へと移行し動乱期へ突入していく。

1953年 エピローグ
利一、ハナともに還暦を過ぎた。
利一の苦悩、ハナが自立した女性として生きてきた過去に触れる。

♥所感

二人のこと

永山利一
主人公は「利一」という名前なのに、無意識に「太一」と読んでいました。どうしても「利一」という人物を頭の中で構築できず、クラブコスメチックスのwebサイトや社史で見た、中山太一さんの姿が終始浮かびました。
そのうえ小説ということも都度忘れ、「永山利一?」「永山心美堂?」「ハート洗粉?」と一瞬混乱状態に陥ることも度々。
私の恥はさておき、物語を通して永山利一さんという人間がとても好きになりました。純粋な一途さ、他人を尊重できる素直さ、人として大切な信義、力量、時代の要求に合致した発想、人間味溢れる利一さんを支えたい、そんな気持ちにさせられました。利一さん(中山太一)は明治に続々と現れた傑物の一人といえます。
しかし、物語終盤の利一さんに違和感を感じる点が一つありました。ハナさんの前で、自身の劣等感、会社経営の苦労などを感情的に吐露しながら嗚咽します。事情を考慮しても、明治の男がこんな醜態を晒すとは考えられず、突飛な行為が現実離れしているように見えました。自分の気持ちを吐露するにしても、淡々と述べるのではないかと思います。

横屋ハナ
カタカナと漢字の違いはあれど、偶然祖母と同じ名前のせいか少し親近感がわきました。
昔はハナさんのような境遇は珍しくなく、困窮した家庭の子供が遊郭や花街に売られていくのは当たり前のことでした。また、家族が金の無心に来るのもままあることで、そんな親たちを娘は無下にすることはなかったそうです。しかし、悲しいことに、年季の途中で娘が亡くなっても、遺体を引き取りにくる家は稀で、投げ込み寺に葬られることがほとんどでした。
娘は労働力としての駒だったのかもしれないけれど、養ってもらっていた恩は忘れないで欲しい…こう言えるのは食べるのに困っていない人間の戯言なのでしょうかね。
ハナさんの家族も同様に、彼女の希望に暗い影を落とす要因になります。
そのような状況でも、ハナさんは援助してくれる人達に恵まれ、自立する際の金銭を憂慮せずに済んだのは幸いなことだったでしょう。
ハナさんも利一さんへ自分の気持ちを素直に伝えています。ハナさんの秘めていた本心は切ないですが、利一さんの立場を考えるとその率直さは酷なようにも思えました。でも、自分の気持ちに素直になることが、自立する女性としての第一歩ということだったのでしょうか。
特に女性が主体性をもつことが難しい時代でありながら、ハナさんは同じ境遇の女性達と比べても、人が羨む人生を謳歌できた稀な事例だと思います。
ただ、同じ女性として自分ならどう決断していくのだろうと、ハナさんのことはなるべく客観的に見るようにはしていました。
自立した女性というと、日本で最も有名なイコン画家、山下りんさんをいつも思い出します。

時代背景について思うこと

近代化を目指し躍起になる日本、その隠したい部分を優しく教えてくれる物語でもありました。先進国である西洋諸国を模倣したつもりで、一見近代化を装うことに成功したかもしれませんが、蓋を開ければ、貧しい国であり、日々食べていくのに必死な国民ばかり。さらに、前時代の価値観や風習が残る中で個人の意志は許されるはずもなく、自分の人生であるのに主体性をもって生きていくことができない、そんな時代を利一さんとハナさんは懸命に生きていた事実に目頭が熱くなりました。
私は主体性を持って生きていけないことは、人間としての尊厳を奪われているに等しいという考えなので、よく分からない理由で縛られるのは耐えられないからです。

戦時体制下でのこと

各地で軍部に工場や土地が接収されていく中、ハート化粧品の工場も例外にもれず一部が兵器部になり、台湾の工場は松脂(松根油)の精製工場となります。欧米から香料を輸入しなくてもいいように、やっとの思いで開業した工場が無駄な松脂精製場になってしまうなんて…たった四行しか記されていませんが、この理不尽な事について触れておきます。

人造石油以外の石油代替品としてもっとも注目されたのが、松根油からの石油精製です。松脂を乾留して得られる松根油からガソリンを得るには高度
な技術力を必要としました。
松根油については、石井正紀『陸軍燃料廠―太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』が詳しいです。一部だけ引用します。

「ニ〇〇の松根で一機の飛行機が一時間飛べる」をスローガンに、日本全国で一大動員が始まった。
銃後の老若男女、それに学生も動員されて、こぞってあるいは山林に、あるいは路傍の松の根を掘り出し、粗油にするために乾溜釜まで運んだ。人海戦術だった。乏しい鉄材から製作された乾溜釜の数は約三万七〇〇〇釜、もっとも終戦の二ヶ月前になってようやく製作が完了するありさまだった。
乾溜釜で製造された粗油はドラム缶に詰められ、第一次精製工場に送られた。第一次精製は、全国の製油所が担当し、軽質、重質油に分けられ、このうち軽質油を、第二次精製で水素添加して航空ガソリンにするわけである。そこまでできる施設となると、できのは海軍の燃料廠しかなかった。昭和二十年のこの頃、すでに南方からは原油が入ってこなくなっており、燃料廠のせっかくの施設は休業状態だったので、松根油の受け入れ準備は万全に近かったが、原料が石油と松根油とでは勝手が大きく異なり、当然のことながら、すぐに航空ガソリンの製造というわけにはいかなかった。
(…)航空ガソリンと称してはいても、まだ改質は不十分だったし、松根油の分子構造からみて、高オクタン価は期待できなかった。また、航空機ガソリンとして使用するためには、エンジンテストも必要だったはずで、何もかも、準備不足だった。というよりは、計画そのものに無理があったといえる。

石井正紀『陸軍燃料廠―太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』より

著者は「愚挙の一言につきる」と述べており、まさにその通りとしか言いようがありません。このような経緯から、貴重な工場が無謀な計画のために接収されたなんて、悲しくなりました。

♥終わりに

敬愛する中山太陽堂の中山太一氏がモデルというだけで、胸がいっぱいになりました。
中山太一氏については、クラブコスメチックスの社史や『大正新成功譚』『此の人を見よ : 中山太一を語る』を読んでいたくらいで、その人物像や思想についてまだまだ知らないことだらけです。それでも、ここまで実直な人がいるものなのかと、その純粋さに目頭が熱くなってしまいます。

物語の過程や結末をなるべく分からないようにしたい、でも自分の所感は記しておきたい、思案した結果がこの有り様です。
それでも、明治・大正・昭和に関心を持つ懐古趣味の人にも勧めたいと頭の片隅に置きながら書きました。私の支離滅裂な感想でしたが、『コスメの王様』の魅力が少しでも伝わったら嬉しいです。


♥書籍化記念の化粧品

ハート洗粉の香りをイメージしたというバニシングクリーム。
レトロ風な容器で、香りも昭和のお化粧品のような印象です。

箱の意匠。

ついでに復刻版のクラブホルモンクリームも可愛いです。