★《続・読書余論》(財)史料調査会ed.『大海令 解説』昭和53年刊

 こんかいの《続・読書余論》は、ひさびさの日米海戦関係です。

 先に石川信吾の戦後の回想を要約しました(『アメリカ戦時経済の基礎構造』に併収)が、対米戦争の開戦・初盤、そして終盤の作戦の中枢に居た中堅幕僚(ただし聯合艦隊参謀ではなく、あくまで東京の軍令部勤務)といえば富岡定俊(1897~1970)です。
 大海令の原本にはすべて天皇による「可」の允裁印があるため、それを東京裁判に証拠提出されでもしたら関係者は切腹でもしないと申し訳が立たなくなる。さりとてもし大海令の原本綴を燃やしてしまえば、後世の歴史家も海軍省もたいへん困るだろう……というので富岡が一存で隠匿保管し抜いた超貴重資料を、本書は番号順に(経時的に)手際よくまとめて解説してくれています。これだけで作戦「通史」になっている。それを兵頭がさらに私的な関心にもとづいて摘録しました。

 ミズーリ号上の調印式の有名な写真で、大本営陸軍部の代表の梅津参謀総長はすぐに分かるとして、海軍部の代表は何者なんだ? といぶかしく思った人は多いでしょう。顔写真的にもほとんど知られてはいない、とうじ軍令部第一部長の富岡少将が代表だったのです(そのほか、第一部員の柴勝男大佐、それからおそらく海軍大臣の名代として副官の横山一郎少将も、開襟の軍装で並ぶ)。

 本書の解説担当の土肥一夫中佐は、昭和19年1月から終戦まで軍令部第一部の第一課員。富岡のイタコになる資格はあります。

 この書籍の刊行時点で富岡氏は既に故人でしたけれども、対米戦の前半、軍令部内でアメリカをどのくらい舐めていたか、そのリアルな呼吸が『戦史叢書』などからも伝わって参りますのは、富岡節がそっくり半公式戦史の血脈と化しているおかげかもしれません。後代の『失敗の本質』といった批評本があげつらう指摘のなかにも、富岡節に源流のあるものがまちがいなくあります。

 なお、附録としまして《旧・読書余論》からソロモン海域方面作戦の摘録をまとめてみようかと思ったのですけれども、それだけで総量は膨大であるとわかり、一部だけランダムにセレクトしました。

 『太平洋戦争の諸作戦』『証言記録 太平洋戦争 作戦の真相』『日本爆撃記――米空軍作戦報告』『ニミッツの太平洋戦史』『捕虜第一號』『破竹 海軍経理学校 第八期補修学生の記録』『第二次大戦 米国海軍作戦年誌 1939-1945年』『太平洋戦争と陸海軍の抗争』『日本の運命――軍事地理学的に見た東亞』『日本海軍航空史(1)用兵篇』『海軍中攻史話集』、防研史料『「戦訓」 航空基地急速設営ニ対スル機械力利用所見』などなど、です。

 併せてお楽しみいただけると思います。

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