共働きを恣意 時代に逆行?

 夫婦共働きが当たり前になってきている。
 うだうだしている男よりは、効率が高い女性の方が大歓迎だ。
 『その職業』には明らかに向いていないのに、男だからと偉そうにしている邪魔者は蹴りだしたくなる。
 もっとも、上の『男』を『女』に入れ替えても同じだが。まあ、これが平等というものだろう。

 さて、何か忘れていないだろうか。
 子供の事である。

 共働きです。
 子供は保育園に預けていますから安心です。
 学童保育が充実しているので安心して預けられます。

 ??????

 子供について勘違いしていないだろうか。
 どこかに預けて、食事と遊びと学習とお昼寝(?)ができていれば良いのだろうか?

 子供の人格形成には二種類あると恣意する。
 DNAという名前で通っているゲノムと、文化的なミームである。
 遺伝子という言葉は双方に通じる。
 DNAなどによる生物・物理的要因で体形や基本的な能力が決まる。
 ミームと勝手に私が呼ぶ社会的な遺伝子、つまり親の言動、親の教育、周囲の言動と教育が、文化的な能力をきめる。いわゆる、後天的要因である。

 自分の子供であることについて、DNAは重視されている。
 いや、不倫とかではなくて、生物的に自分の子供であることは重視されているのである。生物の本能だ。
 しかし、文化的に自分の子供であることはどうだろうか?

 保育園で過ごす時間が多い子供が受ける影響はどうだろうか。
 学童保育はどうだろうか。

 ところで、子供というものは成長とともに親から離れ、親より野球監督に傾倒することなどは当たり前だから、幼稚園や学童保育の影響を問題にすることは無いかもしれない。

 しかし、生物学的に自分の子供であることは重視するのに、文化的に自分の子供であることは『軽視』されていないだろうか。

 もう一つ。
 一人の人格を形成させることは、ある意味では国を運営するよりも困難なことである。
 子供を育てることは、人格を形成させることであり、少なくとも犯罪者にならない、社会に迷惑をかけないような人格を保つことが必須である。
 子供本人だけではなく、親自身・家族・親族、そして社会に対する大きな『義務』である。

 これほど大事な『子供の文化的継承』(DNAのような生物的な継承に対する造語)が軽視されていないだろうか?

 といって母親に家庭へ戻れとは言っていない。
 子供を大事に思うのは、世界の中で両親が一番だろう。
 祖父母は責任感が薄い。
 かわいがるが、嫌われるから指導はしたがらない。
 いくら専門教育を受けていても、弁護士が善人である保証ではないように、職業や資格は最良の人材であることを保障しない。

 まとめる。
 子供にとって、親との濃密な接触が、子供を親の『文化的な子孫』とするためには重要なのである。
 だから、せめて片親だけでも、人格形成の初期である小学校卒業までは濃密に接触し観察し指導する生活をするべきである。

 母親に「家庭に戻れ」とは言っていない。
 父親でも良い。つまり主夫でも良い。
 リモートワークでも良い。

 今は経済が優先されすぎている。
 子供を育む意識が低すぎる。
 共働きを推奨する役人も政治家も、経済的に恵まれているから共働きの必要もない。
 まだまだ男社会の現状では、妻に育児や教育を任せきりで、それを常識と考えている。
 役人や政治家には、子供を育てるということの重要さと困難さが『認識できない』。
 だから、安直に『保育園の充実』『母親が安心して働ける社会』などを推進する。

 再考してほしい。
 『金や生きがい』と『子供の成長』とを『あえて』天秤にかけて欲しい。
 貴男や貴女の生きがいは仕事か子供か?
 もし仕事なら、なぜ結婚して子供を育む? 子供を育むのなら、相応の責任を取らないといけない。
 金?
 それこそ、政治に求めるべき問題である。
 あなたに投票することができる。
 政治は『誰かがやってくれる他人事』では無い。

bye

ありがとー