バッハと菅で恣意=ポストハンターたち

加えて五輪組織委員会の言葉にも恣意

 日本だけかと思っていたら、IOCのバッハも同じ話し方である。

 すべてが、
断言しない
可能性や確率として話す
・心中にある自分自身の目的については絶対触れない
・美談でくるむ

 特に前二つは、掲記の人以外にもあらゆる政治家と役人、企業人に共通している。
 いや、学会や教育界も含め全ての分野の「大人」達に共通している。

 何故だろう
 飛躍するが、結論から先に言う。

彼らの目的は自己と組織の保身にある
自分の仕事や組織の存在目的は二の次の副次項目である
全て、保身が目的である
余禄で組織の設立目的の仕事が行われる
自分や組織が危うくなると、本来の目的を無視して保身を最優先にする

 さらに、その原因は

 政府、政治、国際組織、企業、NGO、教育、大学、研究、そして、単なる市民サークルやスポーツ団体においても、属することで自己利益やキャリアがアップできる地位には、その地位に就くことが目的の人間がほぼ100パーセントで就いているからだ。

 人間として、自己利益の追求は本能である。
 組織の目的を重視するものよりも、高い地位を目標とするものが地位を登るのは当然のことである。
 組織の持つ高邁な目標、例えば五輪を通じての世界平和よりも会長に就くことが目標の人間の方が、五輪を通してスポーツやアスリートに日々貢献しようと集中する人間より着任しやすい

 同じような能力を持つ人間が、Aはアスリートの利益のために毎日仕事をする。
 Bは、当然職務としてアスリートの利益のために業務を遂行するが、全力のうちのほんの少しでも、自分の地位向上にも動く。
 上司や理事会から見ると、二人の仕事にそん色はない。
 しかし、Bの方が「出世」に熱心である分だけ目立つし、意欲も当然として感じられる。
 だから、Bは出世し、最後は理事会が会長として承認する。

 さあ、会長・委員長・社長・団長そして首相になった彼らのすることは?
 彼らにとって、自分と自分を保証してくれる組織は何よりも大事なものである。

 だから、国は国民への奉仕という最大の目的よりも、政府という組織に危険を及ぼすことを絶対に避ける。
 トップでなくとも、組織は、この組織優先人間と、彼らに指示・暗示されて従うしかない人間から構成されている。(ほとんどがこの2タイプから構成されている)
 つまり、トップでなくとも組織人は組織の保身に走る

 冒頭のように、保身に走る組織と組織人は、人間本能、それも相当根源の生存本能に近いところから生じているのである。

真の目的を追求する組織は不可能なのか の壱

 しかし、曲がりなりにも人類、いや日本人という狭いレベルでも、生活や道徳や倫理は向上してきている。
 いや、本当だって。
 戦国時代の、平気で敵を殺せる倫理観と今の倫理観を比べて欲しい。
 生きるために盗みが当たり前だった第二次世界大戦直後の必死な大人たちと今の不良たちを見比べて欲しい。
 工業化に後押しされて、どうにかこうにか食料などの衣食住が充実するにしたがって、倫理観は向上している。
 子曰く、衣食足りて礼節を知る (住も欲しいけどね)
のである。だから、少なくとも日本では倫理・道徳は向上している。
 だから、IOC、JOC、組織委員会、政権政府の保身より、アスリート、国民を優先して動いている人達がかろうじて存在し、なんと驚くべきことにIOC~政権政府の組織内にも存在し、保身中心の運営でもなんとか組織本来の目的を果たそうとする動きが存在している。

 人事とは難しいもので、同じ優秀さなら上に登りたがる人間はどうしても優先される。
「課長になってこの仕事の先頭で頑張りたいです」は、業務への熱意とも受けたられるし、全てが『ポストハンターとしての心』からだけ出ているのではないのだから、余計に難しい。

ポストハンター

 ちなみに、「ポストハンター」は、ここでの造語である。
 末は博士か大臣か という言葉にあるように、昔から、何をするかではなく、ポストに就くことが偉いとされてきた。
 だから、幼い時から「地位を目指すことが人の道」と植え付けられる。
 地位=ポスト(まあ、他の語もあるが、ご勘弁)を追う者=ハンター である。
 義務教育以前に、社会常識として「末は博士か大臣か」という社会の底流での意識は、ポストハンターを作り出しているのである。

 だから、ポストハンターはすべての組織で上層部を埋める。
 ポストハンターの目的は「そのポストに就く」ことであり、「そのポストに就いて組織本来の目的達成に尽力したい」ではない。(ことが多い。)

真の目的を追求する組織は不可能なのか の弐

 希望は無い?
 いや、かろうじてある(と信じている)。
 衣食が足りてきて、進みたい道を自分で選べる機会が増えてきている。
 末は博士か大臣か という出世願望より、自分のやりたいことを重視する風潮が、徐々に、本当に徐々に増えてきている。
 ちなみに、このような社会の底流にある意識、いや無意識は、表面での教育や流行では簡単には変化しない
 表層部の文化の変化が数世代、つまり数十年から百年のスパンで継続してようやく変わる
 極端に諺を使うと「スズメ百まで踊り忘れず」が社会の意識変化、つまり常識?の変化においても正しいのである。(LGBTにおいてもこれが今の認識になるまで、明治から数えても相当な年月である)

 高度成長期以降の衣食住が(曲がりなりにも)充実してきたことで、ポストハンターの土壌となってきた社会の深層意識(?)が変わってきている。
 自己保身はともかく、組織保身をしようとする人たちより、組織への貢献(「組織の目的」への貢献ではない)が要求されると離職する人が増えてきている。(自己保身は本能だろうから何ともならないだろう)
 さらに、派遣社員やパート・アルバイトの増加も、組織への「忠誠心」を無くさせてきている。つまり、組織保身をする人たちが減ってきている(と希望するが・・・)

 スターウォーズエピソード4のラストだったと思うが、
「まだ希望はある」
である。

追記】ポストハンターを弾圧してはいけない。

 彼らは生存本能昔からの社会常識で育てられ、かつ、大人になってもその頸木から外れることができない「自分を見つめなおす能力」に欠けているだけの人たちなのだから。
 それに、大きな責任と重圧に潰されそうになる首相などの重任に、ポストハンター以外の誰が好んで就くのだろうか?
 ポストを目的とするからこそ、「優秀な頭脳」を持っているポストハンターが重責を追うことで、今の日本は回っているのかもしれない(いや、たぶんそうだろう)
 ポストハンターでなければ、苦労すること、糾弾されること、疲弊することが分かり切っている重責に誰が付きたがるだろうか

 アイザック・アシモフだったかなハインラインだったかな
「大統領には、なりたくないと泣き叫び暴れる者を引きずってきて就けなければならない」(意訳です。まあ、意味はこんなもの)
が、ポストハンター以外の者には当てはまるものなのである。
 だからポストハンターが居なければ、今の社会のほとんどには「トップが存在しない」状態になってしまう。

 ポストハンターは
「使用上の用法用量にご注意ください」
という有効な者なのである

・過信しない。
・長期間同じポストに就けない。
・院政に移行することに注意し厳禁する。

事が必要である。

bye

ありがとー