多様性は許容しますが・・・

 『浅地亮 自転車旅で見る世界』を見ての、あくまでも個人的な意見。

直の感想

 ルネサンス時代からある自然回帰願望。
 自給自足という幻想へのあこがれ。
 自然に囲まれた田舎生活という暴挙。
 広大な大陸に憧れる異世界願望。
 己を特別視したい願望が生む現実への皮肉。

思春期の域を出ていない

 暴徒に襲われたら?
 他人の命を認めない強盗は?
 高度医療があれば救える病への対応は?
 自然災害でも必ず救助が来るという安心は?
 愛する妻が出産で苦しんでいる夫は?
 障害を持つ子供をの居る親兄弟や祖父母は?

 自然回帰願望も、自給自足願望も、災害や凶悪犯罪や病気の前では降伏し、あるいは、家族が居れば、子供が居れば、妊婦が居れば、降伏せざるを得ない。

 記事は、高度な文明と経済を背景にしながらも自然回帰の詩人に憧れる思春期のような現実逃避の願望である。

 野生で生きる草食動物は、自然の生活だからと肉食動物の危険を受け入れているのだろうか?
 食われる寸前の小鹿の親はそれでも自然での生活を望むのだろうか?

 思いついた生活を、世界旅行を、するのは自由。
 しかし、世界は思い以上に複雑で多重の層をなし複雑に絡み合い、それを結婚と家族と子供がさらに複雑にしている。

 ぶっちゃけていえば、結婚して子供を持って、子供を独立させて、高齢になり肉体も弱った時に、この筆者は今を振り返って何を思うのか。
 いや、そのような老人になったという前提で、自分の記事を見直してほしいものだ。

 今は壮健で自由な身体で経済的にも余裕がある。
 文明は、弱い者や、壮健でも配偶者や子供の未来を考えなければならない者も、『生活できる環境』を作り出そうとしている。
 そうでなければ、ここまでの発展は無く、未だに樹上生活種族のままの人間だろう。

繰り返すが
詩人に憧れる思春期の域を
出ていない記事である

 現時点では、著者が『いかなる年齢であっても』実質的には『自分の持つ世界観に憧れる思春期』の域の記事である。

しかし

 しかし、経験は多様性を知り、価値観の違いを知り、多元的な評価を知る時間を与えてくれる。
 時間経過での、年月の積み重ねでの、多様な職業と職種の経験での、家族としての生活、親としての生活での、今後の変化が楽しみで『は』ある。


ありがとー