茨城県知事で考えた エポックかも

 良い、悪いの問題ではなく、もしかして『私は時代の変遷期、日本の変遷期を目にしている』のかもしれないのだと。

 政治にしても、経営にしても、コネと根回しhは重要なものでしょう。
 それが旧態依然としているから『悪い』と言うのではありません。
 コネと根回しはおそらく人類が作り上げてきた『実質的な組織の運営方法』だろうと思います。

 何故?
 だって『アメリカの〇〇長官が△△を訪問』なんてのは根回しだろうからです。
 民主主義のトップを自称する国でも、トップ同士の会談は無視できない。
 つまり、個人間のコネと根回しが世界規模でも運営の基本となっているということなのでしょう。

 そこで、茨城県知事のオリンピック開催再考の発言がありました。
 今までなら、内閣から与党や官僚を通して根回しをしていたものが崩れ始めているのではないのだろうか。
 与党が地方までを掌握し、内閣の政策は、票に縛られている国会議員や地方議員、知事、市区町村の長までを絡めてコネとなり、根回しされてきた。
 野党も次回の自分の当選がかかっているから迂闊には動けない。
 だから強引に政策を進めることができた。

 しかし、コロナウィルスにはコネも根回しも関係が無い。
 それに対して、従来の根回しの手法でウィルス対応をしようとしてきた。
 つまり、禁止し、補助金でなびかせ、地方の有力者にその旨を根回しして、ウィルス対策をしてきた。

 この施政者側の『現状認識』のズレに加えて、国民側の意識の違いも大きくなりはじめた。
 従来は『地方の有力者』がその地を治めてきたが、人の『引っ越し』が顕著になり始めた明治時代以降の流れが、地方の有力者に従わない住民たちを生み出してきた。
 大都市から引っ越した、あるいは、大都市で教育を受けた者は、旧来の『土地の習慣』を平気で無視し、地方の有力者の力が及ばなくなってきた。

 のではないだろうか、という世迷い事です。
 全て『・・・のではないだろうか』という世迷い事です。

 繰り返しますが、今までは効率の良い運営手段であったコネと根回しが、生まれ故郷以外の土地で生活することが当たり前になってきた国民という新しい形態に対応しきれなくなってきた。
 そして、ウィルスという自然現象が、地方の有力者に従っていると『ちょっとヤバくない?』という認識に拍車をかけ始めた。

 封建制から資本制(造語です)にゆっくりと移行し、人の引っ越しが顕著になり、『地方の有力者』の効力が徐々に崩れてきた。
 『地方の有力者』の方式に替わる、『会社の意向に従う』、つまり会社に忠誠を尽くすという、高度成長期には当然だった気風も『派遣社員制度の台頭、その他』で薄れてきた。

 今までは、コネと根回しで政策を回してきた国の中枢に対して、地方は御しきれないものとなり始めた。
 引っ越しする国民は『自分の考えで投票』する割合が増える流れを生み、コネと根回しで決められてきた選挙結果が『有力者の意向』通りにはならなくなってきた。
 自分の『政策が支持された』と考え始める地方自治体の長が増えてきた。

 茨城県知事の発言から思ったことの戯言は以上です。

 良し悪しではなく、国民の形態の変化に立ち会っているのかもしれないと感じる昨今です。

bye

ありがとー