お悔やみに『違和感』の正体

昨日、父が他界したという話をしましたが
無くなった理由が『誤嚥性肺炎』で75歳だった事などを言うと
「まだ75歳。さぞ残念でしょう」
という様な話になります。
さらに、
「うちの〇〇も入院した時に誤嚥性肺炎を起こして…」
なんて言われるんですね。
さすが、70歳以上の肺炎の80%を占める誤嚥性肺炎。
実は、旦那の祖父も今誤嚥性肺炎で入院中だそうです。
また、今日ばったり会った友達の舅さんも、誤嚥性肺炎でこの春に他界されたそうです。
多い…!!


時間が経つにつれ、穏やかだった最期の顔なんかも記憶から薄れていき
周りからかけられるお悔みの言葉や、心配してくれる声に
母は『あの時誤嚥さえしなければ、退院できていれば』という気持ちが出てきている様なんです。
私は、それが残念でならない。

「そうやって納得するしかないわよね」
って言っちゃったりして。。。
確かにそうなんだけど…

でも、私は、できることをやり切ったと思うし、母はそれ以上にやりきったと思う。
そして、父は最期まで自分で自分の人生を決め、潔く人生の幕を下ろした。

母は、性分もあるでしょうが、妻としてきっと私のように割り切る事はできないと思います。
だけど、私は父を誇らしく思うと同時に、あれだけ寄り添った母の事も誇らしく思っているんです。

なので、私のわがままかもしれませんが…
他人にかけられる安易な『悔しい』に流されて欲しくないというのが正直なところ。


確かに、私も一度は考えました。
『家に居られたら、便秘にはなっていなかったんじゃないか』って。
(医療用麻薬の副作用である、便秘からくる嘔吐→誤嚥性肺炎でした)

だけど、そもそもスムーズに入院ができたおかげで、入院のきっかけになった肺炎は治ったわけで。
入院した時点で今までは悪くなっていなかった腎臓の数値も悪くなり始めていた。
だから、あのまま家に居たら、父にはもっと辛い思いをさせていたと思います。

やっぱり、色々考察してみても、身体(臓器)の限界だったんだろうなと思います。


私は、春の時点で
「このままずっと細く長く生きるかもしれない。けど、肺炎なんかを起こしたら1週間くらいかもしれない」
と主治医から聞いていました。
父は肺癌を患っていましたが、それよりも喫煙由来のボロボロ肺だったので、肺炎を起こしたらもう危ないよって。

悔しくないからやめてほしいのか
悔しくなるからやめてほしいのか

「悔しいでしょう」
は、私たち家族にかけられる言葉としては、やっぱりなんだかしっくりこないし、
あなたが悔しい気持ちを抱えている事を我が家に当てはめるのはやめていただきたい。
なぁんて思ってしまいます。


私も、自覚なく無理矢理に前向きに考えているのかもしれない。
でも、私が向き合って納得した事は、私的には無理矢理ではなくて。
ストンと落ちた感じだったので、なんだかケチがついた気分。

何事も、受け止めて流すようにしているのですが
起こったことに対して、反省はすれど後悔はあまりしない質なんですよね。

だからかな。
人の後悔に、当てはめられて巻き込まれる事がすごく嫌!だなぁと思いました。
大概、私もあまのじゃく。

相棒に、疲れてるんじゃない?と心配をかけていますが、
疲れてるというより、周りと自分との温度差に戸惑ってるんだなきっと…と今納得しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?