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春々輝論考①お金を稼ぐ理由は何ですか?

23歳の誕生日、私は出張で鳥取に居た。諸々の仕事を終え、鳥取砂丘を観光中にこの問いについて考えた。砂丘の一番高い部分に登りつめ、息も絶え絶え青息吐息。二度と来ねぇと思いつつ、目の前に広がる海、広い青空のコントラスト、何かを考えるならこういう場所でこそインパクトある答えがでるものである。

青息吐息。青空青海。

で。 なんでわざわざ鳥取砂丘で思いついた問いが「お金を稼ぐ理由」なのか。

別段特別な理由もなく、ただ、砂漠の真ん中にほっぽり出されて貯金額に果たして意味があるのかとか、砂漠っぽい風景でVIVANTの内容が思い浮かんでその関連でお金が想起されたとか、そんな程度のことなのである。
では、春々輝論考はじまり。


鳥取時点での私の答えは「質の良い勉強をするため」というものであった。読書好きなのでお金を気にせず本を読み漁ることができれば幸せだなと思った。

しかし誕生日から約2ヶ月経った私の出した答えは違った。もとより、鳥取時点での私の考えが間違っていたのだ。

お金が無くても質の高い勉強はできる。本ならそれこそ図書館に行けばよい。体験するのに金がかかるというのも、ある程度の人脈やコネ、権力などがあればできる。まあそれは、信用を払っているのでお金の別形態と言える。少なくともお金を手段として使えはするものの、理由としては弱いという結論になった。

現時点での私が出した答えは一言で言うなら
「お金を損するため」だ。

持たなければ損できないからだ。
厳密に言えば、持たなくても損はできる。連帯保証人などで可能だ。既に論理が破綻していると思われるかもしれないが、私の中では破綻していない。ここが少し他の人と違うところである(と思いたい)。

私の人生設計上、運、等価交換、この2つが自分ルールの中で大きなものとなっている。
詳しくは後日説明するが、ある程度の概要だけ説明しなければ納得出来ぬだろうから少しは教えましょう。非科学的なものと言われるかもしれないが、信仰心の強さ、信条を貫き通すという軸を持つ人間はそれなりのことをしでかすものなので、そういう意味で無理やり納得していただけるようお願いしたい(でないと話が進まない)。

まず運は貸し手側に多く分配され、借り手側にはあまり分配されない。というわけで連帯保証人は借り手側になるわけで、私の人生設計上の論理では例外扱いになる。

得たものを捨てるということが大切な行いであり、それこそが幸田露伴の言うところの惜福なのである。お金を損することでなにか対価を得る。つまりは損することがお金を得るという行為の目的なのだ。

そして結果は物としての対価、行動としての対価などが得られる。それが私の中では運と成長なわけだ。

一言で済ませるのでなくそこそこに説明を加えるのであれば、「運を得るための手段として、お金は損するためにある」なのだろう。

後の自分による論破を待つ次第だ。
(2024/06/03 23:03:36)

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