■イヤーカフで気分上々

昨日のJ-Waveで、オダギリジョーさんに小生の駄文を、いい声で朗読していただいたので、気をよくして久しぶりに何か書こうと思う。

ふだん仕事で、人の原稿を読んだり直したり、人が語ったことを文章にしたりしているので、あまり自由自在に文章を書くことがない。というか皆無である。仕方がない。だって仕事だから。

ということで、ここは私にとって「自由だ―!」と大きな声で叫びたくなるくらい、「自由に文章を書ける空間」だ。

多少の誤字脱字や表記揺れや、冗長な表現や不自然な句読点はお構いなし。改行位置や1フレーズの長さも気にしない。論旨不明瞭、主語と述語が一致していない、論理に矛盾もあるだろう。言葉の定義や意味合いを読者と共有することもしないし、強い表現をするとき「根拠」や「事例」を入れることもしない。さらに、読者をミスリードしないように「表現」「トンマナ」を調整する、なんてことも無視である。英数字の半角or全角? 漢数字とアラビア数字の書き分け? 順接の「が」はできるだけ避ける? 「可能です」は「できます」にする? ははは、そんなことは気にしませんね。

さて、普段感じているストレス発散はこれくらいにしておこう。

まあとにかく、自由自在にズージャのアドリブのように、沈思黙考せず、適当に、軽妙洒脱に思いつきで文章を書ける喜びを、ここに高らかに表明したい。

ここまで何も意味のないことを書いているようだが、実は軽妙洒脱な言葉のなかにこそ「真実」がある。と、昔から思ってきた。
本当に伝えたいこと、大切なことは、きちんと整った、理路整然とした、わかりやすい、美しい文章では伝わらないことがある。

第一、そんな文章は「個性」がないではないか。

私は「個性」を大切にしたい。「個性的」でなくっちゃ。などという鼻白むことを言うつもりはない。ここでそんなことを言ったら、ハイセンスで洗練された読者のみなさんも一気に興ざめだろう。

しかし、「誰かと同じようなスタイル」は嫌だ、と思う。「それが個性的でありたい、ということなのではないか?」と疑問を呈する人もいるだろう。だが、「私は個性的でありたい」と思った(または言葉にした)瞬間に、その人は個性的ではなくなる。それは世の中のかなり多くの人が、同じようなことを思っているからだ。

さて、御託はこれくらいにしよう。
さっきキビ(犬)の散歩から帰ってきて、これを書いているが、そろそろ朝ごはんの時間なので、今日はこのへんで。お腹が空いた。

最近、髪を伸ばして、シルバーのイヤーカフを付け、顎髭を伸ばているので(これは以前から)、なんとなくちょっと個性的なおじさんになったかな。って、「個性的」を意識しとるやないかい! と自分で自分に言いたくなるが、否、そうではない。

まあ、大げさに言えば、心理学的見地で語られるべきフェティッシュな嗜好の話とでも言いましょうか。このあたりは人間のエロティシズム(小生の大学の卒論テーマ)に関連してくる話なで、それについてはまた今度。

ではアビアント!


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