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2020/11/17 眠を探す日常

最近(に限らずだが)あまりにも眠くて、今日も通勤の電車で完全に昏倒してしまった。原の神の今のイベントが結構時間を食うのが地味に睡眠時間を削っているような気がする。もちろんアニメを見たりなどで削ることもあるが。

きららMAX履修もかなり進んだので、満を持してFUZの契約をはじめた。ちょっと我慢できなくてごちうさだけ最新話までサクッと読んだのだが、やはりこの漫画抜群に面白い。今かなり新生活がスタートしているのだが、新キャラの紹介と過去要素の回収と積み重ねのキメをやるぜみたいな回が連続してて正直かなり凄まじい。77円セールから間が空いてしまったのでもう来月発売の9巻で1年分ぐらいは単行本回収できてしまうので。まあそれを待つという手もあったのだが、一ヶ月でも早く読むべきだと思い読み進めた価値は十二分にあったという気持ちがある。他の漫画も良かったし。

また最近ごちうさのキャラソンを少しずつ労働でソロになった時などに聞いている。ごちうさキャラソンと言えばアイドルコンテンツでもないのにあまりにも大量のリリースが存在するということが若干有名だが、聞いてみるとその多くが(これほど量があるにもかかわらず!)キャラソンキャラソンしていることに驚く。キャラソンしてるってどういうことかというと、例えば劇中のネタを潤沢に歌詞に盛り込んでいるだとか、セリフがあるだとか、そういうことをここでは指す。アイドルコンテンツの楽曲って大抵は「その世界でアイドルが歌っている曲」としてお出しされるので、時々あまりにもパーソナルに突っ込んだ歌詞すぎて「これはキャラソンすぎやしないか」などという是非が飛び交ったりも時にはするわけなのだが、一方ごちうさは決して作中で直接披露されることはない(Sing For Youのような若干の例外はあるだろうが)からそれはもう全力でキャラソンが飛んでくる。
更に言うとキャラソンなので大きくそのキャラクター性と逸脱することもなく、スゲー多彩なわけでもない。最近のいわゆる楽曲派みたいなコンテンツって誰が歌うか以上にどんな歌を歌うかが重要になってきていると感じていて、だから歌唱と同じぐらい伴奏やコンポーザーがフィーチャーされたりもするし、多様さで勝負したりもするのだけれど、ごちうさは真逆で基本的に根幹にあるのはずっと「キャラクター表現」としての楽曲という感じ。
いくらごちうさが巨大コンテンツとはいえ、よくもまあここまで愚直なスタイルでこれだけ膨大な楽曲群を作成したものだと畏怖の念を抱いてしまう。なんか追ってるとなんとなく思うのだが、ごちうさって巨大になるべくなったコンテンツというよりは先に巨大があってそこから結果的に色々高まっていったコンテンツって感じがあって、結構不思議な感触があったりする。

キャラソンで一番重要なのはキャラクターの歌≒声優さんの歌う歌という点なので、必然的に歌唱が最も大きなウェイトを占めることになる。それ故か「歌もの」色が非常に強いと言うか、ちょっと一昔前ぐらいのポップスのエッセンスを多様に使いましたよ、みたいな曲も多い。だからごちうさのキャラソンでいい曲ってシンプルにメロディがいいよねとかリズムがいいよねとかそういうパターンが多いような気がする。こういうところも愚直っぽいと感じる一要素なのかもしれない。

本当に正直なことを言うとキャラソンって一般的にクオリティがやや劣りがちみたいなイメージはまあまああって、ごちうさも好みとしては全部イイな~ってほどでもないのだが、たくさん摂取していると気に入った曲もいくつもある。余裕があればそのうちブログででもこの話がやれたらいいかもしれない。
ブログだと「ある程度厳密な話しないと!」って思っちゃうのでこういうなんとなくのイメージ語りみたいなのが自由にできるのは運用の違いがあるメリットだなと思ったりもする。

萌え萌えソングは好きなのだけれどずっと聞いているとなんか音の数が少ない曲が聞きたいなと思うこともある。今日の読んだきららMAXのハルメタルドールズでスティーヴ・アルビニを非常に意識したエンジニアキャラ(スティーヴ・佐藤・アルビナさん)が出てきて笑っちゃったのでShellacの1stを聞いていた。イン・ユーテロとかの人というイメージが強かったが、何気にShellacは聞いたことがなかったのだ。期待通りのチョイスで、帰りの電車で死んだ顔をしてぼんやりノイズに浸るには素晴らしい選択だった。
今日はそんな話。あとこの曲もオススメの一曲です。


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