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2021/07/20(ピングドラム)

輪るピングドラムを……見た!

いやあすごいアニメだった。全体にとにかく漂う死の匂いが凄まじくて、それが儚さとおぞましさを両方感じさせつつも、アニメーションとしてはかなりポップでビビッドなのだから恐れ入る。元々2日で見ようと思っていたのもあるが、素直に止め時が見つからなかった。
よく(かどうかはわからないが、視聴後にインターネット検索をするとこうした紹介が出てきたので、シャドーボクシングしてしまおう)「意味のわからないアニメ」などと言われがちな気もするけれど、メタファーの用い方に関しては露骨なぐらいわかりやすく、親切というか歩きやすい部分も結構あるアニメというように思う。度々銀河鉄道の夜が直接引用され、そして否応なしにオウム真理教を想起させるが、この両者が「電車」によって結び付けられて、このアニメ作品になっている。

繰り返しになるがここに漂うのは強烈な死の匂いで、死とは肉体の死と同時に忘却でもあった。登場人物の誰も彼もが過去と痛みに囚われていて、呪いは永遠に回転を続ける輪のようにずっと世界を蝕んでいるが、同時にそれは裏返せば「忘れない」という死への抵抗でもあるか。輪、輪廻転生。そういうところにこの作品が過去の事件をテーマにして、言ってしまえば”生まれ変わらせる”という選択をしたことの、意味があるように思える。
ざらつくどうしようもない重苦しい”現実”を経て、最後に回転する輪は消えて呪いは解放される。それはこの作品がアニメーションという超現実的な形で現実を描いているからできることなのだろう。この世界が空想のなかだからこそ終幕には現実から解き放たれ、あるいは現実を語る役目を終えて、輪は静止する。きっとそれは現実から離れるという意味で「死」にも近い。
作中において死は「地獄・地底・海底」と「天国・空・宇宙」という対照的な要素によって繰り返し表現される。水の底から水面を泳ぐペンギンを見上げるとあたかも空を飛んでいるかのように錯覚できるように、現実から感じようとする時には死後の世界と空想の境界は曖昧で、ただ浮遊感を伴う「非現実」として受け止めることになる。だから生と死を描くこの作品は、アニメーションでやることがふさわしい作品だった。
とはいえわたしたちはそのアニメを受けても結局どうにもならない現実で生きていく。隣人を愛して、なんとかかんとか幸福になれるようにやっていくしかない。作品から敢えてメッセージを抽出しようとすればこんな感じになる。自分が言葉にしようとするとなんとも陳腐すぎて、我ながら呆れてしまうな。

やっぱりアニメが好きだな~と思った。現実と戦うためにアニメは必要なので。劇場版が見られる体になったわけだけど、どうなるんだろうね。

今日見たアニメはピンドラ13~24。他の作品を考えるためのメモリが付きてしまったので、本日はこれで店じまいです。生存……するぞ!

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