見出し画像

2024/05/14 映画(トラペジウム)・アニメ

トラペジウム、見た! 見て一発目、めちゃくちゃ怪作だと思った。仕事を終えて自転車で見に行って、自転車で帰りながら、いろいろと考えていた。

アイドルの映画でありアイドルの映画でなかった、というか。要素として大きいのにあんまり掘り下げられずに、ずっとただそこにアイドルという目標が鎮座していて、独特の味わいだったな、と思う。これについては不満でなく、東ゆうというアニメの視点を司る人が、いかにアイドルの光に焼かれて、アイドルを目指す「しかなくなって」しまったか、という、彼女の執念というか鮮烈さというか、そういうエネルギーを感じさせるものだったと思う。
カメラは星とアイドルを捉える。アイドルというのは、星が輝くのと同じぐらい当たり前に、光っているのだ、と多分そういうことなのだろう。

物語では、ゆうがアイドルを目指す手段として東西南北の美少女グループを結成しようとするのだけれど、この手段というのがめちゃくちゃ変で、なんでそんな回りくどい方法を取ろうとしているんだ? と思った。やってることはほとんど呪術的っていうか。
ただこれについてはちゃんとお話にギミックがあって、実はゆうは受けたオーディションに連敗してるんだ、ということが語られる。このちょっとしたセリフによって、東ゆうがただの変なやつではなくて、夢破れつつもそれを諦めきれなくてどうにかこうにか藻掻いている人なのだ、と急にわかってくる。この仕掛けは上手かった。
バズっている感想で、ゆうのことを「他人のことを自分が成長するための飾りとしか思っていない」と評するものがあったが、これは映画を正直前半見て残り寝ていたとしか思えない。東西南北のSNSを比較するのもそうだけれど、どうにもゆうの中にはオーディションを落ち続けたことで劣等感のようなものが渦巻いているようにしか見えなかった。であるから月のように、光輝くものの横で、なんとか必死に自分も光ろうとしているのがゆうなのではないか。じゃあやっぱり飾りじゃんとも思われるかもしれないが、自分の感じたゆうというのはステージの主役になりたいのに自分一人では無理だと思っている、そういうちぐはぐさがあって、むしろ自分が飾りにしかなれない悲しさのある人だ。だから、ただドライで他人を踏み台にしか思っていないわけでななくて、もう何にでも縋り付こうとしているような人なんじゃないか、などと思ったわけだ。少なくとも、成長の礎とかそういうもんではないと思う。バズってるからと言って、あんまり個人の方のツイートにケチを付けてもしょうがないが。
東高で唯一メンバーで元から東(あずま)でもあるのが彼女なわけだけれども「東西南北揃えたならば、東は当然不可欠である」……などとそういうところに無理やり自分の立ち位置が生まれることに託しているのではないか、なんて考えていた。あるいはもうちょっと軽めに、願掛けというか……まあともかくそういうレベルのものだと思っている。東西南北というモチーフが、そこまで売れるためにキャッチーとも思えないし。

アイドルの話の割にアイドル描写ってあんまり濃くなくて、先に書いたようにそんなに「アイドルってなんぞや」という掘り下げはないし、トレーニングだとか売り込みだとか、そういう話も爆速で過ぎ去っていく。これはかなり独特な作りで、どういうことなんだろうと思った。
ぼやぼや考えているうちに、ゆうが最初の方に語ったことを思い出した。というのも「世の中にはアイドルやれる輝きを持つ子がいっぱいいるのに」みたいな話だ。つまり、そういう「光る」部分がある子であれば時が経てばきっとアイドルになれるのだ、というような作品の(そして、ゆうの)論理が見て取れる。そしてオーディションに落ち続けているゆうは、多分自分の中の輝きを見いだせていない。だから、他者の光にそれを追い求めたのだ。
しかしながら後半、美嘉は「ゆうはヒーローで、自分はファン一号なのだ」とゆうに語るのだ。これは本当にいいシーンだった! 結局ゆうは諦めきれないとそれだけでアイドルになったことが描かれるわけだが、ここで自らの光に気がつくことができたと、そういうことなのだろう。
北と星でこじつけるならば、ここでの美嘉はまさにゆうにとって、指針を示す北極星のごときものだったのではないかと思う。彼女自身は結婚して家庭を持って、とアイドルのルールからは大きく外れた人というのも味わい深い。

総じてアイドルのことを「人間って、光るんだ」以外に語っていないにもかかわらず、そのアイドルの強烈な光を表現する力強い筆致には妙に説得されてしまう、魔力のあるアニメだった気がする。この原作を書いたのが元アイドルというのは、印象に影響しているのは正直無視できないポイントだろうか。アイドルを本当に経験した人が、こんなにアイドルをただただ強烈なものとして描くのか、と素直に驚きがある。それでいて、アイドルは異性と付き合わないものだ……という価値観を見せつつも、アイドルでなければそれもよいだろう、というアイドル以外のキャリアに対する温度感も絶妙で、なかなか凄い。

始まりは打算だった友人関係がいずれ本当のものになり、その友人らによって自己に眠る光を見出す……と、人の関わりの中に確かにきっとある真実を信じるアニメでもあったか。語られないながらも存在感のある不思議なアイドルという要素が印象に残るが、こと青春物語として見るならば、道を違えつつも良き思い出として記憶に残る日々というのは、シンプルな構造のお話のように感じられる。
先に書いたように、この人間関係によって東ゆうのアイドルの話が結実したと思えば、極めて独特だと思った印象に反して非常にスマートな作品だったようにも思えてきた。もう一度見てみると、もしかすると全てが整理されているように感じるかもしれない!

最後に触れていない人物にも触れておくか。西のくるみ、シンプル萌え感が強い子だな~と思った。華はあるが、一番芸能界に向いていなさそうで、小さな世界が幸せというタイプの人。ゆうの打算によって集められたメンバーであるが、そこがくるみにとってもいい思い出だったというのはシンプルいい話だよな、と思う。
後はまあ俺を声モクで映画館に連れてきてくれた南の蘭子。調和の人で、登場人物の中では一番個人的に共感が強い。お蝶夫人の真似、形から入る、とりあえず流されてみる……とそれほど主体性はないのかな、と思いきや、一度決めたら誰よりも遠くへ突き進んでしまうエネルギッシュな超人だった。
アイドルとして生きていく人も、そうでない人も、アイドルという光によって進むべき道を見つけていく。こんなにもアイドルを、なんというか、人間にとって輝かしいものだと描いている作品も、なかなかないんじゃなかろうか。結構自分的に難しいというか、色々と書きながら整理しないと掴みきれない作品だったのだけれど、えらく長文になってしまって、このアニメのこと思った以上に好きだったのかもしれないな……と思った。
まあ真実が眠っているのは、いつでもそういうちょっと隠れたところ、なのかもしれない。友人関係も、コンテンツとの関係もね。

アニメ

リンカイ6、忘却6、アンメモ6。

忘却バッテリーが古代編だったんだけどなかなかパワーあって引き込まれた。あんまりピンと来てないアニメだったんだけど、結構やっていけるかも。あと正直なことを言うと実際に拝見した結果宮野さんの声への好感度が上がっていることを感じる……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?