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2022/07/18 映画(△)、映画(バクテン)、アニメ

なんとフォロワー氏お二人が話しているところに末茶藻中も話しています。末茶藻中の肉声が聞ける別にレアでもないけど最近意外とない機会です。喋りすぎて前後編になってしまったので来週更新分もわたくしが参加しています。アニメくんなのでアニメの話とかしてるんじゃないかな。よろしく~。

映画(△、バクテン)

三連休の最終日、さすがにちょっとは活動的なことをするか……と映画を見に行く。外に出ると暑いやら湿っぽいやらで不快感がすごく、やはり外出を一回にして複数見るのが正解だな……と思った。

ゆるキャン映画を見た。正直大人になった、の設定が上手く飲み込めるかどうか心配だった。結果としてはまあ悪くはなかったが、すごくいいという感じでもないかな、というところ。

映画を作るにあたって、映画だからスケールアップをすること、その回答の一つとして大人という時代を選ぶことで子どもからスケールアップすること、それでいて「ゆるキャン△らしさ」みたいなものは出すこと、みたいなプランがあったんじゃないかな、と感じる。キャンプによって結ばれる人々を描いていたわけだから、大人になってもキャンプで繋がれる。それ自体は確かに納得感があるのだけれど、そのためにキャンプ場を作るみたいな山場って本当に必要なのだろうか? と感じてしまった。大人になって今度は女子高生の背中を押す側に行く、キャンプ初心者の背中を押す側になる、みたいな変化は悪くないと思うのだけれど。
自分が感じていたゆるキャン△の良さって作中で好き勝手に、自由にのびのびと遊んでいるだけで、それがなんだか見てる側としても心地よくて、自分も旅に出たりしたくなったりするところにあった。そこから行くと、キャンプ場を作るっていうわかりやすい山場とか問題とか達成感はゆるキャン△に求めていたカタルシスじゃなかったんだよな。大人になってもたまに集まってキャンプして、ちょっとあの頃のことを思い出せたよね、みたいな内容のほうがぐっと来たんじゃないかと思う。そもそも作品が終わってもいないのにこのタイミングで大人にする意義が自分はよくわからなかった。確かに大人になっても不自由だよね、みたいな味はあるんだけど……。ボロボロのビーノは間違えなく再生のカタルシスとして配置されているわけだけど、別にこれに乗らなくなったのも映画の都合だからな……みたいな冷めた見方をしてしまった。

とはいえ大人になった皆様が魅力的というのは予想外の味だった。大垣千明さんと結婚してぇ~って思ったし、各務原なでしこさんとマジで結婚してぇ~って思った(カス豚ですまん)それはそうとどうせ大人とかにするんだったら、大人になって誰か結婚してるぐらい攻めてもいいと思うんだよな、そこ中途半端に日和ってると思う、まあ俺は結婚してるところ絶対見たくないですが……。あとリンちゃんが満員電車に乗ってるシーンで本当に悲しくなったし、やっぱ大人になって満員電車とか絶対乗らないほうがいいですよ。自転車通勤とかしてくれたほうが良かったな、自転車通勤全然楽ではないんだけど、そういう自由を求める姿勢がさ……欲しかったよな……。リンちゃんのキーボードがめちゃくちゃうるさいのは笑ってしまう。職場では静かなキーボード使いな……。

映画(バクテン)

その後にバクテン!!の映画を見た。これは…………マジで天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才天才アニメーションだった。全部あった。本当に全部あった。TVアニメの後であるべき葛藤があった。あるべき挫折があった。あると嬉しい掛け合いがあった。あると嬉しい成長があった。作品のテーマのさらなる飛翔があった……。TV版の再演っぽさを感じさせながら、確実にその先に進んでいる。シーン一つ一つに胸が熱くなって、涙を浮かべたり流したりしてしまった。

劇中で、ところどころ季節を感じさせる。始まりは大会からだから夏なわけで、その後に過渡期の秋があって、厳しい冬がある。そして卒業の春は、その厳しい冬を乗り越えなくてはたどり着けない。先輩の卒業に、志田監督の辞任。この部員たち(そして、それは俺にとっても)悲しい別れという冬をどう乗り越えていくのか、というところがあった。東北という雪国のロケーションでもあるから、納得感がある。祭りの出演を決めるシーンなどは、前向きなシーンだから橋の装飾で”春”が示される。
アオが夏ならシロは冬だ。卒業という(季節の、でもある)変化によってアオ高は動揺した。亘理先輩は致命的なミスによって”真っ白”になり、そのシロを乗り越えることが演技中(と、更にしばらく)できなかった。一方のシロ高は強豪としてやはり揺るぎない。彼らの練習風景で火花が出ているのは単に派手な演出にすぎないと見ている時は思っていたが、今見返すと雪を溶かす熱という強さなのだろう。TVでもあった、趣味が合う同士の学校を超えての交流とかかなり嬉しいのだけど、特に良かったのは天才少年ましろの浮世離れした描き方だ。少々見えすぎている彼の視点は観客にアオ校の問題をわかりやすく意識させつつ、それでいてましろの特異っぷりを際立たせるやり口が巧みだ。そんなましろが美里に「置いていかれた側」として寂しさを感じていた、という人間臭さがあるのがまた! ここでも冬のシロ高のましろは、置いていかれることを恐れているアオ高の美里や翔太郎らの先の季節をいっているわけだ。ましろの手で雪は溶ける。その熱に教えられて、二人もまた変化を受け入れていくのだ。じっくりと別れの寂しさを描きながらも、吹っ切れる時は一瞬という劇的さが見ていて気持ちがいい。

全員良かったけど美里の葛藤がまたね。志田監督の辞任の告白で掴みかかるイメージ→志田監督の選手時代のイメージ→こらえる両手、という一連の彼の心中を現す演出は圧巻だった。ここでもましろと共通する手のモチーフがあるか。女川先輩の「寂しがりやエース」に反応できないとか、その後のエース認定では「エースじゃありません」をたっぷりと見せて、スタッフ側もここはしてやったりだろう、というところを受け取れるのがなんだか無性に嬉しい。ていうか女川先輩が大学では自分がエースだぞって言い出すところとか本当にズルすぎる。印象的なセリフを縦横無尽に使う、シンプルな本の上手さが健在といったところだ。

最後のアンコールは全然事前情報とか入れてなかったからマジでびっくりしちゃった。夏のアオと冬のシロが一体となるの、四季じゃんな。色とりどりのライトもそういうことかも。四季というのは巡るわけだから、変化を受け入れることだし、その先に再生することでもあるんすよね。
元々テレビ版でも挫折があり、自分はここは東北大震災を受けてという裏のテーマがある故だろう、みたいなことを考えていた記憶がある。今回はその先でもやはり順風満帆とはいかないことが描かれたが、しかし諦めないという力強さがある。今回の映画によって、その力強さは更にTV版よりも強度を増したものとして感じられた。この前ビビストを見たからではないが、そういう力強さが肉体美として新体操のアニメーションに表れているのがすごくいいなと思う。肉体は嘘をつかないんですよね(七ヶ浜元キャプテンもそんなことを言っていた……)縦横無尽のアクションにカメラワークといった良さがスクリーンで見られることにもただただ感動していたが、ここに関しては残念ながら語る術を持たない。ただ演技のシーンではずっとボロボロ泣いてしまったよ。

あとバクテンのいいところにちゃんと萌えもあるところなんですよね。当然男子陣がめちゃくちゃ魅力的に描かれているのが本当に凄いんだけど、豚としては女子陣の描き方にも一応触れておくか。妹ちゃんが萌え過ぎて、妹ちゃん!!!!!!!って叫びそうになっちゃった。あとあさちゃんがさ~マジで良すぎるね。副部長就任シーンで爆発するところで、多分豚全員「これじゃ燃えじゃなくて萌えだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」って絶叫してたと思う。心の中で。

総じてテレビ版からの純粋進化で、その先が鮮やかに描かれた傑作映画だった。今日もうレイトショーだけという感じの公開だったのだけれど、テレビ版を楽しんだ人間の端くれとしてちゃんと劇場で見られて本当に良かったし、見る価値がある映画だった。

多分これ読んでる人は見た人だと思うけど、テレビ版が良かったとおもった人は本当に全員見に行って欲しい……。

アニメ

転生賢者2、ヴィンランド2。ゲツヨルはレイトショーあとでも見られる時間でいいですね……。転生賢者が結構バトル頑張ってて、そこ力結構入れてるアニメなんだ……と思った。このアニメ結構力の入れどころが不思議だ。


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