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2022/08/01 ピンドラ・外・アニメ

ピンドラ

ファーストデイなので、劇場版(後編)を……見た!

基本的に総集編めいた作品で、TV版のカットがほとんどを占めている。『輪るピングドラム』は元々絵がいいアニメなので、それをスクリーンで見るだけでも楽しい……というのは前編と共通する感想。後編ということで前編ではそれなりにあったコミカルな要素が消え失せて、緊迫感溢れるシーンが続く。

ちょうど昨今カルトの話題が世間を賑わせているので、まさにオウム真理教という日本を震撼させたカルト団体が題材になっているこの作品に対して、「対カルト・脱カルト」的な読み方をするツイートを最近見かけた。しかし自分としてはあくまでカルトというのは題材の一つであり、けしてこの作品の根幹たる部分ではないと感じている。飢餓の会は確かにカルトかもしれないが、ではここと対立する存在としての桃果はどうだろう。奇跡を起こし、愛を囁き、自らの”信者”を増やしていく姿はどうみても宗教を連想させる。ピングドラムでカルトと宗教の線引が語られていない以上、カルトという存在の恐ろしさを軸に据えてみることは、私としては不適切だと感じられる。

だがしかし、むしろもっと広い、宗教というテーマがあることは間違えないと思う。アダムとイブ、禁断の果実、十字架の自己犠牲……これら散りばめられた聖書モチーフは、言うまでもなく「宗教的な」モチーフであるからだ。最終回のタイトルでもある「愛してる」という、このシンプルなワードはイエスの説く人類愛にも通じる。「運命の果実を一緒に食べよう」という、罪も幸福も分かち合おうという愛の言葉。結局のところこの作品の根幹はシンプルな「愛」なんだなあと思った。だからこそ、苦しんでいる人の救い足り得る宗教が描かれるのだ。「何者にもなれない者」は親の愛を得られずに自分を確立できず、”透明”になってしまうこどもブロイラーの哀れな子どもたち(年齢的に大人になったとしても、だ)を指す悲劇的な言葉だろう。

さて、以上のような内容は映画とTV版で変化はない。しかしこの映画は単なる総集編にはとどまらない性質を持たざるを得ない作品だと思う。テレビ24話で終着駅へとたどり着いた作品は、傷を残しながらも呪いという永遠に回転し続ける輪から解放される。一方でリサイクルと言えば否応なしにその循環には回転を感じさせる。自由になったキャラクターたちは、この劇場版で再び呪いの輪の中に放り込まれてしまう。
「運命の乗り換え」後を感じさせるように、子供の姿の冠葉と晶馬は「ピングドラムの物語」を振り返る。そこで揺れ動く自分の姿を見ながら彼らはその未来に不安を抱くが、しかし結末を迎えて自らを「お兄ちゃん」と自覚し、道を切り開く。ここでの二人の役割というのは、まさに鑑賞者が物語を振り返ってゆくことと重なる。
TV版同様の「どこへ行きたい?」と話しながら右側へと進む二人は、アニメではない現実のカットを挟んで再び同じ会話をし、劇場版追加のシーンでは今度は左側へと進んで終幕を迎える。すなわち、行きて、戻りし動き。ピングドラムという物語を見て現実に戻ったわたしたちは、新たな世界で生まれ変わった冠葉と晶馬たちと同じ世界にいる。劇場版ではいくつかアニメーションではない現実のカットがある。アニメが良すぎるせいもあってか映像的にはそこまで目を惹かないと感じた現実のカットだが、しかしこの仕掛けによって、アニメと一緒に私たちは現実へと戻ってくることになるのだ。ピングドラムは現実を踏まえてのアニメだったと思うが、改めてこのリサイクルで、現実の側の方にもピングドラムが帰ってきているわけだ。

ピンドラは95年の地下鉄サリン事件が題材の一つということで、「我々の社会を振り返ってみて、さてどうだろうか?」という問いがあるように思える。故にこの作品が”リサイクル”されて再び世に出てきたことにも、何かしらの意義を感じずにはいられない。
劇場版で、自らを呪いのメタファーと語った眞悧はおちゃらけた役どころになっていたし、桃果は「きっと何度でも運命の乗り換えに成功するだろう」と言い、最後には「きっと何者かになれる」という言葉まであり、テレビに比べてかなりポジティブなメッセージ感が強まっている。作品としては眞悧と桃果の描写は、テレビ最終回の静かな会話のほうが鋭利な仕上がりだったと思うが、しかしこの変化を単なる10年後のファンへのサービスと捕らえてしまうには、あまりにもこれは重い作品のように思う。むしろこの10年を生きた私たちは、作品からむき出しの銃口を突きつけられているのではないだろうか。「本当にお前たちは”運命の乗り換え”ができたのだろうか?」と。

ところで、やはり近年の社会に捨てられた子どもたちと、その社会への批判的な眼差しとを描いた作品として『BLUE REFLECTION RAY / 澪』のことを少し意識してしまった。『輪るピングドラム』のアヴァンギャルドな演出や、愛についての迸るような情念に比べると、ブルリフRはずいぶんと素直に「見つける」ということの救いを変身ヒロイン的な文脈も合わせて描いた作品であり、毛色としてはかなり違うだろう。しかし苦しい現実の中でのブルリフRの「私たちの未来も、変えられる」という言葉には、ここで書いたピングドラムのものと同様に、アニメから迸る、現実に対しての問いかけを感じてしまう。

ここで今日の心あたたまるエピソードを書いておこうかな……。映画を見て呆然としながら駅に戻ると、Suicaを入れているカードケースが見当たらない。なんと中にクレジットカード(Suica一体型)や運転免許証もあるので、これはマジでやってしまったかな……と青ざめながらも藁を掴む思いで映画館に戻って尋ねる。外見を説明すると「二つ折りの財布ですか?」と具体的な言葉が出てきたので、内心期待を高めつつ「財布ではないが二つ折りである……」などと説明したところ、しばらく待って無事に落とし物として保管されていたことがわかった! おそらくだが、鞄のポケットに左右両方ファスナーがついており、その片方を締め忘れて落ちてしまったのだろう。人生でも結構トップクラスにヤバい落とし物だったが、こうして中身も無事に帰って来て人間の優しさに助けられた……という話。別にオチとかはないです!

アニメ

転生賢者6、ヴィンサガ4。

転生賢者、どんどんゴキゲンになってくるな。自害しまくって極大魔法発動する組織、潔すぎて最初っから自害して発動しとけばいろいろ巻き込めたんじゃないか? って笑ってしまった。Aパでそんなこんなでドンパチやって、Bパでトンチキ飯レポシーンやる緩急すごすぎる。流石に面白さをバンバン感じてきた……。

ヴィンランドサガはマジで再放送だけど毎週おもろいな~! 三下っぽいアシュラッドが切れ者で狡猾で、トールズほどじゃなくても結構強いの、キャラの立て方がうめぇ~! ってなる。ゲツヨルの(続編などが多く)追えているアニメが少ない中、こういう作品があるのはかなり嬉しい……。

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