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クリスマスローズとヘンデル


今、あちこちで「クリスマスローズ」がきれいに咲いていますね(2024年3月中旬現在)。
我が家の庭でもこの時期になると「クリスマスローズ」が花開きます。花が少ないこの時期、庭に彩りを添えてくれる貴重な花ですね。

 1.本当は「クリスマスローズ」ではなく「レンテンローズ」!!

ところが、今咲いているのはなんと「クリスマスローズ」ではなく、「レンテンローズ」なのだそうです。
確かにクリスマスの時期に咲く正真正銘の「クリスマスローズ」もあります。しかし、日本で一般に広く出回り、この時期に咲いているのは「レンテンローズ」なのだそうです。
Christmas roseと言いながら、クリスマスではなく、今ころ咲くのは釈然としませんが、「レンテンローズ」だと言うのであれば、とても納得です。
 
Lenten roseのLentとはキリスト教の「四旬節」のことで、イエスの復活した日曜日(復活祭Easter)に先立つ40日間のことです。ただし、その間に訪れる6回の日曜日はカウントされません。日曜日も含めた全期間は46日で、およそ一カ月半(6週間半)となります。
復活祭の日曜日は「3月21日以降の最初の満月のあとにくる日曜日」と定められているため、それから逆算される「受難の金曜日Good Friday」も、「四旬節」の開始も毎年変動します。変動の幅はありますが、「四旬節」はおよそ毎年2月から4月の間に訪れます。
今年は3月31日が「復活祭」、3月29日が「受難の聖金曜日」、それに先立つ「四旬節」(レント)は2月14日(水曜日)から始まっています。

2.「四旬節」にオラトリオを上演して成功を収めたヘンデル

「四旬節」はイエスの受難に思いを馳せ、慎み深い生活を送る時期です。
ヘンデルの時代のロンドンでは、この期間は過度な娯楽が避けられ、劇場でのオペラも上演が禁止されていました。
オペラは歌手の美声と華やかな技巧、豪華な衣装や舞台背景、大掛かりな機械仕掛けとともに、人間感情むき出しの愛憎劇を楽しむものですので、さすがに「四旬節」には憚られる劇場娯楽です。
晩年のヘンデルはオペラが禁止されることを利用し、「四旬節」の期間中に英語のオラトリオを上演して、見事に大成功を収めます。
 
なぜ、オラトリオは「四旬節」に上演することが許されたのでしょうか?
それはオペラと比べて、オラトリオは娯楽色が薄いからです。
オラトリオは演奏会形式で上演されます。演奏会形式とは、演技や衣装、背景など視覚的な演出のない上演形態のことです。視覚的な要素を排除しただけでも、かなり娯楽色は薄められますが、さらに題材のほとんどは聖書から採られた宗教的なもの、あるいは道徳的なものでした。このことによってオラトリオは宗教界からの非難をかわすことができました。
 
しかし、「四旬節」とはいえ、劇場に集う聴衆は礼拝しに来た訳ではありません。それなりの楽しみがなければわざわざ高い入場料を払って劇場には来ません。ヘンデルも十分それを承知していましたので、オラトリオにもオペラ的な娯楽性を盛り込んでいます。聖書の題材を用いながらも、そこには人間的なドラマを織り込み、歌手の美声や技巧も楽しめるよう工夫しているのです。
つまり、ヘンデルのオラトリオは宗教性と娯楽性をバランス良く保つことで、宗教界の反発をかわしつつ、聴衆を満足させたのです。

3.目のつけどころがさすがのヘンデル

宗教的・道徳的題材を隠れ蓑に、オペラ的な娯楽を楽しんでしまおうという方便は、ヘンデルはすでに青年時代にローマで経験済みでした。
1706年から1710年までのイタリア滞在中、ヘンデルが最も長く滞在したローマでは、ローマ法王の命令で「四旬節」の期間ばかりでなく、一年中、オペラが禁止されていました。これに不満を抱いた貴族たちは自分たちの邸で、宗教的・道徳的題材による、演技のない(=演奏会形式による)オラトリオを上演して楽しんでいました。ヘンデルもそのような目的のために依頼され、2曲の素晴らしいイタリア語のオラトリオを作曲しています(《時と悟りの勝利》と《復活》)。
 
ローマでのこの経験がのちのロンドンにおける「四旬節」オラトリオに結びついたのでしょう。
今や自分が会場費を払い、歌手への出演料を払う立場となっていたヘンデルにとって経費削減は重要な課題でした。好都合なことに、元々演奏会形式によるオラトリオは衣装や背景、機械仕掛けが不要なため、オペラに比べて上演経費が格段に安上がりでした。加えて、「四旬節」の上演にはいくつもの利点がありました。この時期、オペラが禁止されていましたので、集客上最も手ごわい競合娯楽がありません。劇場も空けておくよりは使ってもらったほうが良いので、使用料が割安となりました。歌手達への報酬もオペラの仕事がない時期であること、演技リハーサルのための長時間拘束がないことなどから割安でした。
 
もちろん、ヘンデルの音楽そのものがオペラ以上に変化に富むものとなっていました。壮麗な合唱もオラトリオならではの魅力でした。また、演技のないことを利点とした台本上の工夫は、聴き手の自由な想像力や知的関心を大いに刺激し、オペラとは一味違う「上質な劇場娯楽」となっていきました。
こうした興行上、音楽上の工夫が功を奏し、ヘンデルの「四旬節オラトリオ」は大成功を収めたのです。
 
ヘンデルは作曲家として偉大だっただけではありません。
独立の興行主としても人並み外れた才覚の持ち主だったのです。
そして、ここがバッハとの大きな違いです。

 結論:ヘンデルってすごくないですか!
 

補足

1)クリスマスローズやレンテンローズで、花に見えるのは正確には「花冠」ではなく、「萼片=がくへん」だそうです。
 
2)イエスは3月13日の金曜日に十字架上で息絶え、3日後の4月15日の日曜日に復活したとされます。金曜日から3日後と言えば月曜日ではと思いますが、これは当時の勘定の仕方によっており、金曜日をすでに1日目と勘定しているためです。
 
3)「四旬節」は「受難節」とも言います。「旬」とは「10日」のことで「四旬」は40日となります。「40日」という期間はイエスが荒野で断食し、サタンの誘惑と闘った日数とされています。「40」という数字はキリスト教では重要な数字となっており、たとえば「出エジプト」後、モーゼが率いるイスラエルの民が荒野を彷徨ったのも40年間とされます。
 
4)オラトリオ《サムソン》は旧約聖書の題材を用いながらも、サムソンとデリラの人間ドラマも織り込まれており、宗教性と娯楽性のバランスが良い作品です。ヘンデルのオラトリオはこのタイプのものが大半を占めています。《サムソン》に代表されるこのようなオラトリオを「宗教的・劇的オラトリオ」と呼びます。
一方、《メサイア》はあまりに宗教色が濃く、宗教性と娯楽性のバランスを欠いたオラトリオです。このため、《メサイア》はヘンデルのオラトリオの中にあっては例外的な作品となっています。
(もちろん、このことと作品の芸術的価値とは無関係です)





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