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クソガキが東京に行くまで/4

関東に来て早1ヵ月です。
講演会や座談会、他にも人との交流が増えていく中で、自分の未熟さを痛感しています。
この一年を通して半人前くらいに成長していこうと思います。
では大学編スタート

「再び始まる自己否定とその先」

大学受験が終わり、僕は実家から少し離れた所で一人暮らしを始めました。
環境が少し変わったので、自己否定がマシになるかと思っていましたが、そうなる事はありませんでした。
一人暮らしの家の中で自己否定と新たに虚無感が僕を蝕み続けました。
この先何を目指せばいいのだろう。
また自分の望みを叶えれなかった。
どうして僕は結果を残せないダメ人間なんだ。」
そんな考えを、春休みから始まり大学が始まってからも永遠と繰り返していました。

そして僕にある異変が起こりました。
朝起きることができない
4月の中旬頃だったと思います。
そこからは坂を転がるように落ちていき、5月の下旬には大学に行かなくなっていました。
かろうじてバイトは行けていたので(自分が行かないと確実に顧客へ迷惑がかかるバイトだったので)、半分引きこもりという状況にまでいきました。

「引きこもりになってから」

引きこもりになってからは何をするのも億劫になっていきました。「食べる事も」、「風呂に入る事も」、「寝る事も」、もちろん「バイトへ行く」のも億劫でした。

全てにおいてする事が億劫になると同時に自己否定も進んでいきました。
「たくさんの人が朝起きて学校、職場に行っている中何故俺は...。」
「こんなゴミみたいなやつ生きてる価値などあるのか。」
そんな具合に毎日毎日思ってました。

「自己否定から鬱へ」

こうなるとほぼ鬱の様な状態です。
そして9月頃、僕は味覚を一時期失いました
これに気づいたのは、友達と某定食屋でご飯を食べてる時でした。

「なんでそんなに美味しそうにご飯を食べているんだろう。」
そう感じた時、自分の中で違和感を見つけました。
「そういえば、味がしない。」と。

流石におかしいなと思ったので、家族に現状を伝え、友達にも相談した結果10月頃には味覚が戻っていました。

一応病院には行き、薬は貰いましたが、怖くて飲みませんでした。笑

「留年して」

当然大学へ行っていないのでタイムリープ(留年)しました。
その頃僕は「普通」に固執していました。
「大学へ行って卒業しなければ。そうしないと生きてる必要はない。」
そう思い、実家に帰って通おうとするも、まぁ行けず。
そして最終的には夏休みに入る頃、僕は「普通」を諦めました。
「ここまで変なのであれば、もう社会の中で生きていけるかわからない。多分無理だ。自分で稼ぐ方法を見つけないと。」
この諦めをキッカケに僕は回復へと向かっていきました。

「選択」

普通」にはなれない。と悟った僕は、ある選択肢を頭に浮かべました。
大学を辞める
そして、その選択が何故か魅力的に見えました。「親への負担が減る」「時間が手に入る
その二つがとても魅力的にさせたのだと思います。
もの凄く安易です....。
この事を家族や友人、バイト先の社員さんにも相談した結果、10月終わる頃に「休学」という選択をすることに決めました。

「休学を決めて」

休学を決め大学に行かないと決めると自然と心持ちが軽くなりました。
この時、何かを自分で選択する大切さを学びました。

そこから1月までやった事のないバイトをしてみたり、今まで行けてなかった自動車教習所に通ったり外に向けての活動を増やしていきました。

「いざ関東へ!」

忘れもしません。1/14の成人式の日、夜中に急に電話がかかりそこで「関東へ来ないか?」というお誘いをいただきました。
僕は環境を変えたいという気持ちだけで、即関東へ行くことを決め、二週間で大まかな流れを決めました。

そこから2ヶ月は親の説得と身辺整理をして3月末関東に来ました。

本当はこの記事で感想も書きたかったのですが、文が長くなったので明日書きます。

次回noteを始めて書いて、ここで様々な人と出会っています思うこと。


見に来てくれてありがとう! あなたのおかげで頑張れます。