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American Girl / Tom Petty & THE HEARTBREAKERS

自粛一辺倒の日本から逃げ出したいからなのか、その街で作られている黒ビールが目当てなのか。その年は元号が変わったばかりの激動の時代だったけど、どこかでちょっと期待してた混乱もなく海外への渡航もすんなり。

1月の成人の日を含む3連休を利用して中国へ行った。

ま、エアライン関連会社主催のフリーツアーのチラシがたまたま目について、何となく行こうとしたから、というのが一番近い。


空港に着いた途端、雪に見舞われ前途は多難だった。

ホテルは市街地から離れた所だったけど、
さすがエアラインの関連ホテルだけあって豪華だった。

市街地へのアクセスは日に数本のシャトルバスしかなく、
何もすることもなくロビーにいると、
ドアが開き、少し急いだ感じの女性が駆け込んで来た。

彼女はロビーを見渡すと、僕に向かって話し掛けてきた。
「帽子の彼女、知らない?」

予想だににしなかった流暢な日本語に一瞬たじろいだが、
悲しいかな、咄嗟に日本語って出ないもんだ。
「I don't know」

しばらく沈黙が続いた。

「来たよ!」
彼女が名前を叫んだ。
すると彼女の言う通り帽子を被り、
真っ赤なコートとロングブーツの女性が僕の脇を通り過ぎ
まるで恋人同士のように彼女と抱き合った。
まるで映画かドラマの1場面でも見てるように目を丸くして
僕はその場に立ち尽くしていた。
本当に恋人同士かと思う。

そうやって、僕は彼女と知り合った。

彼女は、アメリカから留学している友人で僕に声をかけた子、を訪ねて中国に来たという。

その日から僕らは土地勘のあり、3か国会話を駆使する留学生に引率され3人で行動した。

3日間はあっという間に過ぎ、帰国の途に着いた。
飛行機の座席で彼女は僕の隣だった。

発着のトラブルで管制塔から着陸許可が下りず空港上空を旋回し続けていてもビールを飲み続ける撲に呆れていたのだろうか? 国際線の主役を張ってた成田の上空で。

帰国後、数週間経って僕たちは再会した。


ある晩、映画館に張り付いたような細長いショットバーで
エズラ・ブルックスの赤をロックで飲みながら彼女が呟いた。
「あの時、なかなか着陸しないで何回も旋回してたでしょ。
ずっとこのままだといいな、て思った。」


???
生まれて初めてかもしんない、そんなこと言われたの。

僕は彼女のことがとても特別な存在に思えた。

彼女がブルーズやロックが好きなギタリストだってことはその時は知らなかった。

そんな彼女から何本かのトム・ペティのテープを貰った。
オープニングの「American Girl」で僕はすっかり参ってしまい、
アンコールの「Shout」で完全にノックアウト状態だった。
なんてわくわくする真っ直ぐなロックなんだって。
それまで抱いていたひねくれ者のイメージが払拭された。

春になり、ソロ・アルバム「Full Moon Fever」がリリースされた。
これがまた良いのだ。


彼女とは2年ほどで別れてしまい、
最近まで、トム・ペティを聴くのが辛くて避けてきた。
彼女との思い出が詰まっているのだから。
特に「Free Fallin'」なんてなおさらだ。


今でもあの映画館の裏を通るとあの頃を思い出す。
ショットバーは無くなっているけど、今なら聴けそうな気がした。
そして20年ぶりにあの頃のライヴを聴いてみた。

今となっては同じ星の出来事とは思えないけど、

居ても立ってもいられずLPを買うと「American Girl」はオープニングではなかった。

彼女と知り合うきっかけになった留学生には、今でも感謝してる。


彼女とは元号が変わる激動の時期に付き合い始め...




#レコードの終焉と再生

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