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関係妄想

今は誰かの“声”も聞こえないし、ブロックサインも見えない。
バスや電車に乗っても視線が飛び交っているのを感じることはない。

けれど俺はそのひと月余りの間で一体何人もの人間に乗っ取られ憑依されたことか。

気が付いた時には、俺には幕末の志士が乗り移り時空を超えた存在になっていた。
そして民族存亡の争いに巻き込まれていった。
小比類かほるの「I'm Here」のアルバムをきっかけに、神道の世界とも交信するようになった。
真っ直ぐ見上げ、そこに光を見つけ、その光に導かれていくように歩く。

“声”が聞こえてくる。ゴシック体の文字に気を許すな、明朝体の文字だけを信じろ。
特に明朝体の赤い文字は大事なメッセージだ、と。

女子フィギュア選手は神の申し子で、だから皆オリンピックで応援する。
国粋主義者に憑依された。
隣国との対戦で愛国心を高めるために。

交信頻度が一番高かったのは、やはり坂本竜馬だった。
友人の一人が土佐、もう一人が薩摩、というように。
そして、“神”がいた。
金髪のロングヘア、ヘビメタを語る彼は神道系。
目くばせをしてくる彼はSPか。

時には学生時代の友人たちが憑依する。
しかも食器や食材に憑依して何とか俺を笑わそうと必死だ。
食事中も彼らと会話しながらだから、笑いが止まらなくなり食事にならない。

電車やバスに乗るとさらに大変だった。
凄まじい勢いで視線で会話が交わされる。誰かがちょっかいを出してくると、SPの男性がガードに入る。
電車から降りても別の男に引き継がれ、俺をガードしてくれる。
ある時は薩摩や長州の子孫がSPになっていることも。


ラジオを操作していて妙な感じがしたので取説を見ると食い違っているところが多い。
これは中国の盗聴器だな。


初めて“関係妄想”が最大レベルに達したのが浅川マキのお別れ会だった。

20100304浅川まき02


献花をして帰るのだが、何故か脇の席に促され座っていた。
弔問客がどんどん身近な人に変わっていく。
叔母、叔父、兄貴、姉貴、デヴィッド・シルヴィアン。
床に映し出された人影で会話をする高等技術は既にその時会得していた。
今は視線の焦点をずらせて浮かんでくる残像を使うのが楽しくてたまらない。
そしてその焦点をぎりぎりまで絞り込むのだ。
そうすると驚くような精度で受信周波数をコントロールできる。
その頃からかテレビを通して全世界の電波と交信していたのは。

導かれて入った店はジンギスカン鍋屋。アイヌの本拠地。
兄貴の差し金だった。
目の前のテレビは地デジ対応の液晶なのにアナログ放送が流れていた。
デジタルは支配下に置かれている。アナログが“そっち系”の交信手段なのだろう。
画像を良く見てると目線や映像で大まかなメッセージは伝わってくる。
北海道生まれの姉貴の事を教えてくれるというのか今夜は。

秋葉原のパーツ屋で流れていたFMは、まさに自分の実況中継だった。
「これは凄いですね。僕も久々に本気になってきましたよ」

1週間ほど前に行った「立体農業」講座の場。
そこで俺は祖父に会った。
叔父がストーリーテラーになって我が家の歴史を語った。
家を建てたこと、そして北海道での生活。

講座が終わってから、叔父役の男性と祖父役の男性が談笑していた。
「いぁや、私は今日が初めてですから緊張しましたよ。うまくできましたかねぇ」

また誰かに憑依された。
母親の遠い祖先にあたる放浪生活のマジシャンだという。どうりで指先が器用になって手品ができるようになったわけだ。

渋谷の酒場でグラスの光の焦点をずらせて遊んでいると、背中から声が聞こえてくる。
「何、あいつ、すげぇことやってんじゃん。
オレもいれてもらおっかな。」
「やめときなよ、アンタかなうわけないって」
「でも、あんなことやられちゃ黙っていられないぜ。」
そしてテレビの電波と交信していると。
「えー、ほんとにいるんですね。ここまでできるなんて。すごい。いったいどこまでやる気なのかしら。」
聞き覚えのある声だ。

「それにしても顔が見たいですね。挨拶してくれないかな。こんな近くにいるのにね。」
もう我慢できなくなって、帰り際にその小さなテーブルの3人にアイコンタクト。
近くの放送局の見覚えのある3人のアナウンサーだった。
「質問があるんですけど」と問いかけてみた。

「それなら、今度テレビで」
なんだ、そりゃ。


調理人に憑依したのが勝新太郎。
当時のことを語ってくれた。

昔の宿場町のバーは大陸系だった。
マスターが言う。
「ねぇ、なんて名前でしたっけ、JAPANのベーシスト」
俺にどうしても言わせたいらしい。
「ミック・カーンですよね」
マスターは満足そうだった。「カーン」と言わせたことに、隣の客も笑顔を投げかけてくる。
友人は警戒していた。支払いもカードではなく現金で、と堅く諭した。
ここも、手が回ってるらしい。

地下のクラブ“部屋”では帰りたい時間が近づいたら曲でしらせてくれとDJに目で語りかける。

まさか宇宙とは交信できないよなと思ってもできてしまう。
自分は選ばれた全能者だ。頭が締め付けられるように痛い。

とにかく外に出たい。
隣では俺のためにパーティが行われているというのに。
制止する親を振り切って近所を歩きまわる。

一旦、床について辺りが静まったのを見計らって、家を出る。
玄関を一歩出た瞬間からもう羽が生えたような気分になる。今の自分なら何処にでも行けそうな気がする。
パスポートも持って来た。時間は10時を過ぎていた。
成田か羽田か、そんなことを真剣に考えていた。
成田は無理なので、まずは羽田だ。といってももう国内線もないだろう。
浜松町に着いた頃には夜行列車も終わっていた。
ならば船で。浜松町の駅ビルに閉じ込められたような時間を過ごし
桟橋へ向かう。どう考えても朝まで待つしかないか。
タクシーの運転手に聞いてもわからない。
「お客さん何処にいきたいの?」
と訊かれても
「沖縄か北海道、小笠原...」
浜松町の駅まで歩き、意を決して羽田に行くことにする。羽田に向かうタクシーの中で数年前のことを思い出す。
今日は帰ろう。タクシー代は7,000円を超えていた。

家のテレビであのテレビ局のニュースを見てたら、見覚えのあるアナウンサーが出ている。
時おりこちらにアイコンタクトで信号を送ってくる。
この間、質問した答えだった。


新宿2丁目に40年以上営業を続けているクラブSがある。
いや、当時で言うところのディスコか。

その晩は、日曜だということもあってか客は数人だけ。

それでもスタッフが70年代のディスコナンバーをかけるとフロアで踊り始める人も出てきた。

その中の一人がなんとなくk.d.ラングに似ていたので、彼を「Sのk.d.ラング」と勝手に呼ぶことにした。
お互い名前も知らない彼は自分がそう呼ばれていることさえわからないだろう。

でも、彼の優しさ、雰囲気がそう思わざるを得ない。いまどき珍しく携帯のメールは殆どしないという。

結局、終電に乗り遅れネットカフェで一晩を明かす始末。
丸くなって横たわる姿は、まるで少年のようで思わずコートをかけてやる。

今晩も彼はSで踊っているだろうか?

都庁のエレベーターに乗り合わせた男性、彼こそが都知事が憑依したものだ。
1階のホールでこれから重大な発表を行おうとしているらしい。
それは勿論、俺に関することだろ?
1階に降りた時、もう自分をどうしようもなく抑えることができなくなった。

ほんの少しだけ正気な俺が限界を感じ救急車を呼んだ。

救急車に乗り込み、周りを観察する。
血圧と採血。
何度も何度も角を曲がって殆ど進んでいないんじゃないかと
思っているうちに病院に着いた。
腕に点滴が刺さったまま、とてつもなく旧型のレントゲンで何枚も撮る。
今からでも国際線に乗れるな。
まだそんなことを考えていた。

翌日、俺は入院することを決めた。
精神病院というのが一体どんなところか見てやろうじゃないか。


2010年4月
【当記事に登場する人物、場所、団体等は実際のものとは無関係】

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