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青天の霹靂ダブルミーニング

out of the blueという言葉はよく歌詞に使われる表現で
人によって馴染みの曲はあるだろうが
真っ先に思い浮かぶのがDavid Bowieの「Ashes to Ashes」


故事成語では「青天の霹靂」

それまで英雄視されてきた宇宙飛行士のトム大佐の話は全て麻薬中毒者の幻想によるものだと、この曲で暴かれたファンにとって、それこそが青天の霹靂だったに違いない

当時は大騒動だったがそんなファンや評論家を見透かしたように本人は「童謡みたいなもんさ」と至って冷静だったのかも



「out of the blue」は2014年9nineの3rdアルバム「MAGI9 PLAYLAND」に収録されている

てっきりラブソングかトーチソングだと決めつけてた

ショートストーリーも書いた


今思えばそれもラブストーリーとは到底届かず曖昧で ぬるい話で終わってる

まぁそれはそれで気に入ってたんだけど

美空ひばりの「一本の鉛筆」とか福山雅治の「クスノキ」
といった反戦反核ソングに接するようになり

放送禁止歌のイベントなどに出て少しずつ知識がついてきたのか

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ふと改めて聴いてみると幾つかの不自然な点に気が付く

まず

一人称


それと

現代の設定になってるけれど

とけるような光

あ、

ちゃあぽんの出身地…


血の気が引いてきた

あちこちで今まで気が付かなかったことが一気に駆け巡る

まるで核戦争相当の事態が起こる直前を回想してるかのように



ダブルミーニングなのか

これで
間奏で ひろろが憑りつかれたように踊り狂う様も
不自然な歌詞も
何もかも納得できる


というのも9nineってば

震災3ヶ月後にリリースされた「流星のくちづけ」

変わりゆく街 はかない世界に
誇らしく咲いた 向日葵

それはシギー吉田が南三陸町防災庁舎前で
逞しく咲く向日葵を捉えた写真にリンク

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(2011年8月16日 南三陸町志津川 防災庁舎前/シギー吉田)


震災翌年2月にリリースされた「Colorful」での直球なメッセージも

何が起こっても絶対大丈夫だから

9nineのメッセージソングは以前にも存在した

作品を勝手な妄想解釈により仮説立てするのは聴き手の自由だ

9nine「out of the blue」はプロテストソングが実装されてると解釈した



今日はとても晴れてて
指先に光るネイル
携帯の液晶を
タッチしながら歩く

白いイヤフォン
青いパーカー
引いたライン

抜けるような 空を見てる
こんなふうな 日々が
ずっとずっとずっと
続くといいと思った
とけるような 陽射しだった
こんなふうな 日々が
ずっとずっとずっと
つくづくいいと思った

雲はとても白くて
時報通り来るメール
トールサイズのラテの
冷たさ握る右手

シャッフルで
かかる曲が
いちいち良くて

抜けるような 空は青く
こんなふうな 時が
ずっとずっとずっと
巡るといいと思った
とけるような 光だった
こんなふうに 時が
ずっとずっとずっと
巡り巡ると思った

抜けるような 空を見てる
こんなふうな 日々が
ずっとずっとずっと
続くといいと思った
とけるような 陽射しだった
こんなふうな 日々が
ずっとずっとずっと
つくづくいいと思った

out of the blue / 9nine (2014)















今から数百年前には「空」というものがあったらしい。

僕はその空ってのを聞いたことがない、、、えぇと
その空ってのを見たことがないので
それがどんな色をしてどんな形で大きさや重さとか想像ができない

資料は膨大にあるけどあまりにも膨大過ぎてどれから手を付けていいのかわからない

匂いとか味も知りたいとは思うけど
それは物理的に無理

何となくわかってきたのは

空には決まった色は無いということで
それでも古代人は視覚的にいくつかの色で認識していたということも

一つは青、もう一つは黒

古代にあったもう一つの厄介なもの
「昼と夜」

空は、この「昼と夜」に関わっていると多くの文献に記されている


846年前に採集された標本は当時の情報伝達ツールらしきデバイス
随分原始的で
おそらくこの時代のものとしては最終期の指紋がこのツールから採取されている

同時期に採集されたのが当時の経口摂取タイプの水分補給用容器

微量ながら辛うじて容器に付着していた物質を分析したのだが
脂分しか判明できなかった

傍らで採集された骨格標本から鑑みても
それほど脂分を摂取していた体型とは思えず、
おそらく主食ではなく副食もしくは
脱水症状を防止する為に摂取していた為と思われる

当時は二足歩行がデフォルトの自力移動手段であり
空気振動を鼓膜に伝導することによる「音楽」という娯楽手段も当時までは
様々なスタイルで普及していたようで


何しろ何の前触れもなく一瞬だった、と聞いている

その100年ほど前に開発された核兵器より
小規模で物質を破壊せずに生体のみを一瞬にして生命維持停止から有機物を昇華に至らせる手段なのだから

経口摂取容器から採取したごく微量のDNAから抽出した記録要素を
分析してもそれが良くわかる。

核シェルターは無用の長物で、
為す術もなくその一瞬でそれまで築き上げてきた文明は殆ど壊滅

皮肉なことにある場所に隔離されていた政治・思想犯やサイバーテロリストらが生き残ってしまった。

さらに皮肉なことはそれら生き残りらによる今の世の中は
当時の言葉でいうところの「平和」だ

何が大事で何が無駄で何が下らないことかを身をもって知っているからだろうか

当時当たり前だった二足歩行による自力移動や
「音楽」と呼ばれる娯楽はなくなり
視覚認識も当時とはずいぶん変わったスタイルになってしまった。

生命維持の為のエネルギー補給は経口摂取ではなくなったし

そう、846年前と変わったことと言えば例えば「体温」という概念が
無いことかな

此の世で当たり前のことは当時では常識の範囲外だったはずだ。

だから「食べる」ことも「飲む」こともしない

そもそもそのような行為は知らなかったし


そして「自由」「不自由」という古めかしい言葉も
資料から知ったに過ぎない

何をもって「自由」なのか「不自由」なのか
当時を想像しても思いもよらない

僕のやることは
膨大な資料を調べて、
「大事な事」をピックアップすること

無駄な事でも大事なことであれば
僕らをそれらを再び取り入れるだろう


それからしばらくして僕は膨大な資料をチェックし
それからまた時間をかけ

「空」「雲」「青」「ケータイ」「ラテ」など此の世に存在しないものや
当時の様子を再現しようと試みた。

「音楽」というものは此の世にも必要なのかもしれない

まずは生き残った政治・思想犯やサイバーテロリストらの
間接型仮想海馬に記憶されたデータを基官能命名法に則り解析、
慎重にスクリーニングを繰り返した結果、浮かび上がったのをようやく復元できたところだ。


過ちは 繰返しませぬから


派生は1500年ほど前であろうという旨の暫定報告は出してある。

この1文だけとってもダブルミーニングどころかそれ以上の意味合いを持つことは
最近ようやく資料から見つけた



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