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ヴィンセント•ファン•ゴッホ

今日はデンマークを離れてオランダ出身のゴッホの話です。

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期せずして、ゴッホの暮らした街を辿っている。

アムステルダム、デン・ハーグ、そしてここベルギーのモンス。モンスを含むブリナージュ地方は、かつて炭鉱が栄えた街だ。毎日何トンもの石炭を掘り、毎日誰かが亡くなっていたという。女性や子どもの多くも地下600m、時にはさらに深く潜り石炭を取っていた。

今日は、ゴッホが住んでいた家に行って来た。(正確には一室を下宿していた家)。街の中心から少し離れたところにあった。小さな庭のある、ひっそりとした所だった。久々に鳥が鳴く声を聞いた。

ゴッホは、炭鉱で働く人の牧師となるためこの街に来た。その前は、画商や本屋の仕事も上手くいかず、牧師となるための学校でも落ちこぼれ。この街での働きも正式な雇用ではなく、期間の決められたものだった。ここでの働きぶりは献身的で、土地の人の暮らしぶりを知りたいと中でも危険な炭鉱に入ってみたりするんだけども、最後には献身さがいきすぎている、権威が足りないなどの理由で不適合の烙印を押されてしまう。

アムステルダムに来るまで、ゴッホが27歳で画家になろうと決意したことを知らなかった。

今となっては有名な画家なのに、そのスタートはあまりにおぼつかなくて、この先どうなるかなんてきっと見えなかっただろうと思う。
正直、初期のものという何枚かの絵は、ありふれた日常の絵だった。ゴッホのものと言われてもぴんとこないかもしれない。
彼自身も、弟にあてた手紙の中で、今描いてる絵は良くない。僕も知ってる。でもこれは始まりだ。という意の一節があった。上手く描けないからやめよう、とは言わないんだなと思った。

ゴッホの作品には、農民、日常生活、自然を切り取った絵が多いように思う。
アムステルダムでみた農民の肖像画は、労働や土の匂いがあり、ゴツゴツとしていた。私はそれが好きだった。対象のもつ物語、経験や時間の経過を美しいと思ってることが伝わってきた。

手紙を見ると、きちんとした小さな文字が並んでいた。いつも同じ形式。人柄がでてるんだろうなぁと思う。

これからパリに行く。
ゴッホの生きた時代は、印象派の明るい色彩が台頭していた頃だった。パリに住む弟にも知らせず、急に来て、ルーブル美術館で待っていると弟に知らせた時はどんな気持ちだったんだろう。

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