PF(ピーエフ)

元ひきこもりです。話すようなことは何もないという感覚に陥ったので、文章を書くことで少し…

PF(ピーエフ)

元ひきこもりです。話すようなことは何もないという感覚に陥ったので、文章を書くことで少しずつ自分の思考を掘り起こして話したいことを見つけていきたいと思います。

最近の記事

元ひきこもりの日記 24/8/12

・今日の発見 最近、人と会話をする中で、会話にはノリやコードがあることに気づいた。 そして、集団に馴染んで、その中の人と仲良くなるためには、そのノリやコードを理解して、それに上手く乗る必要があるのだということがぼんやり分かってきた。 私はそれができないから集団に馴染めないのだろう。 普通の人が新しく集団に入る時、とりあえず今まで経験したことのあるノリを試し、それが上手くいかなければ、過去のノリを少し変化させて新しいノリに適応するということをしているのだろう。 私の場合は、ひき

    • 日記 24/7/3

      現在の虚無の感覚というのは、私の生活の中に感動がないことに起因する。 まず他者や他者の作ったものの中に感動を見つける、そしてそれを鏡として自分を見ることで自分の中にも価値があることを再発見する。 このプロセスによって虚無から脱する。 他者の中に感動を見つけるためには表面だけを見つめていてもダメだ。 少し深いところを見つめることで初めて感動が見つかる。 そのような機会を意識的に少しずつ増やしていく必要がある。 そうでないとつまらない記号たちに囲まれて窒息してしまう。

      • 今日考えたこと 24/5/27 人があって絵がある

        絵の鑑賞について最近考えることが多い。 その理由は、他者の絵を見てもあまり感動しなくなって、そのことが非常に悲しく感じられるからだ。 この問題については以前も考えたことがあって、その際の結論は、感動しないなと感じている時は総じて他者の絵を生で見ていない時であり、実際に美術館に行って生で鑑賞すれば、やっぱりいくつかの絵には感動している。 ただ美術館で実際に絵を見る機会は、本や画面越しに絵を見る機会に比べて圧倒的に少ないので、感動できないと錯覚しているというものであった。 この

        • 日記 24/5/26

          今日は、朝絵の下書きを描いて、お昼は絵画教室に行った。 絵は上手くないが、好きかもしれない(とても好きというわけではないが)と思った。 最近は絵の模写をしている。 絵の模写をするとより深く絵を見ることができる。 模写は絵を見る手段の一つだと思う。 一枚の絵をもっと深く見たい。 美術館で見るよりももっと深く。 そうすれば、その深さで物事を見ることができれば、生きるのが少し楽しくなるような気がする。 私は常に他者に対して恐怖心を抱いているのだが、もしかするとそれはある条件下では

        元ひきこもりの日記 24/8/12

          今日考えたこと 24/5/22 興味の一致

          興味を持っていることに関するコミュニケーションについて考えてみる。 まずある対象に関して、興味があるか興味がないか、という二つに分けることができる。 そして、興味がある対象が相手と一致すると私たちは嬉しくなる。 興味がある対象については大きくとることも小さくとることもできる。 例えば、芸術>絵画>ゴッホ>ゴッホの「星月夜」というように範囲を狭めていくことができる。 この場合、芸術という大きな範囲で相手と興味が一致するよりも、ゴッホの「星月夜」という小さな範囲で興味が一致す

          今日考えたこと 24/5/22 興味の一致

          日記 24/5/19

          最近、ずっと続いている行き詰まりについて考えている。 それは人間関係を築くということ。 ひきこもる少し前くらいからそれができなくなって、現在まで続いている。 何が問題なのか、なぜそれができないのかが分からないというところが辛い。 でもこの問題に取り組んで、どうにかして解決したいと思う。 その時初めて、自分は本当にひきこもりから脱出することができたと言うことができる。 今日は、「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本を読んだ。 様々な美術作品に興味を持つためには、あ

          日記 24/5/5

          今日は朝少し絵を描いた後、昼から習い事に行った。 習い事に行く電車の中でクラシック音楽を聴いている時、なんか心が落ち着くなと思い、帰ってからその事について考えた。 生きていくにあたって、自分には神聖さというものが必要だと思う。 そして、クラシック音楽を聴いている時、神聖さを少し感じている。 日常というものは殺伐としていて、あるいは棘を持っていて、ずっとそこにいると窒息しそうになる。 だから、時々は教会のような神聖さを持った何かに触れることで癒されなければならないが、宗教を信

          日記 24/4/29

          世の中のほとんどの作品は自分のような人間のためではなく、もっと別の普通の人たちのための作品だ。 自分のための作品は結局自分で作るしかない。 どこかに買い物に行くとか、電車に乗るとか、そういった行動は自分にとってはとても大きな負担になる。 一体休みの日に外に出る負担はどうすれば軽くなるのか。 虚しさを最近よく感じるのだが、もしかすると生活に飽きているサインなのかもしれないと思った。 生活の中に新しい要素がないから、虚しさを感じているのでは。 例えば、新しい仕事に就いた時は、

          日記 24/4/28

          今日は朝絵を描いて、その後お昼から習い事に行った。 夜、絵の続きを少し描いてダラダラ過ごしたが、もうちょっと意識的にリラックスできるような行動を取ればよかったと思う。 明日何をするかを今日のうちにある程度考えておきたい。 自分は絵を描くことが好きかどうか分からないが、それは別にどうでもいいのかもしれない。 ただ、意味はないが、描こうと思える間はどんな絵でも描き続ければいいと思った。 朝、神田日勝の絶筆の馬の絵の画像を見て、力というかエネルギーを感じる絵だなと思った。 近く

          日記 24/4/21

          今日は午後くらいまで休み休み絵を描いた。 久しぶりに人物画を描いたのだが、人物画は風景画に比べて執着してしまう。 細かい部分が気になって、何回も修正してしまう。 だから疲れない程度の時間で切り上げることができなかった。 絵を長時間描くと疲れてしまうので、他のことをする気がなくなるし、あまり良くない。 これからはできるだけ疲れない時間に収めたいと思った。 最近、自分の人生が無意味に送られていくことについて不安を感じている。 だから、本でも読んで人生の意味について考えようかと思

          日記 24/4/17

          人と話すということは難しい。 どうやって他者と仲良くなるのだろうか。 小学生や中学生の頃は、確かに友達と呼べる存在が少しはいた。 ただし、周りと全然馴染めなかったり、周りから馬鹿にされたりすることも多々あった。 でも、中学の終わりから少しずつうまく行かなくなって、高校でひきこもった後は、他人と仲良くなることができなくなった。 今となっては人と何を話せばいいのか分からない。 とても殺風景な景色を日々見ていると思う。 他者は記号的で生命感を感じず、なんとなく恐ろしい。 自分もま

          日記 24/4/13

          今日は朝ダラダラと過ごして、その後風景画を描いた。 そして、まだ何か描けそうだったので、次の下書きも描いた。 時計を見ると夕方になっていて、今日も終わってしまうなと落ち込んでいたのだが、ベランダに出た時空気が気持ちよかったので、少しでも取り戻すために散歩に行く事にした。 西日が綺麗だった。 また、あの時間帯の空はなんとも言えない微妙な色合いになっていて見るたびに感動する。 そして、空気も視界が開けたように澄んだ感じがした。 いつかあの場所に立って景色を眺めている自分が体感し

          日記 24/4/10

          今日は仕事がお昼までだったので、美術館に行った。 平日のお昼だったのでそれほど混んでいないだろうと思って行ったのだが、館内は人で一杯で列にたくさん人が並んでいたため、諦めて帰ってきた。残念だ。 だが、人混みが苦手だし、あれだけ沢山の人がいる中では落ち着いて作品を見ることもできなかっただろうから仕方がない。 もう一度だけ時間を変えてリベンジしてみたいと思う。 普段生活している中で、美術が好きな人間には滅多に出会わないのに、美術館に行くとあれだけ沢山の人が見に来ているというのはい

          日記 24/4/6

          今日は朝起きて絵を少し描いたが、しかし(いつもの休日の通り)その後することがなく、退屈な時間を過ごした。 お昼頃になって最近の疲れのせいか急激な眠気を感じたので昼寝をした。昼寝をして起きた時はいつも後悔の念に襲われる。(それに疲れが取れるのではなく、寝る前より疲れる) このまま1日を終えるのはもったいないと思ったので、数年ぶりに銭湯に行くことにした。 前々から銭湯に行きたいと考えてはいたのだが、新しい場所に行くのは怖くてストレスなので、なかなか行けなかった。 銭湯は夜に行った

          日記 24/4/3

          仕事が忙しくて家に帰っても何もする気が起きないけど少しの時間絵を描く。 何か興味のあることを少しでもしないと本当に虚しく感じてしまうというのは最近分かった。 普通に生活していると、他者の些細な言動で馬鹿にされたように感じることは多い。 実際、少し引いて自分を眺めたならば(人と比較するならば)、自分にほとんど何もないということをとても虚しく感じる。 おそらくひきこもっていた自分は、この先もずっと何かが不足したままだろうし、そもそもレースで自分が遅れてしまった集団に追いつくこと

          日記24/3/31

          朝起きて、久しぶりにクラシック音楽を聴く。聴いている間は少し心のゆとりを感じ、落ち着くことができた。クラシックを聴くと、安全でリラックスできる美しい世界をほのかに感じることができる。現実にはそういったものはないからこそ、フィクションで触れることは重要な気がした。 最近は年度末のせいで仕事が忙しい。そのせいでイライラすることが増え、そのイライラしている自分の状態にうんざりする。ただ、忙しい→イライラするという流れは自然な気がする。だから、そもそもの忙しい状態を避けたいのだが、