捨てなければ前に進めない

[1]捨てたもの、まだ捨ててないもの
 「捨てなければ前に進めない」一年でした。それは今までのこだわりであったり、経験則だったり、お金で得られる安心だったり、未来への恐怖心、仕事で得ることのできる安上がりな生活の安寧、やりたいことに対する無意識のハードルだったりする。「捨てる」というと聞こえは悪いけれど、より正直になるために、心の障壁を意識的に取り除いていく一年でした。
 まだ捨てることができていないものが沢山ある。
仕事も捨てたい。「楽しく生きるために」仕事が邪魔になるのであれば捨てたほうがいい。そういう心の準備を一年かけて丁寧にしていたので、来年は「楽しく生きるために」動くことになるんだと思っている。

[2]Deneb
 ZOOZはあまりにもさらっと4枚目のフルアルバムを出しました。毎年フルアルバムを作るので、ボジョレーヌーボだと思ってください。

Deneb

 今作は「ポストパンクの再解釈」を入り口に歩を進めましたが、ある程度進んでしまえば後は音に導かれるままに作り上がったアルバムです。
 バンドを長くやっていると、砂鉄のように「要らない情報」が沢山入ってくる。営業がどうとか、大人がどうとか、売れるためにはとか。そんなの要らない、楽しく、かっこよくやりたい。
 そういう「うまくやりたい」「大きく見せたい」という心の隙間には、砂鉄のように邪な気持ちが入り込んでくる。放置すれば身動きが取れなくなって、誇張した自分を支えるためだけに奔走して、音楽がつまらないものになってしまう。
 ZOOZはそういったものが全くない。「大きく見せたい」という欲求以前に阿部さんが物理的にデカいから安心なのかもしれない(そしてそれは大変心強い)。それは置いておくとしても、なによりかっこいいので大きく見せる必要がない。かっこいいと思えることを、ただかっこよく行う。今年もそういうバンドメンバーと音楽が出来て良かったです。
 随分と何年かかけて、僕個人の心の隙間に入り込んだ邪な砂鉄は捨てることができた気がしている。

[3]GoodLuck 
 ガストバーナーは霧がかかったり晴れたりしながら、一年通じて余りにも結束が深まった気がしている。今年頭の僕達とはもう別物です。ちゃんと大人の喧嘩もしたり、良い年齢でちゃんと青春しています。すみませんね、こんな年齢で青春を楽しんじゃって。でも、年齢で青春を区切るほうがつまらなくないですか?

GoodLuck

 これからもきっと霧がかかったり晴れたりを繰り返す嵐のようなバンド天候になるのは間違いない。そういう運命のもと集まっているぶっ飛んだメンバーなのだから仕方がない。けれどメンバーへのリスペクトが消えない限り、大丈夫だという場面が何度もあった。きっと来年もそう。
 あとは清々しいくらい、バンドの全ての判断基準が「楽しそうかどうか」だけになった。楽しそうなら頑張るし、楽しくなさそうならやらない。「今後のために挨拶くらいしておいたほうがいいよー」とかの動機なら、僕達は動かない。人の心を動かすのは、お金ではない。
 楽しそうならライブをする。楽しくない未来がよぎれば前もって話したり、喧嘩したりする。なんでこの世のバンドの多くが、こんな単純で純粋な気持ちで動けてないのだろう。そう思ってしまうくらい、我々はスカッとしている。(勿論僕達は一度挫けた経験の上で組んだバンドだから一層、この気持ちを大切にしているのかもしれない)。
 メンバー個々人の目まぐるしい人生も乗せながらバンドは走ってきたので、当然僕も沢山感化された。楽しい人生ってなんでしょうね?落ち着いて考えたら、楽しい人生のために捨てなければならないものって沢山ありますよね?捨てられないくらいなら、生きてる意味なんてないかもしれない。そもそも生きてるってなに?そんな問いと向き合いながら、ガストバーナーは動いていました。

[4]母の笑顔
 今年は11月以降、母や、親族と会う機会が増えた。それは非常にネガティブな理由からだったけれど、会って話してみると楽しいことも多い。僕は平気で5年や10年も親族と会わないものだから、随分とレアで変わり者に見えるらしい(おまけに16ビートはやおとか名乗っているからタチが悪い。嫌じゃん、親族に16ビートはやお)。
 久々に会った親族とヘラヘラ笑いながらいつもの調子で話していると、母は僕に「あんた変わってるけどやっぱり面白いなぁ!」と言って笑った。僕は日々携えている自分の価値観で会話をしていたものだから、その母の感想に少し面を喰らうというか、そんな感想を抱くのかと驚き、そして嬉しくもなった。母はその日、嬉々として僕が見えなくなるまで見送ってくれた。
 この10年の間で培った経験、それはブラック企業であったり、バンドだったり、ライブハウスで出会った最高の人たちや、大学院で出会った素敵な知の化物だったり、とんでもない人だったり、人のお弁当も平気で食べる歯の抜けた警備員のおじいさんだったり、そういう全ての経験から出来上がってしまった僕の人格を、シンプルに母は面白がってくれた。
 沢山捨てて前かどうかも分からないまま進んだ結果、得ることができたのが母の笑顔であれば、それだけで今年は良い年だったのかもしれません。そんなことを感じながら、来年はまた何か捨てて、笑顔を手に入れようと思います。


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