大人にならない

[1]成人式
 なにもしなかった。10年以上前の成人式の日、僕は家から出なかった。
 中学生の頃、カースト上位のやんちゃなグループが昼休みに学校から抜け出して、全員バイクを盗んで警察官に補導されて帰ってくるような治安の良くない地元だった。
 中学の卒業式は代々受け継がれた刺繍入り短ランや長ランを身に纏い、式典を壊すべく出席する人が多くいたので、僕は地元との関係を絶ちたい気持ちしかなかった。
 きっと地元の成人式は、そんな価値観で育った人たちが行き着く先、悪くてやんちゃな人が式典を壊す記念すべき日になるはずだろうと、当時の僕はそんな予測をつけていた。
 だから家から出なかった。怖いし、会いたくないし、何を言われるか分からないし、そういう人たちがこれから「大人」という肩書きをフルに活用して新たに悪さができるようになるのだから、そんなことなら僕は大人になりたくなかった。
 なので、家から出ない選択をしたかつての僕と同じ境遇の新成人のみなさんおめでとうと、朝からよく分からない上から目線な祝いを考えていた。


[2]大人にならない
 ただ生きてさえいれば得られる「大人」という肩書きに縋っている人は、少し悲しく見える。「大人」の何が偉いんだろう。
 「大人なんだから幸せな家庭を築いて子どもを作って仕事を頑張らないと」とあたかもそのレールが人類全ての幸せのように、こんなに直接的な表現でなくても、遠回しに語られることが割とある。
 僕が毎週ライブをしていることを知らない人と話していると、この価値観に根付いた発言や仕草が沢山見られたりする。 
 その度に僕は「家庭を築くというのは、あくまでその人にとっての幸せの形の一つでしかないから、尊重するけど押し付けないで欲しいな。」と考えながら、適当な相槌を打って会話を切り上げてしまう。
 「幸せってなんだろう?」「大人ってなんだろう?」成人なんてとっくに過ぎているのに、結局はそんなことばかり考えていた。ある意味僕は幸せなのかもしれない。
 

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