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匂菫

彼女は、通り名と同じ、その花の色と香りをいつも身にまとっていた。
縦に幾重ものプリーツが折り重なった、高級感の塊のような、紫色のドレス。
その色は紫根でも、葡萄でもなく、紫色の菫の花びらを一枚一枚溶かして染めたようだ。
彼女の胸元で大きく煌めく、見事なアメジストのブローチは、水に溶かせば、酒神バッカスが涎を垂らして欲しがる程の極上の葡萄酒が出来上がりそうな代物。
ひっそりとした木陰に咲いている菫の花弁に、黒く妖しい血脈が通っているように、彼女の眩く黒い髪も瞳も、着込んだ紫色のこれ以上ない差し色で、彼女の体は、紫色に選ばれて生まれてきたようなのだった。
ニオイスミレの周りにはいつも、三色菫のようにカラフルな衣装を着た女の子達がいる。
ーお姉様、今日も素敵ですわ
ーお姉様、私お姉様のお化粧を真似してみたのですけれど、竹の白い粉はお肌に合いませんでしたわ
ーお姉様、みて私の今日のドレス、似合っているかしら
わらわらと、飼い主に集る子犬のような娘達を押しのけてやってきたのは、向日葵のような笑顔が眩しい男。
「あぁ、君のその物憂げな表情、僕の光で照らしてあげたい」
向日葵の君は、跪いてニオイスミレの手を取った。
ニオイスミレは、黒いレースの扇子に隠しきれない微笑を堪えながら、こう答えた。
「鳥は空に、魚は水に、花は大地に生けるもの」
そういうと、ニオイスミレは黒真珠のピアスを煌めかせながら、向日葵の君の手を振り払い、言ってしまった。
ぽかんとしている向日葵の君に、苛ついた声で三色菫の娘達が答えた。
あんたには、分不相応ってことよ!
きっと、彼女の誇り高い香りは、どんな花にも敵わない。
真っ赤なドレスのマダム・ローズも、藤の房美人も、白百合のカサブランカ公爵夫人も、蓮の小舞妃も、ヒヤシンスの風信子嬢も、ハイビスカスの踊り子も、芍薬の女優サラ・ベルナールも……。

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