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花の王

とある大陸では、牡丹という獅子の鉤爪ような強さと、鬣の華やかさ、毛並みの美しさを併せ持つ花を、その威風堂々とした佇まいから、花の王と呼ぶようになりました。
また、その牡丹に似ているけれど、どことなく僕のような佇まいの芍薬という花は、宰相と呼ばれるようになりました。これは、その芍薬が、まだ生まれ落ちたばかりの、柔い淡雪のような色しか、持ち得なかった頃から始まるお話です。
皆さんは、花が喋るなど、ただの御伽噺か、幻想を見たものしか有り得ないとお思いになるでしょう。
しかし、雲ひとつない、月の美しい晩。花弁に降り積もった夜露が、月光によって、まるで銀真珠のような輝きを得ると、月の霊力によって、口も舌も無いもの達が、話す事が出来るようになるのです。
「王さま、王さま、ご覧の通り、わたくし達は穢れなき、白鳥(しらとり)の毛羽のような色だけを唯一身に宿しております。」
「それを不満には思った事は、一度たりとも御座いません。しかし、」
「わたくし達のお役目は、一輪(ひとり)一輪、異なております。」
「ですから、どうか、それぞれ、虹のようにわかり易く、わたくし達を指し示す色と位をお定め下さい」
これには、牡丹も、全くの妙案として、人間がそういう時に、首を縦に振るように、花弁を風に揺らしました。
「うむ、ではまずそれには、花神様に、お伺いをたてねばならぬ」
「花神様は、水鏡の向こうの、水廉洞にご鎮座していらっしゃる。今夜、我らは自身の影写しをし、花神様に、色の召し物を拵えて貰おうではないか」
花神様は、この世全ての花を、産着で包み込まれた赤子のように愛で、全ての花の生命(いのち)の轡(たずな)を握っておられる、女神様です。花神様は、人に姿を見られるのを厭われ、普段は水鏡を通じて行ける水廉洞に、身を隠しておられます。
影写しとは、足の代わりに根が生えている植物達が使う術の一種で、自身の影に魂を乗せて、そこらじゅうを歩き回る事が出来ます。しかし、この技はすればする程、生命を少しずつ削るので、ごく限られた時しか使いません。私たちが、花の幽霊と、ばったり行き当たらないのは、この為です。
牡丹と芍薬は、真っ黒だけれども半分透き通ったような、木霊の姿になって、月が太陽の許嫁を照り殺すような、明るい晩の中を、銀の鏡を讃えたような水面を探して、歩きだしました。
銀か、はたまた金剛石で出来たような水面を、なんとか探し出すと、一行は、その中にずぶずぶと入っていきました。中の水は冷たく、全身の葉脈に、突き刺さる氷柱のような冷たさが、走りました。しばらく、凍える水の中を歩いていると、今度は硝子で拵えた廊下のようなところに行き当たりました。そこを、牡丹が先頭になり、縦になって一列でしずしずと進んでゆきました。しばらくすると、急に身体の感覚が狂ったようになり、上下が逆さまになったような気がしました。水銀の膜のようなものが、頭を塞ぎ、それが水の中に溶けて消えたかと思うと・・・気がつくと、花達は、周りを岩場に囲まれた、池の中にずぶ濡れで佇んでおりました。
「どうやら、ここが花神さまの水廉洞らしい」
牡丹が、静かに呟きました。
一行の目の前に、岩でできた霊廟のような、隠れ家のような物が見えました。周りの大小様々な岩に、蜜蝋で出来た、ほんのり山吹色の蝋燭がともされていました。花神様は、花達だけではなくその、蜜や葉茎を食べる虫たちにとっても、とても有難いお方なので、世の全ての蜜蜂たちに、こうして献上されるものもあるのです。
大岩に、立派な飾り屋根を付けた門をくぐり、その中へと進んでいくと、青竹で出来た御簾(みす)を、菖蒲色の紐で結んである、とても広い一室につきあたりました。一行は、今度はそこへ横一列に並び、牡丹が列の真ん中あたりから、少し前へ出ました。
「花神様、我らは、それぞれの花身に色を頂きたく、こうしてやって参りました。」
牡丹が、ゆっくりと厳かに言うと、誰が引いてもいないのに、独りでに御簾がするすると、上がっていきました。御簾が静かに動く度に、若い竹が密集して生えている竹林の匂いが、しました。それも花たちは、私たちのような匂いを嗅ぎとる鼻が付いていなくとも、ほかの植物の香りや気配は体全体で感じ取ることが出来るのでした。
すっかり、御簾が上がりきると花神様のご容貌がはっきりと分かりました。花神様は、御髪にたくさんの花を咲かせています。見た目は人間が頭に花を飾るのに、寸分違いが無いのですが、頭の中にたくさんの根を這わせているのでしょう。その間から覗く、鴉の濡れ羽色の長く結った艶髪が、雪溶けしかけて湿った大地を思い起こさせました。顔は象牙か、雪花石膏でできた人形のような出で立ちでしたが、作り物のような冷たさはなく、ひんやりと白くまろく光る月のような美しさがありました。着物には、菊も、桜も、牡丹も、紫陽花も、椿も、梅も、茉莉花も、水仙も、ありとあらゆる花達が埋め込まれたような端正な柄で、時折、硝子窓から外の庭の景色を覗き込んだように、そよ風に揺れて、花弁を散らすものがありました。裾は葡萄(えび)染めで紫紺に彩られ、そこからちらりと覗くつま先には、金真珠と銀糸で刺繍が施されていました。
花神様は、牡丹たち一行を、見渡すと、かすかに微笑み、持っていた扇子で、檜の床をとんとん、と叩きました。すると、何処からともなく、侍女達が衣擦れの音を出すことなく、海底を滑るように進む蛸のような動きでやって来ました。侍女達は皆、枯れ木か、石木の体でできているようでした。
一人の侍女が、持ってきた螺鈿の花吹雪で彩られた箱を開け、もう一人の侍女が、そこから何枚かの唐扇(ここでは昔の中国の女人や仙女が持っているような、扇のことを指します)を取り出し、花神様に渡しました。
侍女の一人が「身染めを望む方々よ、一輪(ひとり)ずつ前へ出なさい」と、洞窟に谺響する滴の音のような声で言いました。
そこで、まず一輪の芍薬が前へと進みました。緊張した面持ちで花神様を見上げます。花神様は、いくつかある唐扇の中から、夕闇に染まる紫色の空と渓谷が描かれているものを取り出し、芍薬の姿がすっぽり隠れてしまう位置に持つと、ふぅっと息を吹きかけました。すると、不思議な事に、唐扇の絵の中の夕空から、紫色が風にのった顔料の粉のように宙に舞い、色付いた霧のように辺りに漂い、前にでた芍薬の白い花弁に、優しく、すぅっと触れました。
芍薬の眩く、白い花弁は、ちょうどそのような色の色水に生けたように、花脈が、素晴らしい紫色を吸い上げ、そこから夕暮れの空の色が広がって行きました。その様子を見ていた花達は、息を呑んで、感嘆の声を上げました。素晴らしい、素晴らしいと口々に言い合い、花神の神通力をこれ以上ない言葉で褒めました。その様子を、花神様は、元気で愛しい子供達を見守る母のような笑顔で、見つめていました。
それから、極北の、星空に輝く絹のような天幕(これは、オーロラの事です)の絵から、煌めく星色を貰ったもの。職人細工のような玉虫の絵から、金属の照り返すような翠色を貰ったもの。熱い血潮が吹き出したような、溶岩の絵から、目が覚めるような赤色を貰ったもの。小川の妖精でもあり、狩人でもある鴗(かわせみ)の絵から、銀と仲睦まじい碧色を貰ったもの。地中に埋まった滑らかな天河石の絵から、空に憧れた石の瑞色を貰ったもの。竹林の木陰に、王者のように項垂れる、斑点が立派な豹の絵から、血肉の通った生き物の、暖かい黄色を貰ったもの。
海底に差し込む、一筋の光に写し出される珊瑚の絵から、可憐で淡い桃色を貰ったもの。
それぞれに、異なったけれども、これ以上ないくらいの、本当に素晴らしい色を貰い受けました。
花達は、何回も何回もお礼を言いました。
花神様は、何も言わずに、にこにこ笑いながら、花達の賛辞に、頷いていました。そうして、花達の、嬉しい喜びの熱が、やっと静かになると、御簾を閉じました。
もう、本当に有頂天になるほど嬉しかった花達は、帰り道で、またあの身に突き刺さるような、冷たさを味わっても、どうとも感じませんでした。

こうして、美しい色々な芍薬が咲くようになったのですが、今日では見かけない翠色や、星色、瑞色の牡丹は、何代も種を重ねる内に、地上の土に、身が合わなくなり、今では花神様の御寝所や、御髪を飾る役割を担っているそうです。
今でも時折、月の光が激しい夜に、目を凝らすと、黒い木霊の姿を見る事ができるかもしれません。

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