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ルピタスの種

あなたは、ルピタスの種をご存じですか。
ルピナス?いえいえ言い間違いでは御座いませんよ。
・・・それならば、お教えしましょう。
ルピタスの種は、見た目の形は、翡翠葛に良く似ていましてね、しかし、皮は硝子質の硬い膜で覆われていまして、水入瑪瑙のように、中に混じり気のないとろりとした、純正の青墨(あおインク)のような養分の液体がたっぷりと入っていまるのです。
不思議なことに、中には気泡の様なものは全く入ってはいないのですが、陽の光などに翳すと、中の養分に、流れが出来ていることが分かるのです。
ちょうど、夜空の中に浮かぶ星のように、青暗い液体の中に、きらきらと細かいラメ粉か、雲母の粉のようなものかが浮いていまして、それが時々、生き物の鼓動に連なって、動く心臓のように、光の点滅を繰り返したり、覗き込むと吸い込まれてしまうような宇宙の星雲のように、とぐろを巻いていたりするのです。
まこと、この世のものとは思えないような、不思議な種で御座いましょう?
このような種ですから、勿論、普通の土では育ちません。そうですなぁ、このような場で、口に出すのは、はばかられるのは重々承知しておりますが、
・・・実を言うと、この種は生き物の体を燃やして、残った灰の中でしか芽を出さないのです。
なんでも、噂によると、九十九年の間生きていた灰色鼠を燃やした灰が、一番いい様で御座いますよ。
もっとも、そんなに長生きする鼠がいるかどうか、分かりませんけれどね。
他の、普通の生き物を燃やした灰ならばどうなのか、ですと?
いやぁ、こればっかりは、また眉唾物の話になりますが、普通の生き物の灰でも、芽を出すには十分らしいのですが、その後立派な、花になるまでの栄養が得られずに直ぐに枯れてしまうという話です。
毎朝の水やりのように、人の生き血を、上げ続けると、申し分なく咲き渡る、という話もお聞きしますが、はてさて、どこまで本当で嘘なのか。
おぉっと、私とした事が出た芽の様子がどんなものか伝え忘れるとは、面目ない。
灰から、顔を出した芽は、それこそ、目が覚めるように青いということです。あの、矢車菊でさえも、この花を見たら、ますます、真っ青になり、おっとこれは洒落ではありませんよ。自分の青さが恥ずかしくなり、今度は真っ赤になってしまうほどだとか。
この世で唯一、発芽に成功した物好き伯爵の随筆では、モルフォチョウやサファイア、夏の清らかな清流、雲ひとつない青空などの見ているだけで清々しい気持ちになれる、この世の全ての青色のものを煮詰めて出来上がった宝石のように清らかな、青い双葉らしいのですが、ね。
どうにもこれは、育てる側の愛情によって、随分都合よく目に映っているように見えるのですよ、肝心の形は、双葉らしいということしか、分かりませんし。その伯爵は、この世の美酒という美酒を味わい、飲み干し、平らげるのに飽きたあげく、このような、人の噂話にしか上がらないものを、屋根裏の子供部屋の玩具のように掻き集めて、死ぬまで浮世の憂さ晴らしをしよう、というお方なのです。
なんでも、このルピタスの芽を出すのに血眼になって、下僕に灰色鼠を千匹でも、一万引きでも取ってくるように命じて、料理人に、屋敷中の暖炉でも、厨房の、竈でも、オーブンでも、蝋燭のかすかな火でも、火という火は全部使って、生きたまま灰色鼠を燃やさせて、物凄い量の灰を拵えたらしいのです。
もっとも、そんな事を想像するだけで、まったくぞくぞくっと来るものですよ。
下僕や、料理人、他に仕えていたもの達は、そんな様子の伯爵に辟易して、とっとと屋敷を出ていったらしいのですが、ま、賢明ですな。
こう見ると、女に現を抜かして、政を疎かにした王に、失望した民のようにも見えますな。
まぁ、それでなくても育てるのに生き物の殺生が必要な植物など、猟奇的な美しさを孕んでいますな。
この世全ての青色の結晶体のような花でも、その色は暖かい生き物の死骸から、糧を得ているのですから、なんとも度し難いものです。
あと、誰が言い出したのやら、その立派な花が咲くと、持ち主の不孝を吸い取ってくれるだとか、花弁の中に持ち主の望むものを映し出してくれる、だとか、誰が聞いてもこの部分は、完全に余計な尾ひれだと思うのですが、まぁ、例の伯爵様は、その花の世話をしている時は、必死に夜となく昼となく、夢中になっていたのですから、幸運でしたでしょうし、その花その物が伯爵の望んでいた姿なのですから、あながち間違いだと、強くも言えないのですが。
いやぁ、はは、ここまで長々と失礼しました。
こんなに、私の話に食い入って、耳を貸していただけるお方と巡り会うのは、稀ですから、つい嬉しくなって・・・。
え?なんです?そのルピタスの種は、今は一体どこにあるのですかって?
それがですねぇ、これも、噂でございますが、例の伯爵は、大事に大事にその花を育てていたわけですが、毎日の日課として、窓辺にその花を置き、花びらの花脈の透かし模様替が、陽の光を弄ぶのを愛でていたんです。
その時に、たまたま開いていた窓から、春風とともに、見事に真っ白な色の猫が入ってきて、近くのルピタスの花の匂いに導かれるように近づき、そのまま、むしゃむしゃと食べ始めてしまったらしいのです。伯爵は、驚愕しながらも、その様子に、魅入られたようになってしまい、そこから動けませんでした。
白い猫は、飼い主に与えられた猫草を食べるように、全くの遠慮なしに、当然という顔で、青い花を食べてしまうと、伯爵に一瞥をくれることも無く、来た窓から、同じように、ぬるりと出ていってしまいました。
呆然とした伯爵は、そのままどうする事も出来ず、また前のような代わり映えのない生活に戻ってしまったらしいのです。
それからというもの、街に、素晴らしく青い瞳を持った白猫を見かける人が、稀にいるのです。
その人たちが言うには、その猫はいつも、ここらではあまり見かけない灰色鼠を、口にくわえていると言うのです。



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